14.バースデーケーキ

 きっと、いつか

 

 

車は、だだっ広い閑散とした駐車場の片隅に音もなくすべり込んだ。

車ひとつない、ひとっこひとりいない。思わず苦笑してしまうほどの、寂しさだった。そして不意にこんな日に、こんな所へ彼を連れてきてしまったことへの後悔が湧き上がってきて、申し訳ない気持ちで隣の運転席へ顔を向けた。
「誰もいねえ、な」
ハンドブレーキをかけながら、視線に気付いた三上が顔をあげた。私は苦笑して、ごめん、こんなに寂しいとは思わなかった、と小さく呟く。
「夏は、…すごかったよなあ」
ふっと三上が遠い目をしてフロントガラスの向こうをみつめる。目前に広がるは、海岸線と、遠く広がる海と、水平線の向こうの空。私は、うん、すごかったねえ、と繰り返して、ごく自然に遠い夏の日の思い出をゆるゆると思い返していた。

夏、といっても去年の夏ではなくて、それは本当に遠い夏の思い出。三上と私がまだ、高校生だった頃。その年の花火大会から付き合い始めた私達が、初めてのデートで来たのが、この海だった。そっと目を瞑ると、微かに潮の匂いがした気がした。その匂いに、手を繋ぐそのことでさえ胸が躍ったあの時の気持ち、雑踏のざわめき、空気の匂い、全てが、まるでそっくり切り取られて暖められていたかのように、リアルに胸に蘇ってきて、私は言葉に詰まってしまう。

私達は年を重ねて、大人になったのだと思う。けれどあの頃の気持ちを忘れていたわけではなくて、ただきっと、置き去りにしてきただけなのだろうと、ぼんやりと思いながら私は目をこすった。

「…どうした?」
遠くへいっていた視線が帰ってきて、私をのぞきこんだ。私はその目を見返して、この人も丸くなったなあ、と思って、そしてそんな事を思う自分がなんだかおかしくて、フッと笑った。三上はちょっと、ムッとした顔をする。
「昔のこと、思い出してた」
「……ああ」
「三上、行きたいとこあったんじゃないの?ごめん、私のワガママで、こんなとこ」
今日は、三上の23回目誕生日だった。考えてみれば、私自身の誕生日でもないのに、私の行きたいところに行く、っていうのは少し変だ。今更ながら申し訳ない気持ちが込みあげてくる。
三上は一瞬困った顔をして、けれどそれをごまかすように私の頭に手を伸ばすとぐしゃぐしゃに撫でた。
「わっ、何すんの…!せっかくセットしたのに…!」
口をとがらせて本気で怒ったら、三上が拗ねたようにそっぽを向いた。大人になったと思っても、この人はいつもまるで子供のようだ。
「うっせ、お前が行きたいとこに行きたかったんだ、っつの」
そしてそのままガチャリと音をたてて車のドアを開いた。途端に、潮の香りがさっと飛び込んでくる。
「…、なら、いいけど」
私は思わず綻んでしまう顔を懸命に押さえて、神妙な顔で頷いた。
「いくぞ、ずっとここにいるつもりか?」
開いたドアの向こう、せかすような声が降ってきて、私はわざとゆるゆるとした動作で車外に出た。手には、家から持ってきた白い四角い箱。三上がその箱に気付いて、そしてちょっと複雑な表情をするのを見てしまって、私はひっそり笑った。嫌がらせ、とかではないのだ、断じて。
近づいてきた三上に、はい、とばかりに空いている方の左手を差し出した。それをちょっと不機嫌そうな顔で見下ろした三上は、けれど、何も言わずに無造作に掌をかさねてぐいと引いた。そしてそのまま、車をはなれ、砂浜へ続く階段を降りる。

風が、せっかくセットした髪の毛を滅茶苦茶に逆立たせる。あー、もー…!と文句を言う私に、三上が、
「お前が来たいっていったんだろ」
と、楽しそうに笑った。それはそうですけど!
「そんな、冬の海なんて来たことないから、わかんないじゃん」
言い訳めいた言葉を呟いて、砂浜を踏みしめる足に視線を落とした。

ふと、あの夏の日と同じ感触のする砂が、なんだかとても不思議だ、と思った。

「…ほんとにここで食べるのかよ?」
このあたりで座ろう、というと、悲鳴にも似た三上の言葉が返ってきた。
「あたりまえじゃん」
今更何をいうんですか、という非難めいた視線で三上を見返す。ザザ―ン、と、寄せては返す波の音が背後に響いている。
「あ〜、ハイハイ、わかりましたよ」
「…いらないならいいけど、一人で食べるから」
「いらないって言ってないだろ」
三上が軽く睨んでよこす。私はそれに何気なく「そう?」と答えながらも、心の中ではほっと胸をなでおろした。そして抱えていた四角い箱をそっと見下ろす。
三上の誕生日に、ケーキを作る。それはもう、高校生の頃からの恒例のようになっていて。初めてケーキを作った時、三上は甘いものがあまり好きではないから、一口ぐらい食べてもらって後は他の人たちにわけよう、と思って持っていったのだ。けれど、三上ときたら止めるのも聞かずに全部、すごい勢いで食べてしまって。そして、お約束のように気持ち悪くなって、本当、馬鹿じゃないかと思った。後で友達から聞いた話、私の作ったケーキを他の男の子が食べるのが我慢できない、とか言っていたとか。…本当、馬鹿じゃないかと思った。
それから、毎年ケーキをつくって、それを三上が食べる、というのが誕生日の恒例となった。三上的には、きっとあの時食べてしまった事を後悔したに違いない。けれど決して嫌がらせ、とかでないのだ。本当に。誓って。

