だからさ、君の切なげな横顔に惹かれたなんて、何の冗談にもならないじゃない。その視線が遠くあのヒトを追っているだなんて、そんなこと。
forget me, not
それは12月の中ごろだった。特筆すべき事といえば、高校時代もあと少しで終わってしまうと、毎日カウントダウンしながら流れていく日々を惜しんでいた時期だった事。目前にせまった受験にせっぱつまりながら、けれどそれ以上にこの場所から去る日が刻一刻と近づいているその事に、みんなどこかで名残惜しんでいた。
その頃私は後ろから3列目、窓際から数えて4個目の席に座っていた。しんそこ窓際の席がうらやましくて、暇さえあれば窓の方ばかりみていた。私の一列後ろの窓際に三上が座っていて、うっかり彼の表情に目をとめてしまったのは、そういう事情があったように思う。三上とは3年間クラスメイトで、けれど特別仲が良かったというわけでもなく、もっと言えば必要以上に話した記憶は、あまりない。そんな彼だからこそ、もしかしたら私の気持ちが吸い寄せられてしまったのかもしれなかった。ほら、未知のものには好奇心がわくものじゃない?最初はただぼんやりとみていたんだ。机に頬杖ついて、俯いた目線を少し後方にむけて。誰かの行動をそうとは知られずに観察するのって面白いじゃない?だけどある時、私と同じように頬杖ついて、顔を少しだけ窓の方に向けていた三上の表情が、わずかに崩れるのをみてしまったのだ。彼の仏頂面に慣れていた私はそれだけでもドキリとした。のに、それから目を少しふせて、切なげに瞬いた彼の横顔に、私は不本意ながら釘付けになってしまったのだ。思えばその頃むしょうに切ながっていた私の感情と、彼のそれが共鳴したのかもしれなかった。
ともかくも私は、気付けば何時の間にか三上から目を離せなくなっていた。
だから、彼がそうやって目を細めて窓の外を眺めるその視線の向こうには、常に隣のクラスの鈴木さんがいるってことにも、すぐに気付いてしまった。わからないわけはない。あれは、確かに誰かに恋焦がれる眼差しだったのだ。ねえ、これは笑い話かもしれない。そんな君に、どうしようもなく胸が高鳴ったなんて、そんなこと。―――笑うしか、ない。
「先に教室もどってるね」
席につくが早いか昼食をかきこんで、話に花をさかせる友人達の輪から素早く席を立ったのは、次の時間提出の宿題が終わってないという理由もあったけれど、1人になりたかったという理由もひとつにはあった。寮生活というのは厄介なもので、何やかんやと付き合いが欠かせないのだ。自分からすすんで一人の時間を作らない限り、そうめったにありつける時間でもない。そしておかしなもので、全学年が食堂に一同に介し食事をとるその時間の教室というものほど、ひっそりとした空間はないのだ。兎にも角にも、昼食の時間を削ってまで得るこの時間が、私はすごく好きだった。
ガラリと無造作にドアを開けて、教室の中に身体をすべりこませようとしたその瞬間。軽い気持ちで見回した教室に、けれど予測していなかったものがその目に飛び込んできて、私は思わずぎょっとした。教室に踏み入れようとした足を、そのまま停止させる。ゆっくりとそれを視界に納め、そして次の3秒の間にようやくそれ―――そこにいた人物の顔と名前が頭の中で結びついて、改めて緊張で固まった。
三上、だ。
ごくり、と私は咽喉の奥で唾を飲み込んだ。
ややあって、三上が面倒くさそうな顔をあげる。空気が動いて、文字通り固まっていた私の体がすっと自由をとりもどす。目が合って、私はなんだかいたたまれない気分になってへらっと笑うとすぐに視線を外した。
「…あ、お昼食べないの?」
その場の空気を取り繕うように問いかけながら、そのまま脇目もふらず自分の席に早足で向かう。三上は立ち居地を変えることなく、最初に見た時と同じように窓辺に寄りかかったままでいる。
「もう食った」
「あ〜、…そう」
素っ気無い返事に歯切れの悪い答えを返して、私はたどりついた自分の席に身体をすべりこませた。そしてすぐに漂う気まずさを埋めるように、机の中から数学のノートと教科書をひっぱり出した。ムキになって筆箱からシャーペンを取り出して、ノートに「問1」と書きなぐる。教科書の問題を目で追って、そのままたっぷり3分。
…、解けるわけないじゃない。
泣きそうになった。
胸の内側ですき放題暴れまわっている動悸が、恨めしい。
