ビデオの巻き戻し機能が、現実にもあったらなと切実に願う時がくるとは思わなかった。たとえばスイッチひとつで、突然世界が逆に動き出して、猛スピードで今きた道を戻って行く。停止のスイッチで止まってみればそこは一年まえの世界。そして何事もなかったように再び、時が動き出す。そんなものがあったらな、と切実に思う。

けれどもう一度やり直したって、今と違う状況になっている保証など・・・・・・・どこにもないのだが。

 

この恋の歌 20040625

 

「タイミングって、重要だよな・・・」

ため息と共に吐き出されたそんな言葉に、机に向かって数学の宿題をしていた渋沢はペンを置いた。

「どうした、三上」

わざとらしいため息と、大きな声の独り言は、おそらく俺に聞いて欲しいのだろう。渋沢は密かに苦笑して、ベッドに横たわる三上の方に体をむけた。

「あれだよ、宝くじの1等に当ってたのに、その事に気付いた時にはもうすでに換金期限きれてた、なんて悲しすぎるだろ」

悲しすぎる。三上は、渋沢には聞こえないようにもう一度そう、口の中で小さく繰り返した。

「・・・そうか?」
「は?」

渋沢の言葉に、三上は予想外、とでもいいたげな視線で顔をあげた。

「まあたしかに悔しいけど、結局のところプラスマイナスゼロじゃないか。たしかに得はしなかったけど、損をしたとも言い難い」

渋沢はその挑むような視線にやんわりと返した。

「けど、宝くじ買ったんだぜ?一枚300円で!損じゃねえか…!」
「確かに。でも、よく考えてみろよ、普通、自分で楽しみに買った宝くじをそんな長い間放っておくか?換金期限がきれるくらいまで?…お前ならどうする」

渋沢の問いに、思わずつまってしまう。三上は持ち出す例えが悪かった、と自分の想像力を恨めしく思った。

「…もらった宝くじなら、別だけどな」

正論だが、それを肯定するのも悔しいので三上は遠まわしにそう返した。

渋沢はちょっと困った顔をして、それから回転イスを何度か左右に揺らした。回転イスは、渋沢をのせて音もなく左右に振れた。

「例えが悪かったな」
「…うっせ」

三上は枕をボン!と力まかせに渋沢のベッドに向かって投げつけた。

「じゃー、さ、もし宝くじが当ってたとずっと後に知らされるんのと、貴方ははずれでした!って言われんの、お前だったらどっちがいーよ?」
ベッドから立ち上がりながら、三上は言った。
渋沢はしばらく考えてたから、慎重に口を開いた。
「はずれでした、って言われるのだな」

「うそつけ」
微笑する渋沢を横目でチラリと見て、吐き捨てるように三上は言った。そしてそのまま部屋を出て行こうとして、渋沢に呼び止められる。

「お前はどっち?」

「どっちもヤダ!」

バタン!と力の限りに部屋のドアを閉めた。ドアの向こうから、「お前、小学生じゃないんだから」と笑いを含んだ渋沢の声が微かに聞こえて、三上はうんざりしながら逃げるようにその場を後にした。

 

 

そうだ、これじゃあまるで小学生じゃねーか!

三上はそんな自分に心底うんざりして、足元に転がる砂利をけりあげた。

「あー…どこいこ…?」

勢いで出てきたはいいが、どこに行く当てもない自分に気付いて少し落ち込んだ。

「あっちーし…」

夏が、近い。蒸し返るような夏の暑さを思い出させる、まとわりつくような暑さが心地いい気も、うざい気もする。…それ以上にうざいのは、好きな女の言動ひとつで動顛してる俺だよな、と思ってまた妙に悲しくなった。なんだか急に全てのやる気を失って、運よく側にあったベンチに半ば倒れるように座った。

「…好きだった、か…」

 

 

何年好きだったとか、そういう事を自慢するつもりはない。だけど、俺はの事が、正直、1年の頃からずっと気になっていた。運良く三年間俺らは同じクラスで、毎日のように顔をあわせていた。いつからとかそんな事はわかねえけど、でも、いつのまにか俺はあいつの事を…好きになってた。そしてあいつも、もしかして俺を好きかもしれない、という淡い期待を胸に昨日までやってきた。

告ろう、と思った事がなかったわけではない。

というか、実は何度もあった。ただその度に、いいようのない不安が襲ってできずにいた。まあ要するにあれだ、俺がただ単に意気地なし、っていうことだけなんだけどな…!そうです、俺は告白のひとつやふたつもできない弱い男なんですよ…!

