あの頃、二人で歩いたこの道は、全てがあの頃のままだった。

歩調にあわせてゆっくりと後ろに流れる景色。出っ張った電柱、ブロック塀、公園、破れたフェンス、赤い瓦の家。

それからシンと静まり返った、夜の道。

肌に感じるこのひんやりとした空気までも。

そう、全てが、眩暈のするほどに――――――― 同じ、だった。

 

 

 

2.夜道 

 つかんだささやかな…

 

 

 

努めて意識しないようにしようと、同窓会の間中、ずっとそう自分に言い聞かせていた。

私の席から5席右隣の向かい側。席の都合上、自然と限定される話相手の外側に、三上は座っていた。洩れ聞こえる笑い声、はしゃぎ声、ふとした瞬間に目に入る横顔。そう、意識しないようにと言い聞かせていたのは、他でもない、放っておくと三上のことばかり考えてしまう自分がそこにいたからだ。横に座る山田くんのギャグに大笑いしながらも、心の半分はあさっての方向を向いていた。

中学以来、成人式を迎えるまであうことのなかった元クラスメイト達との話題は、つきることを知らない。3時間やそこらで簡単に埋められるほどの時間ではもちろんなかった。だから1次会から2次会に雪が崩れるようにしてなだれこむのも、自然な成り行きといってよかった。ほとんど全員が2次会にうつっていく中、私だけは後ろ髪のひかれる思いで、みんなに別れを告げた。明日の早朝にバイトが入ってしまっている身としては、この辺りが限界だった。2次会の居酒屋へ移動していく同級生達を軽く見送ってから、私はここから歩いて15分ほどかかる自宅へ、帰ろうと一歩足を踏み出しかけた。

ところが、その時背後で、

「じゃぁな。また連絡するわ」
「おう、気をつけてな。がんばれよ」

という声が聞こえてきて、私は出しかけていた一歩を戻して後ろを振り返った。
振り返った数メートル先、2次会に向かう同級生たちに軽く手をふる……三上が、そこに背中を向けて立っていた。
三上が振り返る。目が合う。心臓がドクン!と一回大きく鳴った。

「…三上。どうした、の」
きっと私は、さぞ間抜けな顔をしていたことだろう。だってまさか三上が、1次会で帰るとは思わなかった、のだ。最後まで三上のことを意識しないことをやりとおせた、と思ってほっとした矢先に、突然こんな――――ふたりっきり、になるなんて。私の回転の悪い頭は、うまく事態についていけないで同じところをグルグル回っていた。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

「俺も明日練習あるし」
三上はごく自然な調子でそういうと、呆然としていた私を追い越して歩きはじめた。もしかしたら、これが今日三上と交わした、はじめてのちゃんとした会話かもしれない。ちょっと迷ってから、後を追おうとしてふと我に帰る。
「三上、駅あっち…」
私は思い至って、咄嗟に三上の背中に呼びかけた。三上が住んでるのは、たしか話によるとこの駅から電車にのって数駅先だったはず。前を歩いていた三上は私の言葉にちらりと少しだけこちらを振り返ると、立ち止まった。少し離れたこの場所からでもわかるくらい、はあ、とおおげさにため息をつく。
「…送ってく…っつってんの」
察しろよ、ばーか。三上があきれた顔で私を見た。
「え、いいよ、そ」
「ハイ、人の好意には甘えましょう。いくぞ、んなとこでずっと突っ立ってたら風邪ひくぞ」
三上はそう言って前に向き直ると、私の返事なんて最初から気にもしてなかったかのように、またゆるりと歩き始めた。

その強引さに、私は仕方なくヤレヤレと肩をすくめた。

――――――変わってないなあ。

そう思って苦笑した時、突然に前触れもなくどこからか懐かしい気持ちがやってきて、私の心をグングン満たしていくのを感じた。それと同時に、さっきまでの動顛した気持ちや、過剰にドクンドクン波打っていた心臓が、不思議にスーッと静かになっていくのだった。

そうか、私は三上がこうやって私に話し掛けてくれることを、どこかで期待していたのだ。

私は前に向き直ると、少し遠くなってしまった三上の背中を小走りで追った。

私の追ってくる足音に気付いたのか、三上が面倒くさそうに振り返った。でもその振り返った顔がニヤリと笑って、私も同じように笑いかえした。

二人の間に流れていた、“時”という厚くてけれど儚い壁が、ゆっくりと静かに崩れおちる。

「サッカー、つづけてるんだね」
深夜のがらんとした街の中に、小さな声がわんと響いた。
「…ああ、おう。…なんで?」
三上は歩くスピードをおとして、私の横に並んだ。不思議そうに眉をひそめる。私はその表情を、ああ、やっぱり三上だ。と、当たり前のことに感心しながらながめていた。
「この間の試合、惜しかったね…。まあこっちとしてはラッキーだったけど」
私はいたずらっぽく笑いながら、三上の顔を覗き込んだ。
不思議だ。こうしていると、まるであのころに戻った気がしてくる。
「…は?え、なにもしかして…」
「うん、そのもしかして。あそこの大学いってんの、わたし」
「まじかよ!」
三上が苦笑して、私はそのせいで一層笑った。ああ、やっぱり三上だ、と思って笑った。

三上の足は、まるで5年間のブランクなどなかったかのように、自然に角を曲がる。私が飽きるほどに通い慣れている道を、通い慣れていないはずの三上の足は、迷うことなく私の家をめざす。

あの頃のように。

まだ私達が中学生だった、あの頃のように。

精一杯毎日を過ごしていて、けれど想いが通じることはなかった、あの頃。

名目上は全寮制となっている武蔵森学園の、数少ない例外――自宅通い――だった私を、三上は度々こうやって家までおくってくれた。こっそり寮を抜け出して、こうやって連れ立って歩いた思い出は、今も鮮明に私の頭にやきついている。

だけど、何故。

聞けなかった問いは、今も私の心の奥底にべったりと張り付いている。

だけど、何故。彼は私を送ってくれたのだろう。

だけど、何故。彼は私を送ってくれているのだろう?

