「…罠、とか?」

手をのばしかけて一瞬、疑いを抱いてしまったのも無理はない。
それはまるで、三上に拾ってくれとでもいいたげな様子で廊下のど真ん中におちていたのだから。

 

 

 

10.お年玉

 
   三上家の家訓

 

 

 

大体何がおかしいのかと言えば、こんな誰でも廊下を歩いていれば絶対目に入るような位置に落ちていて、そのくせ誰も拾わないというその一点だ。
屈みかけた上体を戻して、三上は恐る恐るまわりを見回した。ひとつ向こうの教室の扉を、女子の一団が、こちらなど見向きもせずにくぐっていくところだった。三上はそれをさりげなく見つめながら、廊下に誰も人がいなくなるのを見計らうと、またそれに視線を落とした。

「それ」、とはそれすなわち袋である。お正月になると子供であるというただそれだけのことで、新年の挨拶と共に有り難くいただける、あの袋である。シロだかコロだかタマだかいう、あの袋である。そして問題はその袋自体にあるのではなく、当然のごとく中身に、ある。

鳥がステップをふんでいる絵柄を見下ろしながら、三上はごくりと唾を飲み込んだ。
さっきから躊躇しているのは、ぱっと見その袋があきらかに厚みがあるからで―――つまりきっとお金がはいっているかもしれない、というその期待に胸が弾むからである。でもそこでひっかかるのだ、じゃあなんで他のやつらはこれに見向きもしないんだ?

お金にかかわることは、おまえ、慎重にならなきゃいかんよ。今年のお正月にばーちゃんからお年玉をもらった時、真剣な顔をしてそう諭したばーちゃんの顔が頭に浮かぶ。
石橋は叩きすぎるほど慎重に渡れとは、三上家の家訓だ。何も自分のせい、ではない。

微妙な責任転換を心の中で演じながら、さてどうしようかと腕をくんだその時。
背後の階段から、ドカドカいう騒がしい足音と、ガヤガヤいう声が上がってくるのが聞こえてきたのだ。
なんというか、それは1種の反射神経だった。人がくる、と思った瞬間、考えるよりも先に体がうごいた。
そしてその階段をのぼってきた集団が三上のいる廊下に現われたその瞬間、三上はなるたけ自然にみえるように歩きだしていた。もちろん手には、「その袋」をしっかりとにぎりしめながら。

 

ガラリ、と音をたてて教室のドアをあけると、そこはなんというか、一言で言えば無秩序の世界だった。
休み時間というものはかくも騒々しいものか。
三上はちょっとだけ顔をしかめてみせてから、後ろ手に教室の扉をしめた。そして窓側一番後ろ、自分の席にまっすぐ向かう。椅子をひいてすわって、一息。

…気になるのは、「その袋」の存在。

握り締めたままの右手に視線をチラリと送って、三上は恐々あたりを見渡した。
幸いにも、周囲の誰ひとりとして三上のことなど視界に入っていない様子だった。
ほっとしたのも束の間、反比例に三上の鼓動は一方的に早まる。

(…はいってんのか、これ…?)

机の陰にかくれるようにしながら、三上は恐る恐る「その袋」の封印をとくのだった。
封を開いて、十センチ四方の袋の中身にゆっくり目をおとす。

心臓が、どくん、と大きくはねた。

(…は、はははははいってる…?)

心拍数が確実に増すのを自覚しながら、三上は丁寧に4つ折にされたそれを震える手で引き出した。
出てきたのは、真新しい野口さん…が、3人。

「…あんだよ、これっぽっち」

口調とは裏腹に、唇の隙間からは隠し切れないニヤニヤが広がる。
そしてそれが顔全体に広がりかけて、瞬間、袋にお金を直そうとした三上の手が一瞬、固まった。
その袋の裏側―――つまり鳥の絵が描かれていない方――――の、「    ちゃんへ」という欄に、汚い字で走り書きがしてあるのを、見てしまったのだ。

見るべきでないものを、みてしまったのだ。

「…ちゃん、へ…」

口の中でぼそりと呟いてみて、呆然とする。
あけてはいけないパンドラの箱(というよりは浦島太郎が竜宮城でもらった箱の方にもっと近い気がする)をあけてしまった気が、した。せっかく手にいれたはずの3000円が、一気に遠のく感覚に三上は唐突に後悔を覚えた。

偽善者ぶるつもりはない。
けれど、人のものをとってはいけない、人が困ることをしてはいけない、とそれこそ耳がタコになるほど言い聞かせられて育ってきた三上だ、今更それに反発するような行動をとるつもりもないし、とれる気もしない。

つまり答えは簡単だ。名前が書いてある以上、これはこの名前の主のもちものなのだ。

「あーもー、わかったっつの」

口を酸っぱくする母親の顔が頭に浮かんで、三上はうんざりした。
(返せばいいんだろ、返すっつーの)
たまにラッキーな事があると思えば、これだ…三上はやっぱり罠だったんだ、とヤケクソついでにそう思いながら席をたって、ハタと止まった。

返すといっても、元に戻せばいいんだろうか、それとも、なに、本人に…?