斜め後ろで窓枠に体重を預けているはずの三上は、さっきから苛立たしげに机の脚を蹴り上げている。ときたま運動靴の靴紐がパイプ椅子に触れ合って、甲高い小さな音をたてた。その度に急かされているような錯覚を覚えて、ますます頭の中がぐちゃぐちゃになる。ああ、もう、しっかりして私!思わず抱え込んだ頭の向こう側で、不意に響いた声音に肩の力がすっと抜けるのを感じた。
「宿題?」
顔をあげる。
私は無言を答えにして、三上を見た。正直なことを言うと、何か考えることがあっての無言ではなく、咽喉がつまって言葉が出なかっただけの話なのだけれど。それでも目が合った三上はほんの一瞬探るような視線で私を見返して、まるで何かを確かめるように机の脚を蹴り上げた。
私は握り締めていた手のひらにじとりと汗が伝うのを感じて、自分が無意識に緊張していることを知る。
無理もない。こうやって面と向かって一対一で話したことなんて、これが初めてのことだったのだから。
「教えてくれるの?」
なぜだか次に発する一言を躊躇しているような三上から視線を外して、私は先手を打った。
「やだ」
「…やだ、って」
まるで駄々をこねる子供のような調子で帰ってきた即答に、私は思わず虚をつかれて目を丸くした。そして次の瞬間、お腹の底からはいあがってきた笑いに耐え切れずに声をあげると、三上はひどくいじけた調子でそっぽを向いた。
「教えて欲しいって言っても教えてやんねえよ、って言おうと思ったんだよ、それをお前が先にいうからいけねえんじゃねーか…」
「あら、それはご親切にどうも」
おどけた調子でからかってまたひとしきり笑うと、なんだか緊張して強張っていた体が嘘みたいに軽くなっていた。
「…早くやれよ、休み時間終わるぜ」
「あら、ご心配どうも。痛み入ります」
凝りもせず茶化すように畳み掛けたら、三上は苦虫をかみ殺したような酷い顔をする。
「いちいち突っかかる奴だな…」
負け惜しみのような言葉を背中で聞き流しながら、私は机の上に開いたままだった教科書に目を落とした。胸にじわりと広がる余韻のような暖かさを認めながら、紛らわすようにシャーペンを握りなおす。すると不思議なことに、さっきまでは全く頭に入ってこなかった数字や記号が頭の中で組み合わされて、シャーペンを握る手がごく自然に動いた。自分のことながらその変貌におかしみを覚えて、私はしばらく無言でその作業に没頭した。
ふと弾かれたようにペンを動かす手を止めたのは、三上の意識が私の上から不意にそれたような気がしたからだった。気配の変化みたいなのがわかるわけではない。けれど、それは覚えのある空気の動きだった。その微かな変化を無視できるには、おそらく私は三上を観察しすぎていた。条件反射というべきかもしれない。唐突に心臓を逆撫でするような不快感が背中の方からひたひたとやってきて、私はそれがもつ意味をおぼろげながら予測する。予測というにはあまりにも確実すぎて振り返ってそれを確認する勇気を持てずに、私は今の時間に作り上げたノートに目を落とした。
そして再び数字や記号の羅列が意味をなさない文字列と化して脳みそを通りすぎ、ヤバイな、とどこか冷静な頭で思った。
その時、ひどく唐突に―――もちろん、規則正しくはあるのだけれど、その状況からしてという意味で―――がらんとした教室をチャイムの音が大きく震わせた。
私は思わず肩をびくりとさせて、そしてほとんど考える暇もなく後ろを振り返った。耳の奥にエコーするチャイムの音はけれど、それに重ねるように暴力的な鐘の音をこの場所に放り投げ続けている。
振り返り、視界に納めた三上の表情に私は我知らず息を詰めた。
途端、脳裏に刻みついた三上の表情が視界を横切る。ほんの一瞬、現実か記憶かが曖昧になって、幻想を振り払うためにひとつ瞬きをした。けれど私の心臓を無条件で加速させるその表情はそんなごまかしなど看破してはくれなかった。
―――彼女だ。
私は苦い思いで唾を飲み込んだ。
彼が見つめる視線の先には、多分鈴木さんがいるのだろう。いや、いるに違いない。だって、どこか遠くを見るような優しい眼差しが今だかつて彼女以外に向けられたことを私は知らない。
軽い絶望を覚えて、けれどそれを覆い隠すように苛立ちがせきあがってくるのを、私は硬直したままの姿勢で待っていた。
「三上」
微動もせず窓の向こうを見やっていた三上の表情がわずかに揺れるのをみて、私はすかさず畳み掛けた。
