あいあい傘 20040527
「手のひらに赤ペンで好きな人と自分の名前の相合傘を書いて、一週間消えなかったら恋が実るんだって!」
「うそだあ〜」
「まじまじ、これで成功した子三人も知ってるもん!」
なんていう会話を小耳にはさんだのは、つい先刻のこと。
机の上に左手をのせて、大きくいっぱいに開いてみる。その開いた手をそのままに、私は筆箱から赤いネームペンを取り出した。そして口にキャップをくわえてペンを握った手に力をこめる。スポッ、と痛快な音がしてペンのフタははずれた。右手にペンをもち、左手は机の上にスタンバイ、そこまでスムーズに事をすすめておいてこの時点になって、私はすこし躊躇した。何故って、この年になっておまじないでもないよな、っていうなんていうかこう、羞恥心が心をかすめたからだ。おまじないなんてものは、小学生の専売特許であって、中学生のものではない、っていうかっこつけた観念が私の頭には、ある。でも、ここまでやっておいてそんな事を今更いうのもどうかと思うけど。きっとこいうのを、人は往生際が悪い、というのだろう。
「よし」
小声で気合をいれて、私は覚悟をきめた。実のところ、いろいろ言ってはみても、なんにでもすがりつきたい気分では、あるのだ。私は周りをキョロキョロ見渡して誰もこちらを見ていない事をたしかめると、机の上に開いた左手に右手のペンを重ねた。
くすぐったさをこらえて1分弱、手のひらの上に完成した不自然に歪んだ相合傘を見て、私は顔をしかめてしまう。なんだか、情けなさすぎる気がする。そしてこうやっていざやってみると、まったく効果などなさそうに思えるのだ。
やめよう、流してこよう。だって、この手のひらを誰にも見せずに一週間過ごすなんてありえない。
落胆した私は、トイレに流しに行こうと椅子を引いて立ち上がった。
けれど立ち上がって歩きかけたその時、私を呼ぶ誰かの声が聞こえて、私はギクリとして体を強張らせた。タイムリーすぎる、だってまだ相合傘が手のひらに・・・!私は左手をぎゅっときつく握って、動顛する心も懸命におさえて、声のほうをふりかえった。
「三上・・・な、なに?」
思いっきりどもってるよ!自分で自分に蹴りをいれたくなる。だけど、たった今自分の左手に書かれている相合傘の下に彼の名前があることを意識しないことなんて、到底できるはずがない。
「なんかお前、挙動不審だぜ」
三上が可笑しそうに笑った。冗談になってない、お願いだから流してくれ、と思いながら私はひきつった笑いを返した。
「んなことより、お前帰んねーの?」
「え?あ、うん、帰るよ」
願いが通っていとも簡単に流してくれた事に、私はほっとして胸をなでおろした。
「じゃ、帰ろーぜ」
「れ、部活ないの?」
「ばーか、試験期間中だろうが、今は」
「あー、なるほどー」
なんていうアホっぽい返答だ、我ながら情けなさ過ぎる。なんて事を思いながらも、三上の提案に私のさっきまでの微妙なダメージは幾分回復された。なんていう単純な。いや、でも、恋ってそんなもん。ではないですか。
そして結局、私は手を洗いに行くタイミングを逃してしまったけれど、とりあえず左手を握っておけば問題ないかあ、と軽い気持ちで思って三上とふたり、連れ立って教室を出た。
「お前、傘は?」
透明のビニール傘を広げようとしていた三上が、思い出したようにこちらを振り返って言った。
「あー、折りたたみもってるよ」
「あそ」
あ、しまった・・・!あちらに向き直ってしまった三上の後頭部を見ながら、私は後悔した。ここで、「あー、忘れちゃったー」とか言えば、相合傘をできたかもしれないのに・・・!あーばかだばかだ、どーしようもない。
自分の頭の回転の遅さを恨めしく思いながら、私は渋々折りたたみ傘を広げた。
「梅雨、まじうぜー」
三上は水たまりなんか気にも留めず、バシャバシャと雨の中を歩いていく。
「そう?」
私は水たまりをよけながら、私の歩調に(多分)合わせてくれている三上の横を歩いていく。
「何、お前雨すきなの?変わったやつだなー」
「好きなんていってないじゃん。それに別に好きじゃないし」
「は?雨きらいなのに梅雨すきなのかよ?」
「うん」
「意味わかんねーやつだな、まじで」
「そんなことないよ。梅雨っていう字、なんかよくない?」
「字かよ」
三上が、呆れた顔で笑った。
私は傘をクルクルまわしながら、左側を歩く三上ばかりみている。
「飴、食う?」
「いいね、雨の中で飴を食べる」
「それ、冗談のつもりか?だとしたらつまんねーぞ」
「こうゆう時は、お世辞でも笑わないといけないんだよ。そうしないと出世できないよ」
「俺ほどの頭脳があればお世辞で世渡りなんかしなくても大丈夫なんだよ」
「うわ、ゆっうー」
ケラケラと笑う私の横で、三上はポケットをごそごそ探っていた。
「あった、・・・いちごミルクとレモン、どっち?」
「うーん、いちごミルク」
口の中に広がる甘い味を頭の中で想像しながら、三上の手から飴を受け取るべく、私は手を差し出した。
けれど、次の瞬間に私の手の平にのっかるであろう飴だまの重みを想像していた私は、面食らった。
何故って、なかなか私の手に飴だまがやってこないから。
私はどうしたの、と思って左側を見た。三上の方を。
視界に入った三上は何故だか、飴を手にもったまま、一点を見詰めて硬直していた。
「どうした・・・」
問いかけようとして、けれどその目線の先のものに気付いてしまって、最後の「の」の字が喉の奥に詰まってしまった。
右手には傘を持ち、開いた左手は、しょざい無げに三上と私の間に在る。
やばっ・・・・!どどどどどどっどどどどうしょう・・・!