(つっても、下の名前だけじゃな…探しようがねえ、っつの)

そうだ、よし、元の場所にもどうそう、と思考がかたまりかけて、けれどその時ばーちゃんの声が突然頭の中に響いた。
『困ってる人がいたら、助けてあげるんだよ、亮』

「…だーーー!もう、わかったっつーの、探せばいいんだろ、探せば!」

三上はエコーがかかる頭の声を掻き消したくて、頭をガーッとかきむしった。なんだかマインドコントロールでもされている気分だ。っつーか、実際されてる。三上はもうどうにでもなれ、という気持ちで、さっきから変わらず騒がしい教室をぐるりと見回した。
ひとの名前を誰よりも覚えてるっていったら、自分の知ってる限りこいつしかいない。三上はターゲットを視界におさめると、教室をドカドカと横断してそちらの方にちかよっていった。

「おい渋沢」
「…どうした?」
騒がしい教室の中でひとり、机に向かって何事か没頭していた渋沢の背中にぶっきらぼうに声をかけたら、目をほそめた渋沢の顔が間髪いれず振り向いた。
「あー、あのさ、…つかぬことをおききしますが、下の名前ががのやつ知らねえ?」
「…?…名字は?」
「それを知ってりゃ苦労しねえよ」
三上は大げさに肩をすくめてみせた。
「…さあ、知らないな」
なんでそんなことを聞くんだ、とでもいいたげな思いっきり訝しげな顔で首をひねられて、三上はがっかりする。
他にあてがないのだ。
「まじ?ちょっとでもひっかかんねえの?名前は聞いたことあるな、とか」
「…いや、悪いが、全然」
「…なんかお前に全面否定されると、すっごい絶望的な気分になるんですけど」
「あー、じゃあ、わからない気がしないでもない、で」
「…で、って……余計おちこむ…」
「なんで探してるんだ、とか聞いてもいいのか」
「ダメ。っつーかそれ聞いてるし、すでに」
「何で探してるかを教えてくれれば、知恵をさずけられるんだがなあ」
「言ったな?…落し物の落とし主を探してるんだよ、知恵くれ知恵」
何故だかしらないけれどなんとなく言いにくかった。その落し物がお年玉だ、とは。
「それなら…下駄箱の名前で探せばいんじゃないか?」
「あッ!それだ、お前天才!知ってたけど」
なんで今までそれに気付かなかったんだ!微妙に悔しい気分を味わいながら、三上は渋沢の背中をお礼の代わりにドンと叩くと、そのまま教室を抜け出した。

 

息もつかずに駆け下りた、昇降口。ズラー―ッと並ぶ下駄箱を前に、三上は「よしッ」と小さく口の中で呟いて、けれどそれとは裏腹に次の瞬間大きなため息をもらした。

(だいたい、なんで俺がこんなこと…)

迷いが生じた時は、ろくな事がおこらない。
これは教訓というよりも、むしろ経験上の出来事であって。それは、確実性を伴う。

しかめっつらで腕をくみなおした時だった。開け放たれた昇降口の扉の向こうから、バサバサという耳障りな音がしたかと思うと、それは扉をくぐって建物の内側まではいってきた。
反射的に、目がその物体を追う。
鳥、だった。スズメのようでいて、でもそれとはどこか違っている、鳥だった。
その鳥は、三上の頭上をゆっくり1周旋回すると、何事もなかったかのようにそのまま外に出ていってしまった。なんだあ?と思って視線を下に落としかけた瞬間、再びバサバサというさっきと同じ音がして今の鳥がまた扉をくぐって入ってきた。三上はなす術もなく、ただ呆然とその鳥を見つめる。またもや、その鳥は三上の頭上をぐるりと大きく旋回すると外に出ていくのだった。

ただ1回目と少し状況が違うのは、その鳥が置き土産を残していったということ。

べチャ!

