11.ストーブの隣 

  かがんだその場所に

 

 

 

 

細くか弱げな雨が、音もたてずに地面をぬらしていく。窓枠の下におかれたおんぼろストーブに体重をあずけながら、私はぼうっと眼下のアスファルトをながめていた。

図書館は、いつもより少し人口密度を増していた。この学校で唯一の男女共用の施設。雨の日ともなると自然に人が集まるのもやむを得ないというもの、だ。もちろん、図書館の本来の役目とは全然違うことにつかわれるわけだけれど。
ストーブがあるこの場所、つまり私がたっているこの場所の真下は図書館の入り口になっていて、見下ろしていると出て行く人、やってくる人が手に取るようにわかる。私はこうやって、ひとを待つのが好きだった。

待ち人、きたらない。

時計にちらりと目をやって、待ち合わせの時間がとうに過ぎていることを確かめると、私は再び窓の外に視線をうつした。その瞬間、傘もささずに図書館にかけこんでくるひとつの陰をみとめて、私はほっと息をついた。そしてにわかに窓際から離れると、すぐ側の席の椅子をスーッとひいてすわった。

「わりぃ」

向かい側の椅子が乱暴にひかれて、そこに体をすべりこませるように座った三上は第一声、居心地悪そうに小声で謝った。
私はちらりと三上を見て、それからトントンと紙束をそろえながら
「いいよ、別に」
とそっけなく答えた。
待ちぼうけには、イライラしないようにできている。ただ、ここで待ち合わせするようになってからというもの、毎回の挨拶が「よう」とかではなくて「わりぃ」だというのは、考えものだと思うのだ。
私はにこやかに、手に抱えていた紙の束を無言で三上に差し出した。
三上は一瞬ぎょっとした顔をしてみせてから、それからおそるおそる手を出してそれをうけとった。
「…つつしんでお受けイタシマス」
「苦しゅうない」
三上が苦い顔をする。私はそれをみて小さく笑った。

 

あの日、今年初めての寮委員会の会議があったあの日。遅れていってしまった私と三上の2人は、すでに始まっていた今学期の役割分担で体よく1番面倒くさい事務仕事を割り当てられていた。いい面の皮だったのは私だ。三上に呼び止められたそのせいで、面倒な役を押し付けられた。そのくせ、サッカー部で忙しいはずの三上は寮委員の仕事などやらないのだ。1学期もそうだったし、2学期もそうだったのだから。(わからないけれど、寮委員に顔をだしていなかったからきっとそうなのだろう)つまり、貧乏くじをひいたのは私ひとりである、ということ。

けれど予想外だったのは、さも当然のように仕事をやるよ、と三上が言い出したこと。

案外マメな性格なのかもしれない。それにきっと、多少なりとも罪悪感があるのだろう。ぱっと見ひねくれているように見えるこの人の、意外ないい人ぶりがおかしかった。

ともかくもそういうわけで、図書館での待ち合わせはもう数回を数える。

「つーかさ…おまえ、なんかやれよ」
机に両肘をついてぼーっとしていた私に、三上があきれた声をよこした。
「いいでしょ、少し休んでるの。さっきやってたんだもの。…遅くきた誰かさんはわからないだろけどねー」
「…っ、しょうがねーだろ、出る寸前に監督に呼ばれたんだから」
「ハイハイ」
「おっまえかわいくねぇな…!」
「なにそれ、自分がわるいのにそういうこという」
「それとこれとは話が別だろ!」
「は?いったい何が別だっていうの!?」
フン!と鼻で笑った私に三上が怒鳴り返そうとしたその時、私のうしろの席からゴホン!というわざとらしい咳払いがしてそれを遮った。私と三上は同時にはっとして、音がした方を振り向く。

うるさいんですけど。静かにしてもらえません…?

振り向いたその先、トゲトゲしい声で言われて、さらに冷たい視線なんかをおまけにもらって、私と三上は小さく謝罪の言葉を口にする。
急に居心地の悪くなったその場所で、けれどもめげずに私と三上は顔をよせあってコソコソ声で会話を続けた。
「…怒られちゃったじゃん」
「なんだよ、俺のせいかよ」
「他になにか…あ、やめよう、これ以上やると図書館おいだされちゃう」
肩をすくめる私に、三上がしぶしぶと、承服しかねる顔でうなずいた。
それから私はノートをビリッと一枚やぶると、そこにさささっとペンを走らせた。

