隣のクラス。あの日の思い出。彼との距離。
―――――――近いようで遠い、難しい距離。
Distance 20040505
The distance between him and me is so vague that never gonna be closer or even further.
去年は、4組クラスが離れてた。すれ違うことなんて、私ががんばらない限りなかった。もっと言えば、1年の時はクラスが7組離れてた。校舎だって違った。
それに比べたら、断然いいとは思うのだけれど。すれ違う回数だって、グンと増えた。声を聞くことだって、いっぱいある。
・・・・・・でも、やっぱり同じクラスになりたかったよ。こんなに、もどかしいのはすごくつらい。たったの壁一枚の差が、こんなにも大きいなんて。
例えば同じクラスだったら、名前くらいは覚えてもらえるでしょう。挨拶だってできるでしょう。もしかしたら・・・・隣の席、になれるかもしれない。それに比べて隣のクラスの私は、せめて、せめて、廊下側の席になって彼が何かの用事でこの教室に現われるチャンスをじっと、待つ事しかできない。
自分の運の悪さに切なくなる。
どうして、こんなに遠い人を好きになってしまったのか。
そもそも、それこそが私の運のなさの始まりだったような気がする。
その彼は、私のすきなひとは、三上くん、という男の子。
初めて彼と会ったのは、放課後の校庭。1年生、の頃だった。
用事を片付けるのに手間取ってすっかり遅くなってしまった私は、とりあえず慌てていた。
まだ、放課後の学校の寂しさになれていなかったから、早く、一秒でも早く、学校を抜け出してみんなが待っている寮に戻りたい、そう思って慌てていたんだと思う。ローファーをきちんとはかずに、つま先にひっかけただけ、みたいな感じで下駄箱から外に駆け出した。外はもう薄暗くて、空は深い深い、紺色になっていた。近くでカラスのなく声が聞こえて、余計怖くなって、私は必死で走り出した。ジャリジャリと、校庭の砂を踏む音があたりにこだまする。
その時、まったく突然に、何の前触れもなく、私の身体は勢い良く宙をまった。
そして次の瞬間、ジャリジャリした砂の感触が、私の手のひらの下にあった。
転んだんだ、そう気付いたのは、手のひらと膝小僧の、じんじんする痛みが体全体に伝わりはじめた時。
「いたい・・・」
けれど早く帰りたい、膝小僧の痛さを押さえて、私は起き上がった。・・・けれど、右足に違和感を覚えて、私はその時初めてその事に気づいた。・・・右足のローファーが、転んだ拍子にどこかに飛んでいってしまったのだと。
私は動顛して、すばやく周りを見渡した。
・・・ない、ないよ。
膝小僧は痛いし、ローファーはないしで、私はもう、情けなくて泣きそうになった。
・・・もしその時、三上くんが現われなかったら、私は確実に泣いていたと思う。
「おい」
背後で、声がした。もちろん私は近くに人がいるなんて思ってもいなかったから、飛び上がらんばかりに驚いて、振り返った。
「これ、お前の?」
そこには知らない男の子がたっていて、私の靴を・・・持っていた。
「う、うん」
私はただうなずく事しかできない。
「歩いてたら空から飛んできて、まじあせったぜ」
「ご、ごめんなさい・・・」
「つーか、お前、大丈夫か?さっきすごい音がしたけど・・・転んだんだろ?」
「あ!だいじょうぶ、全然!気にしないで!」
転ばれたところを見られてた!誰にも見られてないと思っていたのに!