「………は?」

無理もない。逃げ切れる範囲ではなかったのだから。そんな事態など、一瞬でも想定などしていなかったのだから。
べチャ、という嫌な音と共につむじのあたりにこそばゆさが広がるのをかんじて、三上はその瞬間体中の血液がサーッと一気に下の方へ下がっていくのを実感と共にかんじた。

「え、え、ちょま、うそ、…え、まじ?」

扉のガラスに反射して微かに写っている自分の頭をおそるおそる覗き込んで、けれどつむじというものが、到底正面からは見えない位置にあるという事実に気付いて愕然とした。
(まさか、まさかな…!はははは)
自暴自棄の心境で声をあげて笑い出したい衝動に駆られながら、三上はゆっくりと右手をあげて、頭のその位置に触れようとした。

―――――が、一瞬躊躇する。

それはそうだ、想像しただけで顔を歪めてしまうその事態が、手を触れたことで明らかになるのだ。…しかも、もしそれが現実になるとしたら、手に…………ぐちょ、っと…

そこまで想像して一瞬思考停止に陥った三上の耳に、あろうことか再びあの、耳障りなバサバサという音が聞こえてきたのだ。三上は反射的に身をかたくした。

討ち入りにでもいくような覚悟で扉の外を見上げていた三上の視界に、さっきの鳥が悠々と姿を現した。三上は後ずさりしたいのに動かない体に大きく舌打ちしながら、それとは対照的に怯えた表情で鳥を見上げる。
そして当然のように、さっきのように自分の上を旋回していくのだろうと信じきっていた。
ところが、次の瞬間ピュ―っという鋭い口笛の音がして、その音に鳥は旋回しかけたその身体を大きく翻したのだ。

口笛の音に誘われて視線を下にずらしたその先に、さっきまではいなかった人影を見つけて、三上は一瞬ドキリとした。

そして目前で繰り広げられる予想外の光景に、生唾をゴクリと飲み込むのだった。
鳥が、突然そこに現われた少女の差し出した手の上に、たいそう軽やかに着地したのだ。

その幻想的な光景とは対照的に、その女の第一印象は最悪だった。

「…ぴーちゃんが、ごめん…ぷ」

あろうことか、その女は吹き出したのだ。謝りながら、吹き出したのだ!しかもそう言ったきりお腹を抱えて絶句している。どうやら湧き上がる笑いをこらえているらしい。
その尋常ではない笑いぶりに、三上は一部始終をみられていたことを知る。
こんな侮辱をうけて、黙っている三上ではない。
下向していた血液が、カッと一瞬で上昇する。

「てンめぇ…!誰のせいだと思って…!」

勢いのままに掴みかかろうとして、けれどその時女の手に乗ったままだった鳥が、シャーっと三上を威嚇した。そのせいで、三上はギクリとして一瞬かたまった。

「きて!」

かたまったのが悪かった。その女はその隙に三上の腕をガッと乱暴につかむと、校舎の外に強引にひっぱりだしたのだ。

「は、おい、ちょ、まてって、おいッ…!」

振りほどこうと暴れてみても、見た目の華奢な体つきからは想像もできないほどの握力が、それを許さない。今の自分の状況と、ほどけない腕にショックをうけて、しばし呆然とする。そしてひっぱられるままに、校舎の前を横切り、気がついたら校庭の脇にある水場まで連れてこられていた。

「はなせっ!」
掴まれた腕をブンと振ったら、意外にも素直に腕から手を離されて、三上は少し拍子抜けした気分になる。そんな三上にその女ときたら、両手を顔の前であわせると、必死な形相をするのだ。
「…ごめん!ほんとごめん!まさかうちのピーちゃんがフ」
「だーーーッ!わかった、わかった、いいから…いうな、最後まで」
わかってはいても、口で言われると絶望的な気分になる。
さっきまでの失礼な態度とのギャップに面食らいながら、三上はもうどうでもいい、と思いながら肩を落とした。
けれどそう思った矢先に、再びピクリ、と反応してしまったのは、こともあろうか今の真剣な謝罪は真っ赤な嘘でした、とでもいうように、豪快に吹き出したからだ!

「ブッ…!」

ここまでくると、怒るよりもさきにあきれてしまう。
(なんなんだ、こいつ…)
変なやつにつかまっちゃったんじゃねえか、俺…と三上は頭に鳥の糞をのっけたままにひどく不安気な持ちが盛り上がってきて、無意識にあとずさりした。

けれども。
それはゆるさじ、とばかりに再び腕を掴まれて、三上がはっと我に帰るその前に頭をぐっと強引に水道の蛇口の下に押し付けられていた。

「は、てめッ…!なにす…!」
狼狽して叫ぶ三上の耳に帰ってきたのは、
「大丈夫、責任とるから」
という答えになっていない言葉と、蛇口をひねる音だった。

「ちょ、やめ…!」

蛇口をひねる、というその行為から連想されるのは……、蒼白になった三上の静止の声は、けれど次の瞬間勢いよくふきだした水道の音にかき消されてしまう。

「つ、っめてえええええええ!やめろおおおおおおお!」

時は1月。冬も真っ盛り中の真っ盛りである。突然頭を襲う衝撃的な冷たさに、三上は我を忘れて絶叫した。
「しっ。ちょっとの辛抱だから」
「な、な、な…!」
言葉にならない。
「あ、石鹸がある。ラッキー」
「ら、らっきーじゃねえ…!や、やめろ…!」
言葉はすでに懇願口調になっている。
けれどこの、一体どこから出ているのかと疑うばかりの力に押さえつけられて、三上は逃れることができない。