『あのこ、図書委員なの。あのこに目つけられたら、図書館でいりできなくなっちゃう』
「あのこ…?」
三上が眉を寄せる。
私は手にもったシャーペンの先っぽをさりげなく後ろに向けて指してみせた。
ああ、と三上は一瞬納得するそぶりをみせ、それからノートの切れ端を自分の方に引き寄せた。

『スネオのママに似てねえ?』
あいつ、と三上が笑いをふくませた表情で私の背後にさっと視線をむける。
「…プッ!」
瞬間、頭に広がったイメージに吹き出しかけた口をさっと手でおおって、堪えきれない笑いに肩を震わせた。
やっと笑いの波がおさまって顔をあげてみれば、三上が唇をとがらせて
「スネちゃま〜」
とか小声で言うものだから、もう私はたまらなくなって机の下で三上の足を蹴った。
「…って!」
「ばか、笑わせないでよ…!」
「あんだよ、自分が勝手に笑ってんじゃねーか」
三上が、そういって可笑しそうに声を殺して笑う。

その表情にドキリとしかけて、私は慌てて視線を紙の上に戻した。

「も、早くやらないと。こないだも全然進まなかったんだから」

三上はそれに素直に頷くと、止まっていた手を動かしはじめた。
私も紙の束に手をやりかけて、ふとその手を止めて窓の外を見上げた。

どす黒い雲の下、さっきからの雨は相変わらず、か細く降り注いでいるようだった。

 

 

その日の夜に強くなりはじめた雨は、降ったりやんだりしながらその後1週間くらいグズグズと尾をひいた。

 

 

やっと雨が明けたその日の午後、私は水分を吸いすぎてぬかるんだ泥道を、男子部の方へむかっていた。寮委員の仕事で、渡し忘れていたプリントを三上に渡すためだった。
水たまりに足をいれてしまわないよう注意深く足を進めながら、私はこの道を通るたびに考えてしまうあの事を、どうにか考えまいと奮闘していた。

あのこと。

新学期がはじまる前の日だった。夕日に染まる三上をみてしまって、やるせないような感情がいきせききって胸に溢れてきたあの日のこと、だ。私は考えまい、としていた。一度あのことについて考えてしまうと、地面がグラグラするようなひどく不安定な気分に陥って、その不安定さにどうしようもなく恐ろしくなる。だから、考えまいとしていた。あれはなかったことと、そう思おうとしていた。

授業が終わってこうやって急いでやってきたのは、ひとつにはそう、夕日に遭遇しないため、という理由もある。

ひたすら下を見つめながら無我夢中で歩いて、やっと例のグラウンドのあたりまできた時だった。
風にのって、聞きなれた声が微かに聞こえた気がして、私はふと足を止めた。耳を澄ましてみて数秒、何も聞こえてこない声に、空耳か、と足を動かしかけた時だった。
明らかに、声が聞こえた。
ただ、今度は聞きなれた声ではなく、聞きなれない、しかも……怒鳴り声、だった。しかも数名の。
私は声のする方、つまり校舎と校舎の間に挟まれた狭い隙間の向こう、を見つめて、しばらく思考を泳がした。
普段の私だったら、そのまま聞き流していただろうと思う。それはそうだ、いくら野次馬好きだといったって誰も好き好んで厄介ごとに巻き込まれようとはしないだろう。

でもその時、私は、多分何か直感めいたものを感じたのだとおもう。

後からふりかえってみれば、いくべきじゃなかった、と後悔することになるのだけれど。後悔先にたたず。私は声のするほうに引き寄せられるようにのろのろと足を向けた。

まずいものを見てしまった、と思ったのは校舎の陰からそっと奥まったその場所を覗いた瞬間だった。

1番最初に目にはいったのは、4,5人の男の人の背中。着ているブレザーの色からいって、高等部のひとたちのようだった。何かをかこんで、しきりに叫んでいた。
そのひとたちの声はこもっていて、この場所までは言葉の断片くらいしか聞こえてこなかったけれど、輪になって野良犬に餌をあげているとか、明らかにそういう楽しい雰囲気ではないのだけはわかった。

こわいもの見たさというか。私は、ほんの少し伸び上がってその、囲んでいる”何か”をみようとした。
短髪の髪の毛をたてた人の肩のむこう、ああ、ちょっと、動かないで…
あと、すこし、そう、それ、で…………………

(え…?)