急に恥かしくなって、私はすぐにでも彼の手の靴を奪い取って逃げ去ろうとした。
けれど、
「気にしないで、って・・・すごい血でてるんだけど」
来い、と、逆に手をつかまれて強引に校庭の端っこの方へ連れて行かれてしまった。
「足だしてみ」
私は仕方なく、言われるままに水道の蛇口の下に膝小僧をむける。その男の子は蛇口をひねると、黙ってバシャバシャと私の膝小僧に水をかけた。
すりむいた膝小僧は、冷たい水に、じんじんの数十倍、しみた。
けれど私は歯をくいしばって、ただ黙って、その数十秒、男の子が膝を洗い終わるまでじっとしていた。
「よし、後は部屋帰ったら消毒しとけよ」
「うん、・・・ありがとう」
男の子は地面に私のローファーを静かにおいた。
「・・・しまった、何か拭くもんなかったな」
水でびしょびしょの私の足を見て、男の子が悔しそうに呟いた。
それが私にはなんだかすごくおもしろくて、思わずクスクスと笑ってしまった。
「ぁんだよ、笑うな」
「だって・・・なんか、おかしい」
あはは、と笑ったら、男の子はとてもバツの悪そうな顔をして、頭をかいた。
「いいよ、寮に帰ったら拭くから」
「おう」
男の子はそっけなくそう言うと、先に立って歩き始めた。私の帰る方向も同じ方向だったから、彼の後について私も歩き始めた。
男子寮と女子寮の分かれ道に来たとき、男の子は立ち止まって私の方を少し振りかえった。
「じゃあな。・・・気をつけろよ」
そう言って、男の子は男子寮へ続く坂道を下っていった。
私はしばらくそこに立ち止まって、坂の上から、男の子の背中をじっとみつめていた。
これが、私と三上くんの、最初で・・・今のところ唯一の、会話をかわした時のおはなし。
それから何度か三上くんを学校でみかけたけれど、私の事なんて覚えていないようだった。あたり前かもしれない。だって、そもそも校舎が違うんだし。
多分、暗かったから、私の顔なんてわからなかったんだ。
でも、私は三上くんだってわかったのに。
そんなことを思って、何度も落ち込んだ。
どうしたら仲良くなれるかって、いろいろ考えたけどだめだった。そんなに簡単にお近づきになれるなら、問題は何もないのだ。世の中そううまくいっては、多分困るのだ。
それで今年、隣のクラス。
近づけてこれまでなのかな。
私と三上くんの間には、見えない壁があるのかもしれない。
あの時から2年間、思い続けてきて、今だ挨拶もしたことないなんて。
悲しすぎる、と思う。
だけどどうしたって、この距離はぬぐえない。
ぬぐえる気がしないのだ。
けれどせめて、せめて、挨拶くらいはできたら・・・なんて思ってはいけないだろうか。
「根岸、いる?」
・・・・・・それは突然、本当に突然に、訪れた。
昼休みのざわめく教室、お昼どうしようか、と私は廊下側最前列の自分の席でお財布とにらめっこをしていた。
そんな時だった、開け放たれた扉の向こうから、声がかかったのは。
私はいつも、そうやって誰かが声をかけてきた時と同じように、ごく自然に顔をあげた。誰かの呼び出しに、応対するのは私の役目、というか、この席に座っている人のやくめなのだ。同時に、頭の中で考える。今日は根岸くんは休みじゃなかったっけ?
「根岸くんはやす・・・」
み、
一息に言おうとして、けれど最後の言葉は言葉にはならずに、喉につまってしまった。
なぜって、そこに立っていた人は、私に声をかけた人は、長い間待ちかねていた・・・三上くん、その人だったから。
「あいつ、やすみ?」
三上くんが眉をひそめて私の方を見た。目が合う。
―――――――初めてだ、こんなの。目をまっすぐ見たのは。
はやる思いを自制心でいっぱいいっぱいに抑えて、私はゆっくりうなずいた。
「うん」
「あいつ朝見た時はぴんぴんだったぜ?サボりかよ、なんだよ、せっかく国語の教科書かりようと思ったのに」
さんきゅ、そう言って三上くんはくるりと背を向けた。
まって、と思った。
「まって!」
言ってしまってからしまった、と思った。私、言うつもりなんてなかったのに・・・!だって、呼び止めてどうするの?
三上くんが振り向く。
なに?という顔。
何か、何か、何かいわなくちゃ!
「あ、あ、あの、教科書、そう!教科書、私のでよかったらかしてあげるけど・・・」
私は三上くんの返事をまたずに、机の中から国語の教科書を取り出して三上くんに差し出した。
「いいのか?」
「う、うん、あさってまでに・・・返してくれれば」
断られるかも、だって知らない人の教科書を借りるのは気がひけるから。って思ってドキドキしたけど、三上くんはすんなり私の好意をうけとってくれた。
「悪い、まじさんきゅ」
やった、密かに心の中でガッツポーズをして、帰っていく三上くんの背中を見えなくなるまで見ていた。
ああ、嬉しい・・・!この席に座らせてくれてありがとう、先生、神様仏様!私は一生貴方についていきます!
