13-3.六花

 ありがとうと呟く

 

 

 

(…雪が、降りそうだなあ)

定位置になってしまったストーブの隣、机に座ったまま窓の外をぼんやりと見上げて思った。壁の時計にチラリと目をやって、そろそろ帰らないと夕飯にはぐれてしまう、と心の隅っこで思ったけれど、焦る気持ちはわきあがってこなかった。

(雪の結晶とか、見れないだろうなあ)

とりとめもない思考の中で、12月に家族旅行で行ったスキー場ではじめて雪の結晶を見た時の事を思い出す。同じ形のものは1つもないんだよ、と得意そうに言うお父さんの表情が思い出されて、ふっと顔に笑みが広がった。そうだ、と思い立って、カタリと椅子から立ち上がると書架へ向かう。夕飯時の図書室は閑散としていて、見渡す限り自分ひとりしかいなかった。百科事典の棚、無造作に1冊を手にとってパラパラとページを手繰る。
「あった、」
囁くように呟いたそのページ、一面に雪の結晶の写真が並んでいる。そして熱心に上から順番に目を注ぐ。6つの対称の、花びらを持つ結晶を六花と言うらしい。なんだか素敵じゃない?口の中で小さく呟いてみる。
「ほしじょう、ろっか…りっかけ、っしょう」
歌でも口ずさむように文字を音読したその時、背後で人の気配がした。なんとはなしにそちらに目をやって一瞬、ぎょっとした。

―――目の前に、たった今眺めていた結晶と同じ種類の、六花の結晶が迫っていたから。

その至近距離に、思わず小さく声をあげる。けれど驚いたのも一瞬、それが牛乳のマーク…雪印、だという事に気付いて慌ててそれから目をあげた。

「やる」

牛乳が、喋った。…のではなくて、その牛乳を私の眼前につきつけていた(ちょうど水戸黄門の印籠のように)本人が、つっけんどんに言った。私はそこで初めてその人の顔を視界にいれて、そして―――唖然とした。

「……え、」
(み、みかみ…?)
「やる」
有無を言わさず押し付けられて、私はどうしていいかわからずおぞおずとそれを受け取る。
「…牛乳嫌いなんだけど、」
思わず呟いてしまって、三上の視線にはっとした。そして俄かに狼狽する。
「…ごめん」
「何が」
三上がイライラした調子で、吐き捨てるように呟いた。私は今すぐにここから逃げ出したい気分になって、ズルズルと足を滑らせて少しづつ後退した。
(なんで私が逃げなきゃならないの)
わからないけれど、とりあえず三上の視線から逃れたい、と切実にそう思った。だから、三上からできるだけ離れようとゆるゆると後ずさりする。不意に、三上のまっすぐな視線に陰りが見えた気がしたその瞬間、開いていた距離をばっと詰めてきた三上がガッと私の手を掴んだ。
「つーかお前、なんで逃げんの?」
荒々しい態度とは反対に、どこか悲痛な響きをこめて三上が言った。
「……だって、」
三上の射るような視線を感じながら、私は本棚に並んでいる本を凝視する。掴まれた左手に、一層力がこもるのを感じた。私は深呼吸して、目をつぶる。そして恐る恐る口を開いた。
「三上が怖い、から…どうしていいかわからなくって…それに、三上がなんか…私に会うの…嫌そうだったから、」
急に情けない気持ちに襲われて、泣きたい気分になる。あの日あの時、あそこを通り過ぎていれば、と後悔の念に襲われる。けれど不意に、掴まれた左腕にこもる力が、わずかにゆるまった気がして顔をあげた。

三上が、頭を抱えたままへなへなと床にへたり込むのを見て、私はぎょっとする。まだつかまれたままだった腕につられて、私もペタンと床にしりもちをついた。

「な、なに、どしたの…?」

私は慌てて、三上を覗き込んだ。

「や、わりぃ……力抜けた…俺も同じ事、考えてたから…」

三上が呆然と呟いた。私は驚いて、三上を見返す。

「なんでお前が俺を拒絶するんだ、って、ずっと思ってた……」
「へ、……なにそれ、」
「……なんだ、……笑える」

突然、三上がお腹を抱えて笑い出した。私は一瞬狐につままれたようにびっくりしてそれを見ていたけれど、不思議な事になんだかだんだんお腹の底から笑いが込みあげてきて、たまらず笑い声をあげた。それからしばらく、誰もいない図書館で、三上とふたり、弾かれたように笑い続けた。