思わず言葉が口から漏れそうになるのを、私は慌てて押さえ込んだ。
伸び上がったその体を、再び校舎の陰に隠して私はうずくまった。
たった今みたものを、ゴクリと飲み込む。たしかにみたのだ、と動揺する心の向こうで私は愕然とした。

なぜって、その高等部のひとたちに囲まれていたのは、犬でもなく、猫でもなく、ましてや鳥でもなく、人間、だったのだから。しかもそれが、自分が知っている、しかも今まさに探しにやってきているその張本人、であったのだから。

私は愕然としながら、よろよろと立ち上がるとまたおそるおそる奥を覗き込んだ。

話し合いをしてるとか、そういう和やかな雰囲気でないのは一目瞭然だ。なぜって、あの、短髪の髪の毛を立てた人が、三上の…そう、三上の胸倉をつかんでいる、っていうことからわかりすぎるほど、わかるのだ。

これは、ぞくにいう………

その単語が頭に浮かんだ時、私は一瞬ぱにくって頭が真っ白になった。

(どうしようどうしようどうしよう)

むろん、どうすることもできないのだ。本来が臆病なわたしは、今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちになっている。ただ、ぎりぎりのところで足がふんばっている。
――――――でも、どうすることもできないのだ。

(どうしようどうしようどうしよう)

私は泣き出したい気持ちになった。
奥の方から、途切れ途切れに声が聞こえてくる。
私はブルブルと頭を振った。私が泣いて、どうするんだ、と。そう思って頭をふった。
今できることといったら、よく考えてみれば一つしかない。
三上がいくら強くたって、1対5はどう考えても無理だろう。
このまま黙ってみていたら、どんどん悪い方に向かって行くことは、まちがいない。
だったら、どうにかしてあのひとたちを三上から遠ざけることだ。

(誰、か、人を呼ぶ…?)

これしかないか、そう思いかけた時だった。
奥の方で、ゴッという鈍い音と、それに続いて人が倒れるような音が、響いた。
その音の大きさと唐突さに私は心臓が跳ね上がるほどに驚いて、慌てて覗き込もうとした。

けれど、その時不意に、
さん…?」
という声と共に肩をポン、と叩かれて、神経が過敏になっていた私は、ただそれだけのことで飛び上がる程におどろいてしまった。

思わず、あっと声をあげてしまった、のだ。
無理に押さえ込んでいた声が突然出口をみつけて、バッと流れ出たようだった。

それは驚くほどの大声で、そう、
―――――校舎の隙間の奥にいる人たちにも十分届くほどの大声――――だった。

背後でにわかに人の動く気配がして、私はしまった、と思った。私がここにいることを知られてはいけない、特に三上には、知られてはいけない。きっとあの人はこういうことをひどく嫌うだろう、―――プライドの高い人だから。と、私は動顛する頭の中でそればかりを思った。けれど、体が動かない。

渋沢くんは…、(そう、たしか三上の友達でそういう名前だった)私の肩においたその手を下ろし忘れているほどに、きょとん、としている。それはそうだ、ただ声をかけて叫ばれるなんて、まったく予想外の出来事だ。
そうだ、渋沢くんは知らない…、この背後で起こっていることを知らないんだ、それはちょっとやばい気がする――――、奥のほうから足音が近づいてくるのを耳でひろいながら、私は手短にこの目前の人間に伝えようとした。
けれど、口を開きかけたその時に、傍らの植木がガサリと揺れた。

遅かった、のだ。

あの、短髪の髪の毛を立てた人がまずのそりと暗がりの中から出てきて、そして一瞬、ぎょっ、という顔をした。私をみてそういう顔をしたのかと思ったけれど、どうやら違うようだった。
傍らの空気が動く気配がして、私はそちらに視線をうつした。
渋沢くんが、その人に向かって、軽く会釈をしていたのだ。

「なにやってんだよ、こんなとこで」
その人は、不機嫌そうに、ぞんざいな調子で言った。
「落し物探すのを、手伝ってたんです」
私は渋沢くんの言葉に驚いて、思わず渋沢くんをぱっと振り向こうとした。
けれど肩におかれたままだった渋沢くんの手にぎゅっと力がこもって、私はぐっとこらえて、何でもないような顔をした。渋沢くんは、何事か悟っている、のだ。校舎の陰から出てきた数人の人たちと、私の反応から。

