最後に残っていた数人の女子たちの豪快な笑い声が、さび付いた扉の向こうに消えた。ぴしゃりと閉じられた扉とともに突然の静けさが訪れて、三上はその変化に思わずペンを動かす手を止めた。寄りかかっていた窓ガラスが、体重が移動したせいでガタリと大きな音をたてた。

 

 

4.あやとり 

          つだって、そう

 

 

 

放課後の教室は、潮が引くように急激に寂しさへ向かう。

 

それがさらに、哀愁の漂うオレンジ色の夕焼けに包み込まれていたとしたら。
さらに例えば、その時教室にひとりだったとしたら、物思いの一つにもふけるかもしれない。
誰もいない教室からひとり、校庭を見下ろすのはロマンチストじゃなくたって哀愁に浸りたくなるものだ、と思う。

といってもそれもただの例えばの話で、実のところ今現在、教室の中にいるのは幸か不幸か1人きりではない。
窓の前に取られた無駄なスペースに縮こまって座る自分と、そのすぐ脇の机でさっきから無言で格闘していると。
つまるところ、二人という人数のおかげで、通常の寂しさは半減する。
さらに、そのもう1人の相手が

―――――――好きなひと、だったりしたなら。

さらに寂しさは半減する、というのは、まあ、希望的観測であって。
はっきりと「する」とは言い切れないこのシチュエーションに三上は切ない、というよりもひどく情けない気分に陥る。

片膝を台のかわりにして書いていた日誌から、側のにゆっくりと視線を移した。

「お前さあ、それ、いやがらせとかじゃないよな?」
「へ?なんで?」
「…赤って、どうなんだ、それ」

勢いよく顔を上げたに、三上は条件反射でドキリとする。慌ててごまかすように、あごで手元にあるそれを指してみせた。

「何いってんの!情熱の赤だよ、いいにきまってんじゃん」
が憤慨して答える。
「いや、でも考えてみろよ、あいつが赤いマフラーってタマか?」
「似合うと思うけど」
赤一色の編みかけのマフラーを上にかざしながら、が不満一杯に文句を言った。けれどマフラーを見つめるその瞳はどこか楽しそうで、その瞳の向こうに否応なく誰か――渋沢という彼氏の存在、を感じ取ってしまって、三上はひどくやるせない気分になる。心の中でもやもやした気分がじわじわと広がるのをかんじながら、三上は吐きすてるように呟いた。
「俺だったらぜってーやだ」
が少し驚いた様子で顔をあげるのがわかった。けれど三上は、あさっての方向を向いたままでいる。いやな沈黙。ひたすら沈黙。ぴくりとも動かない空気が、ひどく息苦しい。その息苦しさにとうとう耐え切れなくなった三上は、窓枠に手をかけるとガラガラと遠慮がちに窓を開けた。それと同時に、サーッと冷たい空気が室内に入ってくる。冷たい外気は停滞していた教室の空気に活を入れると同時に、きまずかった空気も少し動かして行った。
「三上なら黒が似合うかなあ」
ポツリと呟かれたその意外な言葉に、三上は思わず顔を上げた。視線が合ったその向こうで、が微かに笑う。その表情にどきりとして、同時にさっきまでの妙な気まずさが吹き飛んでしまう。なんてゲンキンな。
「ばーか」
こんなことで舞い上がってたまるか、と自分に言い聞かせながら、三上は憎まれ口を叩いて見せた。
「あ、ひどい。人がせっかく…」
「なんだよ、せっかく」
すかさず突っ込んだら、からギロリと睨まれる。
「なんでもないよー。それより早く日誌書いたら?」
「あのなあ、お前も日直だろ?お前もかけっつーの」
「は、は、は、いいところに気付いたね。上でき上でき」
「…てめーむかつく」
「むかつきなさいむかつきなさい。貴方がむかついただけ私はパワーを得るのよ」
「…お前はどこかの大魔王様か何かか」
「ははっ!いいね、それ」
「よくねえ…」
あきれて肩を落としたその拍子に視線が窓の外にうつる。陸上部だろうか、まばらに人が動いている校庭は相変わらずオレンジ色に染まっている。さっきと変わらないそのオレンジ色の濃さに、幾分も時間が経っていないことに気付かされて、三上は何故だかほっとした。けれどその時、校庭の端っこを通る小道に見慣れた背中を認めて、すぐにその「ほっと」した気持ちも覆されてしまう。

『渋沢だ』

口に出掛けた言葉は、しかし少しの躊躇とたくさんの嫉妬のせいで結局喉の奥に消えてしまう。「渋沢」というその名前を出す事によって、まるでこの束の間のぬるい幸せが壊れてしまう、そんな恐れを抱いてしまった、そのせいで。

「赤いマフラーなんて嫌かなあ?」
不意に呟かれた言葉に、三上は思わずビクリと肩を震わせた。

恐る恐る、視線をにうつす。

どこか不安そうにこちらを伺うの目と、三上の目とがばちりと合った。

奪い取ってしまえ!