その事態の重大さに気付いたのは、開かれた左手の上の赤い相合傘をじっと見詰めて約1分。気付いた、というかそのショックに一瞬思考能力が停止していた、という方が多分正しい。
はっきりいって、泣きそうになった。やばいくらい動顛していた。傘が右手から滑り落ちたなんてことにも、気付かないほどに。
私は自分でできる限り最大の速さで、左手を閉じた。わかってはいるのだけれど、そんな事は意味ないことだと。三上はもう全てを嘗め尽くすほど見終わった後なのだということを。だけど、こういう切羽詰った状況では、どんな小さな気休めでも心がおちついたり、するものなのだ。
私が手を握った途端、三上がはっと我にかえったように顔をあげた。
私はできるだけ顔をあわさないようにして、私に残る全てのパワーを総動員して、ダッシュした。とりあえず、逃げようとおもった。私の動顛した心は、それしか思いつかなかった。
「まて!まてって!!」
けれど、敵はそう甘くはなかったらしい。そして悲しいことに、今回ばかりは私のほっておいて、という願いは聞き入れてもらえなかったらしい。私に残る全てのパワーを総動員したにもかかわらず、私はいともかんたんに、たった数メートル先で、三上に捕まえられてしまった。
そして再び、三上と対峙している私。
三上は私をつかまえて、何を言うつもりなのだろう、そんな事ははっきりいってどうでもよかった。正直、穴があったらはいりたいというそんな状況だったから。
でも三上はなかなか何も言ってくれなくて、私達は随分長い間、沈黙したまま雨の中に佇んでいた。
それはそうだ、私が何も言えないように、三上だって気まずいのだ。まさかいえないだろう、「お前、俺の事好きなの?」なんてことは。・・・だったら放って置いてくれればよかったのに。なんて、そのくせ、本来律儀な性格の三上が、自分を追ってくるだろう事を心の隅っこで期待していたことは事実でもある。
「この間さ、俺の隣の席の山田がやってたのと、同じ種類?それ」
三上が突然、何事もなかったかのようなごく自然な調子で口を開いた。
山田さんが何やってたか知らないし、と言いかけて、あ、そういえばあのおまじないの話をしていたのは山田さんだった、という事を思い出す。
「うん、よくわかんないけど多分」
「じゃあ・・・期待してもいいわけ?」
三上が、雨の音に消え入りそうな程小さな声で、言った。私は自分の心臓が、大きく跳ねるのを感じた。けれど私はそれがばれてしまわないように、聞き返した。聞こえていたのに、聞き返した。
「え?なに?聞こえない」
私の言葉に、三上は一瞬口を開きかけて、けれどすぐに閉じてしまった。その代わりに、私の方に一歩近づくと、三上のさしていた傘を少し傾けた。雨に打たれ放題だった私の体が、半分だけ、傘の下にはいる。
「いくぞ」
三上は私の返答を待たずに、スタスタと歩き出した。私は仕方なく、三上に合わせて歩き出す。傘にあたる雨粒の音をききながら、あー、念願の相合傘だ、と上の空で思った。
「その相合傘のやつ、さ」
「ん?ああ、おまじない?」
「そう、それ。多分、効果ねえよ」
「・・・え?」
私は、足を止めた。斜め上方の、三上の顔を見上げる。
「だって、一週間たってないのに恋叶ったし?」
あっほだなー、お前、こんなの信じるなんて。
三上が私の左手をとって、可笑しそうに、でも嬉しそうに眺めて、笑った。
「もう濡れてるから傘なんていらねーな」
そして私の左手を握ると、傘を放り投げた。私は放射線を描いて地面に落ちていく傘を目で追いながら、三上の手をぎゅっと握り返した。