なんて自暴自棄になってみたところで、事態が好転するわけではない、というかむしろもっと悪転するだけなのだが。

それに、確かめてもみないでこんな些細な事にこだわりまくっている自分にもうんざりする。なんてうんざりすることだらけなんだ、世の中というものは。

 

『私ね、三上の事好きだったんだよ』

その時彼女はそう言って、無邪気に笑った。どういう文脈でこういう会話になったかとか、考えてみたけど思い出せなかった。この先の話とかも、また思いだせなかった。ただ、あいつの笑顔と、その言葉が頭にこびりついて離れない。

だった、…ですか。

「……過去形かよ…」

心の中にたまったモヤモヤを吐き出すように、大きくため息をついた。そして青空を仰いだ。真っ青な空に、雲がひとつ、悠々と大海を泳いでいく。

…言葉のアヤかもしんねーしな。

あいつが、ああ見えて何についても慎重なあいつが、そんな間違いを犯すとも思えなかったけれど。

あーあ、情けねえな、俺…。

漠然とそんなことを考えながら、三上は大海を泳ぐ雲をぼーっと眺めていた。

 

 

「みーかみ」

突然頭上から声がして、三上は慌てて起き上がった。

「お、あ、!」

今まで三上の頭の中で飛んだり跳ねたり笑ったりしていた張本人が、すぐそこにジュースを両手にもって立っていて必要以上に動顛してしまう。だから、がどうしてこんな所にいるのかも、ジュースを二つもっているのかも、聞きそびれてしまったのだ。ただ自然な動作でベンチに座るを、三上は目で追うことしかできなかった。

「冷たい炭酸ジュース、いる?」
「…まじ?くれんの?らっき」

普通に振舞えているだろうか?心の動揺を必死で抑えて、三上は祈るように思った。

「おごりじゃないよ、今度は三上に買ってもらいますから」
「はいはい、そういうこったろーとおもったよ…お前、振ってないだろうな?」

三上はプルタブを引こうとして、一瞬もしや、と思って一応聞いてみた。

「あ、ばれた?」

躊躇することなくいたずらっぽい笑みで肯定されて、三上もつられて笑ってしまった。

「お前なー、俺が炭酸でお前がオレンジジュースって時点でバレバレだっつーの」
「いいじゃん、ほら、暑いからさ、ちょっと濡れるくらい気持ちいいと思うの」
「ベトベトになってもか」
「…うふふ」
「笑ってごまかすな、こら」

しばらく待って缶ジュースを開けたら、プシュー―ッ!と爽快な音がしてほんの少しだけ中身が噴出した。その時飛行機のエンジンの重低音が、その爽快な音に重なって微かに遠く聞こえた。その音を拾おうと思って耳を澄まそうとした時、隣でオレンジジュースを飲んでいたがためらうような口調で言った。

「あの、さ」
「…ん?」

なぜだか気まずさを覚えて、三上は缶ジュースを口に運んだ。ジュースの冷たさと、炭酸の泡のはじけ具合に一瞬さっぱりとした気分になる。

「わたし…受験、すると思う」
最初はすごく頼りなげに、でも最後の語はすごくはっきりと決断した口調で、が言った。

「え…?」

受験。

予想だにしていなかったその二文字の言葉に、三上は一瞬意味がわからなくて困惑した。

「私、高等部には進学しないと思うの」
できれば、の話だけど。最後にそう小さく付け加えて、は三上から目をゆっくりとそらした。

高等部には進学しない――――――

どんな曲がった解釈もうけつけないその言葉に、三上は愕然とした。要するに…。三上はその言葉の意味を考えて、けれどそれをはっきりと言葉にすることはどうしてもできなかった。言ってしまえば、それは肯定を意味しているような気がして。言葉になれずに中途半端なところにひっかかってしまったその”言葉”が、よりどころなくそこらへんを浮いているようだった。

とはもう、会えなくなるかもしれない

でも、どうしたって三上はそれを肯定できない。そんなこと、三上の頭には一度だって浮かんでこなかったし、ましてや、そんな状況がおこるなんてことは現実として信じられない。

 

「…な、んでだよ?」

やっと絞り出た言葉がこれで、しかもこころもち掠れてしまっていた事に戸惑いを覚えるほど、三上はこの時心に余裕がなかった。

「ごめん…、やっぱ理由…言うべきかな、うん、そうだよね」

は俯いたまま独り言のようにそう言って、それから一拍おいて再び口を開いた。

「まず言っておきたいのは、私、武蔵森が嫌なわけじゃないの。というかむしろ、出来るならば高等部へも行きたいと思ってる。でも、すごく個人的なことだし…その、あんまり高校を選ぶときの基準としてはすごく不純だから大きな声では言えないんだけど、さ」

そこで一旦言葉を切った。すうっと、が深呼吸するのを三上は横目でみていた。

「それでね…幼馴染の男の子が、一緒の高校に行かないか、って行ってくれて…。それで、まあ、彼が武蔵森に来てくれればそれで一番いいなあ、と思ったんだけど、それじゃ私ばかり楽してなんだかフェアじゃないなあ、と思ってね、それで…受験、しようと思ったの」