まるでこれまでの溝をうめるよう、に、笑い続けた。

腹筋が痛くなるほど笑って、涙がでて、笑いつかれた頃、それまでのモヤモヤとかイライラが嘘のように消え去って、妙にさっぱりしている自分に気付いた。なんだか、悩んでいた事が馬鹿らしいほどにあっけなくて、幾分拍子抜けした気分になる。
「笑う角には福来る、ってやつね」
神妙にうなずいて呟いたら、三上があきれた顔をした。
「…牛乳返せ」
「はい?くれたんじゃないの?」
「嫌いなんだろ、喉かわいたんだよ」
嫌だ、と言って腕の中で抱きしめた牛乳を、強引に奪い取られる。そしてよほど喉が渇いていたのか、三上はむさぶるように牛乳を飲んだ。ごくりごくり、飲み込むたびに上下する喉仏を眺める。
(あれ、)
突然、何か違和感を感じた。何だろう、首を傾げかけて、三上の持っている牛乳に目が釘付けになる。
(……あ)
ピンときた。やけに、静かだった。外の音が、何一つ聞こえない。

目に焼きつく、六つの花びらが広がる雪の結晶。間違いない、と確信すると、私は立ち上がった。不意に立ち上がった私に、三上がびっくりした目を上げた。私は説明するのももどかしくて、
「雪!」
とだけ叫ぶと、窓に駆け寄った。

ビンゴ!いつの間にか日が完全に落ちて真っ暗になった空から、次々と白いものがゆらゆらと舞い降りてくるのが視界に入る。下を見下ろす。いつから降っていたのだろう、もうすでに地面はうっすらと白く染まっていた。
「寒みぃと思った」
のろのろと立ち上がってやってきた三上が、背後で迷惑そうに呟いた。私はひんやりとする窓ガラスにおでこをくっつけて、無心で空を見上げた。そしてふと思い立つと、窓を開けた。キーッと軋んだ音が、しんしんと降る雪の間に響く。凍るような風が、我先にと開いた窓を通って室内に入ってきて、私はぶるりと身震いした。
「何してんだよ」
三上があきれ顔でいった。私はそれに笑い返して、窓からぐっと手を伸ばした。素肌の手に触れる雪は、空気は、身体の芯まで冷えてしまうほどに冷たかったけれど、その感触は私をひどく安心させた。それから伸ばした手をひっこめて、袖にひっかかった雪をのぞきこむ。
「…だめだ、」
「なにが」
「やっぱだめかー、雪の結晶はみれないや」
期待はしていなかったものの、私は心持肩を落とす。そして窓枠に体重をかけると、ぐっと乗り出した。
「おま、あぶねえっつーの」
三上が慌てた声を出す。
「ねえ、みかみー」
頬にあたる風が気持ちいい。なんだろう、すごく開放的な気分だ。
「あ?」
「三上のこと、嫌いになったりしないよー……。嫌いになるとしたら、三上が誰かを殴ってる所を見てしまったら、かな。あ、喧嘩とかだったらいいけどねー」
三上が背後で動くのが、空気の流れでわかった。次の瞬間、にゅっと手がのびてきてぎょっとする。

「…やる」
差し出されたのは、空の牛乳パック。
「嫌がらせですか…?」
私は眉を寄せた。
「結晶だぜ、一応」
三上が牛乳パックの表面を指差して、にやりと笑った。

それから半分だけ開いた窓に手をかけて全開にすると、私と同じように身を乗り出して空を仰いだ。その姿に、私は一瞬見とれてしまってはっとする。見とれるだなんて、そんな!頭を抱えたその時、雪にとけて消えるほどの小さな声で、三上が言うのが聞こえた。

「ありがと、な」

私は目をつぶった。
瞼のむこう、六枚の花びらを咲かせた無数の雪の結晶が、空から舞い降りてくる光景を、確かに見た。となりで同じように身を乗り出す三上の息遣いが、心地よく耳に響いた。

 

(#13.完)

 

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