脳みその裏側で、誰かがしきりに叫んでいる。

「赤いマフラーなんて嫌かなあ?」
がもう一度、消えそうなほどか細い声で呟いた。

その時のさっきの自信まんまんの態度がふっと頭に浮かんで、そのギャップに狼狽する。目の前にいるはひどく儚げで、触れるだけで簡単に壊れてしまいそうで、…やわらかそうで?や、それは違う、それは違うんだ、っていうかどうすればいい、なんて返事をすればいいんだよ……もしかしてこれは……その……だ、だきしめるとか?

ゴクリ。

喉が鳴る。にぎった手に、汗がにじむ。

抱きしめる、抱きしめる、抱きしめる…

頭の中で、同じフレーズがグルグル回る。

抱きしめる、抱きしめる、抱きしめよう、…だきしめよう!

意を決して握り締めた拳を開いたその時、

 

キーンコーンカーンコーン―――――――――

 

静寂を割るようにして、チャイムの音が教室に響き渡った。

三上は緊張していた体の力がすっと抜けて、いつのまにか汗ぐっしょりになっている自分に気づいた。
未だどこか頼りない雰囲気でたたずんでいるを盗み見て、三上は何を今更、と状況も忘れて吹き出してしまう。何を今更、やろうというのか。を奪い取りたいという気持ちはもう、心のずっと奥底に鍵をかけてしまったのだ。好き、というその気持ちはどんなに厳重に封印したとしても簡単に溢れ出す。けれど、奪いたい、という気持ちは別であって。渋沢とが幸せだったら、それでいいのだ、そうなのだ、と。自分に言い聞かせる様に何度か心の中で反復する。

そして凍えそうに身を小さくしながら歩く渋沢の後ろ姿にふっと笑いかけてから、ボソリと呟き返した。
「あいつ寒がりだし、喜ぶと思うぜ」
…お前があげたものだったらなんでも。
言わなかった言葉と共に、頭の中で赤いマフラーを巻いた渋沢を想像したら、耐え切れなくなってクククと笑いをもらした。

「なーに1人で笑ってんの?変なやつ」
「何でもねえよ」
「…ねえ、日誌かけた?」
「あと少し。マフラー編めたのかよ?」
「…全然」
「お前大丈夫なのかよ、クリスマスまであと何日だと思って…」
「だーっ!それ禁句!」
慌てて遮るに、あきれたように笑ってみせてから、最後の締めに今日の日直の名前を書き込んだ。

『三上亮』『

ふたつ並んだその名前に一瞬見入ってしまってから、しまった、と思って慌ててパタンと日誌をしめた。

「終了デース」
「はい、おつかれさまー」
言葉と共に差し出された赤い毛糸の紐に、眉を寄せる。
「なに、これ」
「日誌かいてくれたお礼。黒いマフラーじゃなくてごめんね」
「…お礼が赤い毛糸、かよ」
情けない気分を隠そうともせずにがっくりと肩を落とした。
「失礼な!赤い毛糸、じゃなくて赤いあやとり、だよ。ちゃんとみつあみしたんだから」
と無理矢理押し付けられたそれは、確かにわっかになっていて、網目も見て取れた。
「…はあ?あやとりって、んなもんどうしろと…!」
「ばかだねえ、あやとりってあやとりする事くらいしか能がないでしょう?他になんかできるの?」
あたりまえのように言われて、そうか、あやとりか…と一瞬納得しそうになってしまう。
「いやいやいやいや、俺にあやとりしろと…!?」
「うん?いや?いらないならいいけど。渋沢にあげるから」
「…ありがたく頂きマス」

最後の一言に反応したなんてまさかいえなくて、受け取った赤いあやとりに『運命の赤い糸!?』なんていう妄想をかきたてられて、さらにそこにどうしようもない自分を発見してしまいいい加減うんざりする。

けれど同時に、多分これからあやとりなんかを練習してしまうのであろう自分と、そのあやとりを肌身離さず持ち歩くことになるであろう自分を想像して、さらにうんざりする。俺はそんな都合のいい男ではないのだ、と思ってみても気休めにもならない。

理性はもうやめろと叫ぶのに、何故感情は全然別の方向に駆けていくのだろう。しかもこのどうしようもない感情の方が、より強力だなんて、どうかしてる。

に何かをもらうのは初めてかもしれない。こりもせずに漠然とそんなことを考えながら、窓枠から飛び降りた。
そして手に持っていた日誌を、に差し出す。
受け取ったその時に手がチラリと触れて、が恥かしそうに笑って―――――――

 

単純なこの心は性懲りもなく思うのだ。

 

い つ だ っ て 、 そ う 、幸せだったらそれでいい。


そう、例えばそれがどんなにささやかで、儚いものだったとしても。

開いた手のひらに乗っかったあやとりを、の笑顔と一緒にそっと握り締めた。離さないように。なくなさない、ように。こわさないように、ただそっと。

 

 

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私の好きな(笑)渋沢くんと付き合ってる彼女への片思い三上くんです。このシチュエーションでの大前提は、渋沢くんのことも彼女と同じくらい好きだということ!