「…告白しないの?」
振り向いた三上のあからさまにぎょっとした表情よりも、瞬時に剥がれ落ちた「彼女を見る表情」のほうにほっとした。そんな表情を面と向かって見た時に、せっかく心を満たし始めた苛立ちが霧散してしまうのが怖かったのだ。結局私がほれてしまったのは、鈴木さんを好きな三上なのだ。不意に自嘲が胸の奥から込みあげてきて、それを自制する気力もなく薄い笑みを唇に張り付かせた。
「告白しないの?…鈴木さん、でしょ」
「おまえ…」
「なんで知ってるのかってカオ。わっかるよー、いつも泣きそうな顔で鈴木さん見てんじゃん」
「……みて、ねえ」
絞りだすような三上の声に、耐えられなくなって視線をそらした。
「みてる」
「みてねえ」
「みてるってバカ」
「みてねえっつってんの」
「みてる!」
「しつこい!」
「しつこいのはそっちだ!」
自制が外れて勢いのまま上げた耳の奥にキーンと残るような大声に、思わずはっとして我に帰る。三上も一瞬、はっと開きかけた口をつぐんで、居心地悪そうに頭を掻いた。
「お前には関係ねえよ」
「ある」
「ねえよ、第一まともに話したの今日が初めてだろ?」
それを持ち出されたら、私の立場は無いに等しかった。ずっと見ていたなんてそんな事、言えるはずがないのだ。三上が鈴木さんに告白できないのなら、私がそれを言うなんてなおさらのこと。
…なんていうのは全然論拠の組み立てがなっちゃいないという事はわかってる。三上が鈴木さんに告白することと、私が三上に告白することは決してイコールにはなりえないのだから。わかってるからこそ、私はひどく情けない気分になる。
「…」
急にしょんぼりと肩を落とした私を見て言い過ぎたと思ったのか、三上が心持情けない声で私の名を呼んだ。
「…もうすぐ、卒業しちゃうんだよ?」
私は三上の呼びかけを意図的に無視して、唇にのっかていた言葉を何の思考もせず吐き出した。自分で発した言葉なのに、その意味を考えてしまって泣きそうになる。この言葉は多分、自分に言いたかったのだ。まるで出口を求めるように堰き上がって来る嗚咽を懸命に堪えて、私はうつむいた。
落ちる沈黙が、余計に胸を締め付ける。
けれどやがて静寂を破って意を決するように発せられた言葉に、私は一瞬呼吸を忘れてしまった。
「おまえ…」
言葉を切って、何度も躊躇するような間を置いてから三上が言った。
「……俺のこと…」
私は嫌な予感に押しつぶされそうになりながら、膝の上の握りこぶしをもっと強く握り締めた。汗が背中を伝うのを感じながら、最悪の事態にどう行動しようかとありったけの思考回路を集めて考えていた。
たっぷり10秒後、がたっという椅子が机にぶつかる音が背後でして、私は怯えるようにおそるおそる顔をあげた。
「なわけえか。…なんでもない」
三上の声がそれに続いて、緊張に強張らせていた体がゆるゆると弛緩するのを感じる。違う、思い違いなんかじゃない。叫びだしたいのに、訴える言葉は、けれど胃のずっと奥に沈殿したままだった。
無遠慮なガサガサと何かを探る音が背後でして、ようやく振り返ろうとした私の頭を瞬間、何かがパン、と場違いに朗らかな音をたてて打った。
「宿題。見せてやるよ。休み時間あと10分で終わんねえだろ?」
ばかめ、と笑った三上はその手にあったノートでもう一度私の頭を軽く叩くと、ぐいとそれを差し出した。
「いらない」
「ばか、意地はるとこじゃねえだろ」
「張るところ、だよ」
今度こそ本当に泣きそうになった私は、精一杯の声を絞り出した。三上はちょっと困った顔で私を見下ろすと、
「ま、がんばろうぜ」
差し出したまま所在のなかったノートを私の机の上に放り投げて、ひどく小さな声でそう言った。
はっと顔をあげた私の視線から逃れるように背を向けた三上に、慌てて声をかけた。
「ど、どこいくの?」
「トイレ〜帰るまでにそれ写しとけよ」
「じゃあ一生かえってこなくていいよ」
「…んだとお?」
ピクリと眉をよせて振り返った三上に、私は声をあげて笑った。
そして、まだ終わったわけではないのだ、私の恋も、高校生活も。心の中でそっと言い聞かせて、放られたノートに手を伸ばした。
forget me, not
16.素直じゃないひと
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