ああ、でも自分のため、ではあるかもしれないなあ。あらかじめ切り分けてあったケーキを紙のお皿にのせて三上に渡しながら、私は心の中で呟いた。

誕生日にケーキを作って、それを食べてくれる限り、ああ、大丈夫だなあと安心できるのだ。言質をとった気がして、安心できるのだ。そんなのは、勿論、確かなものでもなんでもなくて。象徴でさえ、なくて。でも、何かの形式にすがって、その形にはまってることに安寧を感じてもいいじゃないか、と思うのだ。それがたとえ、自分の思い過ごしであったとしても。

けれど、今年はそういうものにすがることが多くなりそうだ、と思うと少しやるせなかったりも、する。

憂鬱な気分で傍らを見やると、三上は海を見つめたまま無心にケーキを口に運んでいた。私は三上の横顔を見つめながら、唐突に沸きあがってきた寒気に体をブルリと振るわせた。
「…車、戻るか?」
「ん、あと少しだけ」
首を振ると、腰に回った三上の手が私をひきよせた。私はそれに抗う事なく、三上に寄り添って、それから肩にコトリと頭をのせた。
「ねえ、おいしい?」
「あー、…うん、うまい」
三上が目を泳がせる。私はその正直な反応に思わずぷっと吹き出して、あはは、と笑ってやった。
「嘘つき、」
「うるせえ…」
低い声が、風の音に混ざって耳に心地よく響く。ああ、暫らくこの声ともお別れだな、と思うと…、唐突に寂しさが込みあげてきて、私は耐え切れず立ち上がった。三上がぎょっとした視線を送ってきたのを笑顔で交わして、海に顔を向ける。

「三上」
見据えた濃紺の海は、穏やかに、そして静かに揺らいでいる。鳥が、まだら模様の空を弧を描いて飛んでいる。
それを視界に納めながら、ゆっくりと、何かを確かめるように口を開いた。

「わたし、寂しくないよ」

一瞬の沈黙の後、三上が背後でそっと笑った、ような気配がした。
「…だろうな」
聞こえた声の響きが、思いの他柔らかくて、私はなんとなくくすぐったくなって肩をすくめる。
「三上は、…寂しいでしょう」
「全然」
間髪いれずに返ってきた言葉。私はいたずらっぽい笑みで振り返って、三上を見下ろした。
「だと思った」
三上が、だろ、と言ってにやりと笑った。私もそろってにやにやしながら、三上に手を差し出す。三上の掌がかさなって、風にさらされて冷たくなってしまっていた掌を包み込んだ。ぐっと握って、そのまま引っ張り上げる。
「ちょっと、歩こう」
見上げて合った目の向こう、まるで高校生のあの夏の日のようにはにかんで、三上の手を引いた。
「みかみー」
風は、相変わらず冷たい。潮の匂いは、もう慣れてしまった。
「なんだよ」
「あのねー、寂しくなったら浮気してもいいよー」
「わかった」
「……」
「嘘だって、しねーよ、寂しくなんねえもん」
「言ってろ」
波打ち際で、ははは、と三上が笑った。
「高校2年の夏からのお付き合いだからー、いち、にい、さん、」
指折り数え始めた私を制して、三上が呟いた。
「6年と、半年」
私はちょっとびっくりして、三上を見返した。三上の顎、口、耳、黒い髪の毛、それから、目。
「それに比べたら、1年なんてすぐじゃねえの」
三上は妙にすがすがしい顔で風に吹かれている。なんだか悔しくなって、ミゾオチに一発食らわせてやった。

わかっては、いる。1年なんてきっとすぐなのだろうと。三上がプロサッカー選手になってから、いつかはあの街を離れていくのだろうと覚悟はしていた。それが、1年間のレンタル移籍でちょっと遠くへ行ってしまうだけのこと。それだけのこと、だ。それに、全く会えないというわけではない。むしろ、世間一般の遠距離恋愛というやつよりはもっと緩いものなんだろう。日本、ということに変わりはないわけだし。けれど、今まではどんなに会えなくても、深夜に車で会いにいけるような、そんな距離で。………贅沢な悩みだとはわかってる。

でも、三上が、いないということが、想像もできなくて。

ただ、想像もできなくて。

「三上、わたし…寂しくないよ」
「知ってる」
鼻がツンとなって、グスリとすすったら、三上が私の体をそっと抱き寄せた。
「…泣いてないよ」
「知ってる」
「三上」
「ん、」
「嫌い」
「…、知ってる」
「…うそだよ」
「知ってる」
「三上」
「……」
「泣いていいよ」
「…お前、ちょっと黙っとけ」
しょっぱいのは、潮のせい。私は三上の胸に、ぐっと頭をおしつけた。

鋭い風と、それに相反するような優しいさざ波の音と。不意に瞼の裏にあの、夏の日の思い出が蘇ってきて、私はそっと息をついた。

 

 

 

海岸の丘の上のレストラン。いつかあそこに食べに行こうね、と約束したそのレストランへ向かう。
「プリンが乗ったケーキとか、ないっけ」
階段の途中、不意に立ち止まった三上が振り返って言うから、私ははあ?と思わず素っ頓狂な声をあげた。
「…あったような気も、しないでもない」
「来年、それ作って」
私は驚いて三上を見上げた。…初めてだ、三上がケーキの注文するのは。照れ隠しの不機嫌そうな表情で、三上は私の好奇な目から逃げるように残りの階段を駆け上った。

浜風が、三上の髪の毛をかきあげ、涼しい顔をして必死な私達の傍らを駆け抜けていった。

 

 

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