やりたい放題頭をぐしゃぐしゃにかき回されて、絶叫する声もかすれて疲労が隠せなくなったその頃、三上はようやく開放された。

「おまえ…なに、俺になんか恨みでもあんの…?」
定まらないうつろな視線を空中に泳がしながら、三上は弱弱しい声を出した。
「え、なに、あるわけないじゃ…、わー!私ったらまたとんでもない事を…!どうしよう、タオルもってないんだ、風邪ひいたりしちゃったら…!」
突然頭を抱えてオロオロしだした目の前の女が、三上はますますわからなくなる。

(…悪気はないんだよな、多分。ただおかしいだけだ…頭が)

致命的だ、三上は自分の状況も忘れて哀れみにもにた視線をおくった。
そして幾分冷静になった頭に再び母親の顔が浮かんできて、三上は愕然とするのだった。…一体どんだけ植えつけられているんだ?
――――三上家の家訓。女の子には優しくすること。

そして結局はそれに従ってしまう自分に、うんざりする。うんざりしつつも。

「…気にすんな、んなヤワじゃねーよ」
「ほんとに?」
潤んだ目で見返されて、三上は思わずたじろいだ。
「あ、ああ」
恐る恐るうなずいてみせたら、相手の顔にぱーーーっと笑顔が広がって、三上は余計動揺する。
「ありがとう!このご恩は忘れません。…何かお礼にあげれればいいんだけど」
「や、別に俺何もしてねえし…」
「あっ!せっかくだからピーちゃんあげようか」
「ピ、ピーちゃん?」
声が裏返ったのも、無理はない。なんせあの例の鳥を、ぐいっと目前に差し出されたのだから。
「い、いらないいらないいらない!」
必死でかぶりを振った三上を、その女は不思議そうな顔で首をかしげた。
「なんで?」
「だだだだって、お前ほら、ピーちゃんと突然離れ離れになって寂しくないのか?寂しいわけねーよな、ほら、寂しいよな!」
「うん、そう言われれば寂しいかも。…でも」
納得しかけて何かまだ言おうとするのを遮って、三上は強引に話題をかえた。
「つーか、なんでお前校庭にいたんだよ?」
どうかこの話題に食いついてください、と心の中で懇願しながら三上は後ろで組んだ手にグッと力を込めた。
こんな鳥を譲り受けるなんてことは、死んでもさけたかった。

「あ、えーとね」
懇願祈ってか、あっけなさすぎるほどの軽やかさで、そいつは話題を転換した。
「ちょっと探し物してて…」
「探し物?」
「うん、大事なものだったんだけど」
「で、見つかったのかよ?」
「…それが、全然」
ため息をつくその物憂げな表情に思わず目を奪われそうになって、けれど寸での所ではっとする。
(あ、ありえねえ…!)

聞いてしまったら、きっと自分のことだ、ほっておけなくなることはわかっていた。一緒に探してやるよ、と申し出てしまうであろうことはわかっていた。…だから、できるならば聞きたくなかったのだ、何をさがしているのか、を。

けれど自分の意志とは裏腹に、ばーちゃんが心の中でしつこく諭すのだから。
『困ってる人がいたら、助けてあげるんだよ、亮』、と。

(だーーーー、もう、ありえねえ!)

「…で、なに探してんの?」
なんだって自分はこういう運命の下にうまれてきてしまったのだろうか、悔やんでも悔やみきれない。

そいつは、即答はせずに俺の言葉にゆっくりと顔をあげた。
もしかしたら真面目な顔で面と向かって視線を交わすのは、これが初めてかもしれない。
胸がザワザワとする三上をよそに、そいつは、何故だかひどくいいにくそうに、言うのだった。

「…お年玉を、おとして」

バタバタと音がして、ピーちゃんが勢いよく舞い上がった。

「…………は?」

思わず絶句した三上を、聞こえなかったのだと解したらしいそいつは、もう一度はっきりと言った。

「お年玉を、おとして」

瞬間、悪寒が背中を駆け上がってきて、三上は身震いした。
濡れっぱなしの髪の毛から滴る水滴に今更ながら寒気をかんじて、くしゅん、とひとつ大きくくしゃみをした。

ただ救いは太陽の光。
数日続いた雨の合間に覗いた、やるせないほどの澄み切った晴天。三上は一瞬それを仰ぎ見て、それから、こわごわこわごわ、口をひらいた。

 

「もしかしてお前…?」

 

呟いた後の相手の反応は、わからない。わからないように、ぎゅっと目をつぶった。
空気がわずかに動いて、髪の毛から香る石鹸の香りがほのかに辺りに散らばった。

 

 

 

 

 

 

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