もしかしたら三上が好きなのかもしれないと思ったのは、あの雪の日に図書館で、三上の横顔を盗み見ていた時だった。「もしかしたら」「かもしれない」という枕詞が、私の中に残った、それをまっすぐに肯定しきれないでいる1つの意地だった。いや、というよりもたんなる臆病心なのかもしれない。
けれどそれは、突然何かが空から降って来たような、そんな勢いでやってきた。
それまで意地になって遠ざけてきたことが、バカみたいだったかのように。
15.ざくろ石 Vol.8
like a drop
たいして欲しいものがあるわけでもなくぶらりと出かけた日曜の午後。ウインドウショッピングといってしまえばちょっと素敵な響きだけれど、結局のところお金がないから欲しいものがあっても全ておわずけ。やっぱり何を買うわけでもなく、なんとなく立ち寄ってしまうのは駅前のアクセサリーショップ。ずらりと並んだアクセサリーを見回して、可愛いなと手にとってみても、どうしても買うところまでは気持ちが持ってゆかないのは常のこと。
この日も例外なく、店の中をなんとはなしにブラブラしていた。ビーズのピアス、指輪、シルバーのネックレス……何か石がついたネックレスが欲しいなあ、と思いながらも歩くペースは変わらない。ふと、小さな赤い石がついたネックレスがなんとなく目に付いて、そろりと近づくと覗き込んでみる。見ているうちにそれだけでは飽き足らなくなって、手にとって目の高さまで持ち上げてみる。蛍光灯の光をキラキラと反射させるその石がひどく眩しく感じて、そして同時に憧れのようなものを覚えて私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「…誰か、1月生まれなの?」
不意に右隣から声がかかって、私は思わずぱっと振り返った。不思議そうな顔で覗き込むと目があって、なんとなく肩をすくめてみせる。
「びっくりさせないでよ、……なんで1月?」
「書いてある」
そう言ってが指差した先、確かに何か書かれているカードが貼ってあって、なんでさっきまで気付かなかったのだろうと私は不思議な心持で首をかしげた。
「…あ、これ、1月の誕生石なんだ」
カードの文章を一読して、私は手元の赤い石を覗き込んだ。あいかわらず光を反射してキラキラしている。
「ガーネット…、ざくろ石」
その石の名前を試みに口内で呟いてみると、なんだかひどく神聖なもののような気持ちになる。
「ね、綺麗じゃない?」
「うん、ね」
気のない返事。の反応に多少ムッとしながら、私は手にもっていたざくろ石のネックレスを元の場所にそっと返した。たしかに気にはなる。そして欲しくもある。けれど誕生石、といわれるとどうも買いにくいのだ。1月生まれでもないのに、その石を買うのはなんだか邪道なような気がしてしまう。
「いいの?」
「うん、いいや」
本心に合わないことを言うのは、ひどく心地悪い。それでもそこまで欲しいわけじゃないし、と自分に言い聞かせながら私はお店を後にした。まさに後ろ髪引かれる思い、ってやつだった。
わりと諦めのいい方だとは自負している。しているのだ、けれど…。
けれどあの、赤い色の石が光をあつめてキラキラ輝く光景がどうしても頭にこびりついて離れない。まるで何かの魔法にでもかかったかのように、頭にふっと浮かんではいつのまにか消えていく。そのせいで私はその後もなんとなく落ち着けないでいた。アイスを食べながらも、洋服をみながらも、歩きながらも、気付けば心が舞い戻る。
赤色が、心をざわつかせる。
決してないお金を叩いて買いたいほどの衝動ではないのだ、けれど一度抱いてしまった憧れは簡単に崩れるようなものでは決してなくて。時間を置くほどに、それは徐々に心の中で存在感を増していった。
そうやって何かにのめりこんでいく事が、私はすごく怖かったのだ。
けれどそれは、突然何かが空から降って来たような、そんな勢いでやってきた。
昼食のカレーライス。何の気もなく大きめのにんじんを1つ口の中に放り込んで、一口噛み砕いた、その瞬間だった。まるでそれが何かのタガを外す行為でもあったかのように、心の隙間をビリビリッと何かが駆け抜けたのは。けれどそれは雷が全身に落ちたとかそういう部類の衝撃では決してなくて、どちらかといえば電気風呂に入った時の、くすぐったいようなそんな優しい衝撃だった。
動悸が高まる胸を押さえて、私はごくり、とまだ完全に砕け切っていないにんじんを飲下した。
そうして、目前でカレーに没頭するを真っ直ぐに見据えて、酸素を胸いっぱいに吸い込んだ。
「…わたし、三上のことが好きかもしれない」
まるで一世一代の告白のような心持で、私は右手にスプーンを、左手にフォークを握り締めて、カレーライスの上に覆い被さるような勢いで身を乗り出した。
それまで無心にスプーンでカレーライスを口に運んでいたが、口をもごもごとさせながら不審気に顔をあげる。あまりに真剣な私の視線とぶつかったらしいは、眉間に皺を寄せたまま困った様に肩をすくめた。
「…なに、をいまさら」
たっぷり1分の間、ゆっくりと食べ物を飲下したあと、彼女は半ば呆れ声で返事を投げ返した。「え、」と思わず言葉につまった私を横目でチラリと見てから、カレーライスに再び視線を落とす。私もつられてその手元をみる。は右手で福神漬けとカレーをぐねぐねと混ぜ合わせながら、
「あんなに三上三上いってながら、嫌いだって言われたらそりゃあ驚きますけどね」
ヤレヤレとでもいうようにため息を吐き出した。
「……、なんだ、気付いてたなら早く言ってよ…」