三上は、瞬間、自分がひどく遠くにいるような感覚に襲われた。の言動に少なからずショックを受ける俺と、それを遠くから冷静な面持ちでながめている、本当の俺。”幼馴染の男の子”、その言葉の示す意味を考えて、そしてすぐにそれが間違いじゃない事を確信する。

悲しいことに、確信した。

ああ、そうか。”本当の俺”は、冷静な気持ちで妙に納得を覚えた。昨日のの言葉のどうしても思い出せなかった前後の文脈が、たった今急にフラッシュバックのように思い出されて、その全てが今のの説明とかさなった。

 

・ ・ ★ ・ ・ ・ ・ ・ ★ ・ ・ ・ ・ ・ ★ ・ ・

 

「中学校もあと少しだねえ」

「んなことねーよ、まだ半年以上あるし」

「一年も、ないじゃん」

「……」

「中学校、楽しかったなあ」

「だから、まだ終わってねえっつーの」

「私ね、三上のこと好きだったんだよ」

「…へえ」

「三上に会えて、私、…良かったと思う」

「何、いってんだよ突然。お前今日おかしいぞ?」

 

・ ・ ★ ・ ・ ・ ・ ・ ★ ・ ・ ・ ・ ・ ★ ・ ・

 

結局、当った宝くじでも期限切れてちゃつかえねーんだよな。三上は俯いたままのに気付かれないように、小さく、小さくため息をついた。もうため息をつくのはやめよう、くせになってしまう、と自分に言い聞かせる様に思った。

それからぐっと目をつぶって、全ての曖昧な所とか、弱さとか、臆病さとか、そういうものをすべて心の中から取り払おうと気合を入れた。お腹にぐっと力を込める。三上は思った。は全てを言ってくれたのだ、俺ばかり逃げ出すのはフェアじゃない気が、する。

目をぐっとぐっとこれ以上つぶれないくらいまで固くつぶって、

――――― とは、もう会えなくなるかもしれない。

ずっと宙にういたままだったその”言葉”を、はっきりと頭の中で発音した。ついでにもう一つ。三上は願うような気持ちで思った。ぎゅっと握った手に、汗が流れるのを感じた。

――――― 俺は し つ れ ん した。

唱えた途端、まるでそれが何かの呪文だったかのように、体中の力が一気にぬけた。三上はぐでんと体をベンチに投げ出す格好になる。

幸せであったらいい、どこかの安物のドラマみたいな事を思ってしまった自分に苦笑する。それでも、傍らで俯くこの3年間思い続けた女の子が、幸せであったらいい、とそう思わずにはいられなかった。

「俺も、お前に会えて……」

よかったぜ、と言おうと思ったのに肝心な言葉は三上の喉の奥につまってしまって出てはこなかった。ちくしょう、この後に及んで…!最後くらいかっこよく決めてもいいじゃないか、と情けない気分でそんな自分を呪った。三上の言葉にが少し驚いた表情で顔をあげた。

「…ありがとう」

言えなかった言葉は、けれどどこか違う道を通って、の心に届いたのかもしれない。泣きそうな顔だったが、顔いっぱいで笑った。本当にうれしそうに、笑った。それを見て、三上も本当に心から、笑った。青空の下、ふたり、ベンチに仲良くすわりながら。

「…がんばれよ」
「…うん」

青空を眩しそうに見つめるを盗み見て、それから三上もその視線の先に目を移した。青い、青い、透き通る様な、前途を祝福するような、そんな青い空に。

「ま、あれだ、まだ中学生活終りじゃねーし?俺が最高の思い出つくってやるよ」

わざと勝気な笑みを浮かべて、立ち上がった三上は声たからかに宣言した。

「それは私の台詞ですー」

はむっとした顔で、そのくせ可笑しそうに笑いながら立ち上がった。そして、先に立って歩き始めた三上の後をゆっくりと浮かれた調子で追った。

「あれだぜ、俺もお前のこと、好きだったんだぜ」

「…え、ほんとう!?」

嬉しそうなの声が、まだ胸に痛かった。

 

 

ビデオの巻き戻し機能はきっとない方がいい、たとえ戻ったとしても今と違う結末が待っているわけではないし、ましてや好転している保証はない。今こうやってが幸せそうに笑っているなら、それでいいのだ、きっといいのだ。言い聞かせるように、三上は思った。

それに、もしもいつか誰かを好きになったなら、タイミングをみなくてはいけない。

まあ当分は、この恋から抜け出せそうにはないけれど。

 

思いを込めて思いっきり放った空き缶は、軽快な音をたてて5メートル先のゴミ箱のど真ん中に着陸した。

 

 

お わ り