その人の視線が、私にうつる。
「なに、彼女?」
へら、っと笑ったその人の表情が、私はひどく不快だと思った。
「いえ、ちがいます」
きっぱりと断定した渋沢くんにその人は舌打ちすると、後ろのひとたちにいくぞ、と声をかけて、そしてそのまま向こうへ逃げるようにして去っていった。私はその背中にむかって舌打ちしたいのを懸命にこらえながら、見えなくなるまでキッと睨んでいた。睨み殺してやれたらいい、と思いながら睨んでいた。

最後の1人が校舎の向こうに消えた時、ようやく何かの呪縛が解かれたように渋沢くんの手が私の肩から離れた。無言で何かを問う視線が向けられて、口を開こうとしたその時、ガサリ、と再び植木が揺れて、私は思わずビクリと肩を跳ねさせた。

もうひとり残っていたのか、と思って身構えたその先、顔を出したのは……三上、その人だった。

私達がそこにいることを予想していなかったのだろう、さっきの人たちと同じようなぎょ、っとした顔で私を見た。三上の乱れた制服と、腫れて血の滲んだ頬に、見返した私はギクリとした。三上の顔にひろがっていた驚愕が、みるみるうちに無表情にかわる。私はそれを認めて、絶望を覚えた。見てはいけないものを見てしまったのだ、と気付いた時にはもう、遅かったのだ。

「三上」

渋沢くんが、いたわるようなそれでいて諭すような調子で三上を呼ぶ。
そこで初めて、三上は渋沢くんがそこにいることに気付いた様子だった。
私と渋沢くんを交互に見比べたあと、さらに頑なな無表情な顔になって、そして何も言わずそのままスタスタと背を向けて歩き出していってしまった。渋沢くんが、もういちどその背中に呼びかけたけれど、反応する様子は一ミリだってなかった。

渋沢くんが少しあせり気味に私を振り返って、私は小さく頷いた。それを合図に、渋沢くんは三上を追いかけて走っていった。

取り残された私は、さて、どうしようかと、無理に冷静なふりをして途方にくれた。

渡し損ねたプリントが、風にふかれてガサガサと音をたてた。さっきまで晴れ渡っていた空は、いつのまにかどんよりと暗雲が立ち込めて、今にも水滴が落ちてきそうだった。

 

 

梅雨でもないのに、よく雨がふる。

 

 

あれから1週間。三上は私をさけているのかもしれない、という予感が確実になるには、十分の時間がたった。

図書館の定位置で、私はストーブに寄りかかったままぼんやりと外をながめていた。カラフルな傘の集団が、図書館の入り口に続く階段を登ってくる。

あか、あお、きいろ、むらさき、しろ、みどり…

色とりどりだこと。私はふっと笑って、身を乗り出してガタッと小さな音と共に額を窓ガラスに押し付けた。冷たい。ストーブのせいで火照った顔には、気持ち良かった。

カラフルな傘の集団が、図書館の中に入って視界から消えた。けれどあれ、と思ったのは、黒い傘がひとつ、手前で止まったからだ。どうしたのかな、と思った直後、その傘がぐいっと半回転した。

つまり、その傘をもっていた人が、上を見上げたのだ。

雨の向こう、私の見下ろす視線とその人の見上げる視線がはたり、と合った。

「…み、かみ?」

思わず口をついてでてしまったその名前に、私は慌てて口を押さえた。
絡み合う、視線。
距離があるのに射るようなその視線に、私は耐え切れなくなってぱっと視線をはずすと窓の下にしゃがみこんでしまった。ストーブの前に、うずくまる。体が燃えるように熱かった。

かがみこんだその場所で、床の一点をみつめて私は微動だにせずただじっとしていた。

なんで私がにげる必要があるのだろう?
わからない、わからないけれど、三上は私をさけているのだろう、と確信してしまってからというもの、三上がこわい、と思ってしまうのだ。関連性のない思考回路に、私は振り回されたまま立ち直れずにいた。
三上がなんで私を避けているのだろう、ということはたいした問題じゃなかった。
ただ、さけられている、その事自体が問題なのだ。

しばらくして、ブレザーのポケットに入れてあった携帯が小さく振動した。私はのろのろと携帯をとりだすと、パカリと開けた。

『委員会の仕事、図書館の一階に預けてきたから受け取って』

雨は、しとしとと降り続ける。
頭がいたい。私はかがみこんだその場所に埋もれそうなほどの疲労感を感じて、ぺたん、と腰をおろした。

黒い傘が、目をつぶった瞼の裏で鮮やかにクルクルと回っている。

 

 

 

<< メニューへ | 続き.....13.六花 >>