私は、大人になった。

そこに何かを期待してしまう私と、傷つくのをできるだけ避けようとして、逃げようとする私が交差する。

 

「…寒いな」
三上が、冷たい空気の中で白い息を吐いた。
「冬だからね」
「…お前、それ中学生の会話だぞ。進歩ねえな」
三上があきれた顔で笑った。

何度めかの角を曲がってすぐ、自動販売機が目に入る。
1番右のコーンスープ、目を瞑っても自然にボタンを押してしまうくらいに、毎日買っていたっけ。
自動販売機の横のゴミ箱。遠くから缶を放って、入るかどうかのくだらない競争もした。
大学に通うときにも毎日ひとりでこの道を通っているはずなのに、なんで今日に限ってこんなに全てが感傷的にかんじるのだろう。

三上の存在それだけが、見慣れた街をセピアに染める。

変わらない街と、変わってしまった自分。

時が流れないセピア色の街と、知らないうちに大人になってしまった自分。

突然おそろしいほどの時の経過をかんじて、私は押しつぶされそうな感覚にあえいだ。

「…ねえ、三上はさー、変わった?」
私の問いに、三上は私を見返した。私は三上を見上げる。
まず、三上は背がのびたなあ
「変わった。んじゃねーの」
「なになに、どこが?」
三上の真っ黒い髪の毛が、夜の闇と同化して、三上の境界線をあやうくする。
髪の毛は、かわらないなあ
「…まるくなった」
「うっそォ!」
「お前な、それ失礼だぞ何気に。ふつうそんな力いっぱい否定するかっつーの」
「だって、全然そう見えないもん」
「…悪く言えば、諦めることを知った、っつーか…まあれだな。ずるくなった」
三上が、自嘲の笑みを浮かべた。

ずるくなった。

その一語に、私の胸がズキンと痛んだ。

ずるくなったから、私は、ずっと楽しみで仕方なかった三上との再会を、自分が傷つかないためのショートカットとして、意識しないことに努めたのだろうか。

酔いのせいかもしれない。
同窓会から続く、センチメンタルな気分のせいなのかもしれない。

いやきっと、多分一番の原因は、三上が私の隣を歩いているということ、そのせいで。

私は気付いてしまった。

あの頃からずっと、私は三上を好きだったのだ、と。

人並みに恋愛経験はしてきたつもりだ。けれど振り返ってみれば、いつだってどこかに三上の存在が心のどこかにあった。好きになったのは、黒髪で、素直じゃなくて、サッカーの好きな男の子だった。一度だって付き合ったことのない男の子が、ずっと心のどこかできにかかっているなんて、よく考えれば変な話だ。

 

中学生の三上の背中が、前を行く三上の背中の上にかさなった。

中学生のわたしたち。三上が好きだった、私。…私を好きだった、三上。

 

いえなかった言葉、触れられなかった手のひら。

今なら酔いの勢いで、簡単に言ってしまえる気がする「好き」という言葉、つなげる気がする、手。

 

「 …まあれだな。ずるくなった 」

 

なるほどこれが“ずるい”ということか、私はこっそり苦笑した。

「俺たち、付き合ったことないんだよな、そういえば」
半ば独白のように呟かれたその言葉に、私は立ち止まった。いつのまにか、家がすぐそこまで近づいていた。

「…うん。でも、同じようなもんじゃない?」
付き合っていたの、とさ。私は心の中で、そっと自分に言い聞かせるように呟いた。

好きだと言葉に表すことだけが、きっとそう、全てではない。

あの頃確かに想いが通じないと、そう思っていた中学生のわたしたち。

変わってしまった何か、変わった今だから言える、感じれる何かが私のささくれ立っていた心を柔らかくしていく。

三上が、微かに笑った。そのおかげで冷たく張りつめていた空気が、優しく動いた。


三上がそっと私の名前を呼んだ。同時に、ポケットから携帯を取り出す。
「番号は?」
まって、と言って私も慌てて携帯を取り出す。
「…お前、自分の番号くらい覚えとけよ」
「いいじゃん、見れるんだからさー」
ブツブツ言いながらも自分の番号を伝えた。
それとほぼ同時に私の携帯が短く鳴って、三上の番号が私の携帯に記憶される。

「来週試合あるんだけど、見にこいよ」
「名誉挽回、って?」
調子にのってからかったら、三上に頭を軽くこずかれる。
「お前なあ、俺のスーパープレー見たらきっと頭あがらなくなるぜ」
「うわ、言うー!…こないだ、オウンゴールしたの誰だっけ?」
「あー!うっせえ!言うなっつってんだろ、それ!」

私は笑いながら、じゃあ来週、と夜風にさらされて冷たくなってしまった手を振った。そして三上はふり返すのだ、寒そうに、少し窮屈そうに、身を縮めて。

 

 

あの頃、二人で歩いたこの道は、全てがあの頃のままだった。

歩調にあわせてゆっくりと後ろに流れる景色。出っ張った電柱、ブロック塀、公園、破れたフェンス、赤い瓦の家。

それからシンと静まり返った、夜の道。

肌に感じるこのひんやりとした空気までも。

そう、全てが、眩暈のするほどに――――――― 同じ、だった。

 

あの頃と同じドキドキが胸をくすぐる、そんな、寒い冬の夜道だった。

けれど つ か ん だ さ さ や か な 幸せは、ほら、こんなにも体を温める。

 

 

 

 

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