私は思わず脱力して、そのせいで握り締めていたフォークとスプーンが小さな音をたててテーブルの上に倒れた。
「ばかでしょ、知ってたけど」
「シャラップ。…認めたくなかったんです、意地でも」
「意地が崩れたその理由はなんだろうね。何かあったか」
「なんも。空から降ってきた」
ぶっ、と福神漬けを勢い良く吹き飛ばしたに、思わず口をついてでそうになった本音のところを、ぐっと喉の奥に飲み込んで、かわりに私はお腹を抱えて笑った。
ただ、怖かったのだ。一度信じたことを忘れることはできても、取り消す事は決してできないという、その事が。
* * *
不意に声をかけられたのは、駅前の本屋に雑誌を買いにふらりと出かけた帰り、例のアクセサリーショップの前で入ろうかどうしようかと一時思案していた時だった。
「?」
反射的にハイ!と声を上げて振り返れば、
「…み、みかみ!」
そう、三上がそこに立っていて。三上が好き宣言をしたのが昨日今日のことだったから、私は神経過敏になって思わず2、3歩飛び下がった。
「…驚きすぎだろ」
三上はそんな私をいつもと変わらずあきれた顔で一瞥して、そして「何やってんの?」と重ねた。
「あ〜、えっと…本屋さんの帰りなんだけど、ここに入ろうかどうしようか悩んでた」
へへへ、と変な笑いを浮かべて、私はここ、とアクセサリーショップを指す。
「…お前でもこうゆうのつけんの?」
「うっわ、しっつれーな!」
「だってつけてんのみた事ねえし」
「そりゃそうでしょ、だって制服着てるときくらいしか会わないじゃん」
「今も制服だしな」
何故だか可笑しそうに三上は笑って、そしてアクセサリーショップのウインドウに目を移した。
『三上は何してんの?』と尋ねるタイミングを逸して、私はちょっとだけがっかりしながら、けれどもウインドウを指差して、
「あれがほしいの。買って」
と、あの赤い石のネックレスを指差してなるべく何気ない口調で言った。
「…いくらすんの?」
即刻却下されると思っていたところに思いがけぬ返答が帰ってきて、私は無条件でぎくりとする。
「1500円だったかな」
「はあ?たっけーよ!俺あれがいい、あれ買ってくれたら買ってやる」
あれ、と指差された方向をみて、がっくりくるよりも先に思わず吹き出してしまう。
「…あのモアイ像みたいなお面?三上くん趣味ワルイ!」
「いえいえ、さんには負けますよ」
「なんで!かわいいじゃん、あのネックレス…、あれ、三上って何月生まれ?」
そういえばあれは誕生石だったんだ、という事を思い出して何の気はなしに尋ねる言葉が口をついて出た。
「8月」
「へえそ、」
「うそ、1月」
「……」
「…んだよ、1月だっつってんだろ」
「意味のない嘘つかないでくれる。…で、1月なの?」
「そうだつってんだろ」
「何日?もう過ぎた?」
1月か…、と心の中に刻みつけようとしたその時、ざくろ石のネックレスがさっと視界を掠めた。
「えっ、1月!?」
「しつこいっつの」
三上が口をへの字にまげるのをみながら、血管がドクドクと波打つのを耳の奥で聞いた。
あの、赤い石を最初に見た時にぐっと惹かれた感覚や、憧れを抱いた光が唐突に、そして鮮明に蘇って、私は息を飲み込んだ。
「…あの赤い石ね、誕生石なんだ。1月の」
呆れ顔の三上に構わず、私は一語一語確かめるように慎重に言葉を発した。けれど三上は、「へえ」と別段興味なさそうに赤いネックレスを一瞥すると、再び往来に視線を向けた。
私は三上からは死角になっているその場所で、もう一度赤いネックレスを眺めて、そして、押さえられない動悸を押さえるべく胸に手をあてた。ドキドキする。
これは三上への想いか、ざくろ石への想いか。
2つの形容できない感情の狭間で、私はオロオロと財布に手を伸ばした。覗き込んだお札入れには、千円札が一枚。小銭入れには、10円玉と1円玉。絶望的な気分になる。
(現実はこんなもの、だ)
繋がらない2つのものが、偶然につながってしまったそのことに必要以上に動揺している自分を認めて、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
「お前、学校帰るんだろ?」
振り向いた三上に問われ、私はうん、と無言でうなずいた。
その振り返った表情にさえドキリとしてしまうのは、私は多分今、感情が2倍にふくれあがってしまっているそのせいなのだ、と再び言い聞かせて、「いくぞ」と歩きだした三上の背中をふらふらと追った。
そう、だからいやだったのだ。
認めることは、もう後戻りを許さないから。
あのざくろ石のネックレスを今度こそ買おうと、2000円を握り締めてあのアクセサリーショップに行ったのは、それから3日後のことだった。
蛍光灯に照らされてあの店のどの石よりも輝いてみえたそれは、けれど、ディスプレイから忽然と姿を消していた。
「ごめんなさい、さっきちょうど売れてしまって…、次の入荷まで1ヶ月はかかってしまうんですよ」
申し訳なさそうな店員さんの言葉を、私は上の空で聞いていた。
なくなることを、考えなかったわけじゃなく、ただ考えたくなかっただけだ。
ぼんやりと寒さに早足になる人ごみの中を歩きながら、私は途方に暮れた。
横断歩道で立ち止まって、信号を見上げるために顔をあげた、その時だった。
いやなことはかさなるものだと、それを体験するたびに思う。
三上が、道路を挟んで向こう側、女の人と腕を組んで、同じように信号待ちをしていた。
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