窓に叩きつけられる大きな雨粒の音で、私は目を覚ました。

 

雨降り7・7 20040707

 

…ああ、いつのまにか寝てしまったのか。日が陰って薄暗くなった部屋と、投げ出したカバン、脱ぎっぱなしの靴下を順に見まわして思った。そしてまだ起きたばかりでぼんやりする頭を、よっこいしょと持ち上げて起き上がる。開け放たれたカーテンの向こうでは、薄暗くどんよりとした空がこの世の悪のすべてを吸い込んだような不気味な雰囲気で広がっている。さっきまでは快晴だったはずなのに。

「雨のたなばた、か…」

ため息のような消え入りそうな声で私はそう呟いて、窓の脇の壁にかかったカレンダーに目を移す。カレンダーの7月7日の欄にもともと印字してある、”七夕”という文字を遠目に見つめた。そして私はゆっくりと目を閉じると、窓に叩きつけられる雨の音に耳をすました。

雨の七夕、窓にぶつかる雨の音、薄暗い部屋。

思い出すのは、いつも思い出の中に眠っている、あの光景。つむった目のまぶたの裏側に、その光景が鮮明に再生されるような感覚を覚えて、私はゆっくりとそれに身をまかせた。

 

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小学校の、6年生くらいだったと思う。記憶は、定かではない。でも思い出す情景は、多分6年生の時の教室の風景だから、正しいと思う。薄暗い教室で、電気もつけずに、私は黒板に無心で何かを描いている。教室には、誰もいない。ただ窓にあたる雨のパラパラという音と、黒板にチョークのあたるカツカツという音だけが教室の中に響いている。私が何故そこでひとりでいるのかとか、そういう事はわからない。ただ私がわかるのは、私はその頃たしか黒板係りで、それが関係していたのかもしれないということだけ。でも、そんな事はどうでもいい。忘れてしまうという事は、きっとそれほど重要な事ではなかったはずだから。とにかく、私は黒板にひたすら何かを描いている。その時、後方のドアがガラリと開く音がして、誰かが教室にはいってくる。私は一瞬手をとめて、体をねじってそちらの方を振り返るのだ。

「…三上くん」
「おう」

三上くんは、どうでもいい、とでもいいたげな、いい加減な返事をした。そして黒板の方へゆっくりと歩いてくると、前から二列目の机にイスを引いてすわった。三上くんはあごをちょっとあげて、私に作業を続けて、と無言で促した。私は一瞬ためらって、けれど結局ねじった体をもとに戻して、また黒板に絵を描きはじめた。

あっちゃん、と私は心の中で唱える。唱えながら、黄色いチョークで星を描く。三上くん、つまりあっちゃんと私ははいわゆる幼馴染で、小さいころからずっと一緒に過ごしてきた。私はずっと彼をあっちゃん、と呼んで来たし、あっちゃんも私を、と呼んでいた。そういう仲なのだ。けれど私はいつからか、あっちゃんを三上くん、と呼ぶようになった。あっちゃん、と彼のことを呼んだ時、クラスメイトにからかわれたのが始まりだったと思う。それから私は三上くん、と呼ぶようになった。最初は学校だけでそう呼んで、学校をひとたび出たら今までどおりあっちゃんと呼ぼう、そう思っていた。けれどだんだん三上くん、という呼び方が私の中で固定されていって、私の中の幼馴染は、この時にはもう、例外なく「三上くん」になってしまっていたのだ。

ただ、三上くんとそう呼んだ時、いつでも私の心はモヤモヤしていた。

三上くんの視線を背後に感じながら、私はひたすら星を描いた。黒板いっぱいの、黄色い星を。外では雨が、さらに勢いを増して降り続けていた。

「できた!」

黒板を星で埋め尽くして、私は満足げに振り返った。三上くんはさっきと同じ場所にそのまま座っていて、振り返った私と目があうとちょっと笑った。私もそれに答えるように微笑むと、黒板から離れて三上くんの隣の席に並んで座った。

黒板を見上げると、そこにはいっぱいの星が輝いていた。天の川だ。私はほう、っとため息をついた。

「あっちゃん、何お願いする?」

口をすべるように出てきた、しばらく使っていなかった”あっちゃん”というその呼び名に、呼ばれた本人は少し驚いた顔でこっちを振り向いた。私は笑いながら、もういちどあっちゃん、と言った。

「…ばーか」

あっちゃんは、照れた様子で私から目線をはずした。私はそれを見て、いよいよ笑った。

「ねえ、あっちゃん」
「あー?」
「雲の上はきっと晴れだよね?こないだ飛行機にのった時、地上は雨ザーザーだったのに、雲を飛び越えたらすごい、真っ青な空だったの。…きっと今日もそうだよね?」
「…だろ。つーかお前、理科やばいんじゃねえの」
「だよね…!よかったー。じゃあ、七夕は雨の方がいいよね」
「おまえ、人の話きけよ…つーか、なんで」
「だってさ、晴れだったら織姫と彦星の逢引が地球のみなさんに見られちゃうわけだけど、雨だとそういう邪魔が入らないじゃん」
「わかんねーよ。もしかしたら見られる事に喜びを感じるのかもしんねーじゃん」
「織姫と彦星に限ってそんなことはありません」
「わ、断言してるよこいつ」

あっちゃんが、楽しそうに笑った。私はそんなあっちゃんと、黒板の星たちを満足そうに眺めた。

そしてここが、この雨から隔てられた教室が、雨雲の上の快晴の空であるような錯覚を覚えた。誰からも隔てられた場所で、天の川を渡って、織姫と彦星が一年に一度の再会を果たす、そんな情景。

「俺さ、」

あっちゃんがおもむろに口を開いた。

のそういうとこ、好きだぜ」

…どういうとこ?

眉をひそめた私を無視して、あっちゃんは立ち上がった。そして、帰るぞ、と言って私の鞄を勝手に持ち上げた。

 

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閉じていた目を私はゆっくりと開いた。目に入った光景は、さっきと変わらない私のゴチャゴチャした部屋の様子だった。雨は変わらずに、強い調子で振り続けている。私はよっこらしょと掛け声をかけてベッドから立ち上がると、窓に近寄った。ひんやりするガラスの感触を手のひらにかんじながら、私はあっちゃんを思い出していた。

今ではまったく疎遠になってしまった、あの男の子の眼差しと、あの頭に残る声を。

こうやって雨の七夕が巡ってくるたび、これからも私は彼を思い出すのだろうか。

あの教室のあやふやで不思議な光景と、彼の姿を。

 

 

お わ り