なんだか、この2年間の想いがそれだけで報われた気がしてしまった、なんて欲のない私の心。
その日一日中、友達に「どうしたの、大丈夫?」と本気で心配されるほど、私の頭の中は一面、春の野原だった。
次の日の放課後だった、もう一度三上くんに出会ったのは。
その日は、先生に頼まれた雑用をやっていて、すっかり遅くなってしまった。
下駄箱に上履きをしまいながら、外の空を見上げて思った。
ああ、あの日もこんな空だった、って。
有頂天だったはずの私の心は、その事実に気付いて、空気が抜けた風船のようにシューッと一気にしぼんでしまった。
三上くんが私のことを覚えてなくて、2年間の想いが報われてない、っていう事に変わりはないんだった、という事に気付いてしまって。いくら言葉がかわせたって、これからどうにかなるなんていう保証はないんだ、って気付いてしまって。
ローファーに手をかけて、あの時のローファーとはうってかわってボロボロになってしまったその姿に、自分の姿を重ねてしまって泣きそうになった。
ガタン
その時背後で誰かの足音がして、私は咄嗟にローファーをバサっと床に投げ置いた。
その人が誰であれ、目が赤いのを見られたら困る、と思った。
だから、ふりむかずにそのまま去ろうと思った。
床の上のローファーを適当につっかけて、外に出ようとしたその時、
「」
という声が、私をその場にひきとめた。
反射的に、私は振り返った。
「よう」
そこには、三上くんが、私の方をまっすぐみつめて立っていた。
…もしかして今、私の名前、呼んだのは三上くん?
周りをさっと見渡してそこに誰も人がいないのを確かめると、私は余計動顛した。
だって、私の名前、しってるなんて!
「おい、大丈夫か?」
じっと黙ったままの私に、三上くんが怪訝な顔をして言った。
「あ、うん、私の名前…知ってるんだ、と思って」
私は何故だかすごく正直に、胸のうちを言葉にしていた。
三上くんはそんな私の言葉に、なんでか、さっと目をそらした。黙ってそのまま、下駄箱から靴を取り出す。上履きをしまう。フタをしめる。
その動作を私はただ目で追いながら、あ、と思った。そうか、と思った。思いついたのだ、三上くんがどうやって私の名前を知ったかを。
「わかった、ごめん、変な事聞いて…。教科書に、書いてあったんだよね」
がっかりしながらも、どこかでほっとして、私は呟いた。
三上くんは、それでも無言で、私に背をむけたまま靴をはいている。
「俺、おまえとさ、一回話したことあるんだぜ…お前は覚えてないかもしれないけど」
仕方なく私も靴をちゃんと履き直そう、と思ったその時、背中を向けたまま、三上くんがそう呟くように言った。周りがうるさかったら、きっと聞こえなかっただろう、っていうくらいの小さな声で。
「え?」
私は思わず、聞き返してしまう。
三上くんは、答えない。
「もしかして、一年のとき…のこと…?」
私はこわごわ、口をひらいた。
だって、だって、まさかそんな事が……あるというの?
私の問いに、三上くんは、ゆるゆるとした動作でこちらを振り返った。
振り返った三上くんは、なんだか、すごく驚いたような顔をしていた。
「まさか、お前…覚えてんの?」
「う、うん、忘れるわけ…ないよ。…そんな、まだ若いんだし」
忘れるわけないよ、と言ってしまってから急に恥かしくなって、照れかくしに後ろの言葉をつけくわえる。
え、え、でも、本当に…?
「だよな」
三上くんが、そう言って笑った。
「なんだよ、つーか、それなら早く言えよ!」
「み、みかみくんだって何も言わなかったじゃない…」
「だよな」
三上くんが、また笑う。
私も笑った。
「つーか、あんな転びっぷり、後にも先にもみたことねーよ」
「…わ、ひどい!」
なんだかすごく、おかしかった。悔しかったのだけれど、だけど、おかしかった。2年もの間、こんなに変なすれ違いをしていたなんて。
それから三上くんと私は、関が切れたように笑って、笑って、笑いまくった。今までのわだかまりとかいろんなものが、きれいにながれていってしまう心地がした。
「つーか、なんでお前隣のクラスなんだよ」
三上くんが呟く。
隣のクラス。
―――――――近いようで遠い、難しい距離。
同じクラスだったら、何か変わっていただろうか?
もしかしたら、こんなに胸にくる再会はしなかったかもしれないと思って、私は密かに、紺色の空を見上げた。