気付けば何時の間にか日は短くなっていて、夏ももう本格的に過ぎ去ろうとしているのだ、と実感する八月の終り。
振り返れば短かった夏の終りを悔恨…するなんていう暇はなく、少年達は頭をかかえる。

そう、夏休みはもう今日限りで終わろうとしていた。

 

 


20040905

 

 

「な〜にがわたしはパリに行った事があるーだよォ?どうせ俺は行った事ねえよチキショー!」

力任せに床に投げつけた英語の問題集が、足の踏み場もなく散らかった床の上にバサリと音を立てて落ちた。

しかし問題集一つにあたったところでイライラが解消されるわけもない。三上は椅子から立ち上がると、悔し紛れにその辺に転がっている物を蹴り散らした。

「…ッて!」

不意につま先が何か固いものに当って、思わず涙目になってうずくまった。ちくしょう、ちくしょう、イライラは募るばかり。自業自得だ。涙をふいて目をあげると、すぐそこで問題集がざまあみろ〜ざまあみろ〜と三上を嘲っていた。

「…ぅるせえよ」

三上は、はあ、と大きなため息をひとつついて問題集をつまみあげた。
何が英語だ?日本語も満足にできねー俺ができるわけないじゃねえか!
…なんて開き直ってみたところで事態が好転するわけではないことも分かっている。でも、できないものはできないのだ。夏休みの最初の方でもうすでに宿題を終えてしまっている渋沢なんかとは違うのだ。

「…しぶさわ?」

ふと自分のあげた名前にピンときて、ゆっくりその名前を口の中で反復しながら三上は恐る恐る後ろを振り返った。キチンと整頓された、同室の渋沢の机が目に入る。この部屋は2人部屋。入り口のドアから縦に二分割して左が渋沢、右が三上のテリトリーになっている。けれど実際は、床はほとんど三上の領地と化していたりするのだけれど。しかしそれは今は関係ない。

三上はふう、と息を吐き出すと、ソロソロと抜き足差し足で渋沢の机に近づいた。この状況でソロソロ歩く必要など勿論ないのだが、悪い事をしようとすると、どうも行動もそれに比例するらしい。

ともかく、三上は渋沢の机の前まで体を移動させると、机の真ん中に平積みになっているノートや問題集、紙の束…ようするに夏休みの宿題一式を見下ろした。ごくり、と唾を飲み込む。
「…いいか、盗むんじゃないんだ、ちょこーっと借りて、ちょちょっと写させていただく、それだけなんだ」
誰に、というでもなく自分に言い聞かせながら、三上は恐々と手を伸ばした。一番上にあった、数学の問題集をのける。違う。出てきたのは、社会の作文。…やべえ、これもやってねえ。漢字の書き取り。…やってな…。自由研究。…う。家庭科の料理のレシピ。……。

「…あ、った」

落ち込みそうになりながらノート類を探っていた三上に、やっとこさ希望の光がさした。英語の問題集が、姿をあらわしたのだ。三上は発情期の犬さながら、息をあらくしてその問題集に飛び掛ろうと、した。

ところが。

チャララ〜チャラリラリーラー♪

その時、突然三上の背後で、大音量の携帯音が響いたのだ。

「…ぅわッ!」
静かだった部屋に、大きな音が突然、コソコソとノートを探っていた三上を襲ったのである。驚かないはずがない。案の定、三上は思わずビクリとして、左手に持っていた渋沢の夏休みの宿題達を取り落としてしまった。バサバサっと音を立ててノートやプリントが床に落ちる。三上はギョッとして慌ててそれを拾い上げて元の位置に戻すと、未だ響いている大音量の音源を憎憎しげに睨んだ。

「誰だよ…、こんな時間に」
といっても時は午後4時を回ったところ。
イライラしながら手にとった携帯のディスプレイを見て、三上はまたギョッとする。シカトするべきか出るべきか一瞬悩んで、けれど結局指は反射的に通話ボタンを押していた。

「…もしもし」
『あ、三上?久しぶり!今どこ?寮?』
「…寮だけど、なんだよ?俺は今いそがしーんだ。邪魔すんな」
『奇遇ね、私も忙しいの!今から出てこない?」
「はあ?お前人の話きいてんの?俺はい、そ、が、し、い、の」
『わかってるわかってる。数学教えて欲しいんだけどさ、っていうか見せて」
「…聞いてねえな。てかムリ。貴重な時間をそんなことに使ってたまるか」
『…交換条件で英語見せる!』
「…つーかお前、そんなん渋沢に頼めばいいだろ」
『頼んで、見せてくれると思う?』
「…思わねー、な」
渋沢が見せてくれ、といって見せてくれるような友人ならば、自分はこうやってこっそり盗人みたいな事をしてはいないのだ。
『じゃあ、決まり、ね!』
受話器の向こうで、相手が微かに笑う気配がした。
「…わーったよ、どこ?」
『いつものファミレスで!』
「はいはい。じゃーな」

電話を切って、携帯を耳から離した。渋沢がいるわけでもないのに、渋沢の面影が残る机を見て少しだけ申し訳ない気分になる。この申し訳ない気分は、問題集をこっそり拝借しようとしたことから発しているのではない。電話の相手のと、2人で会う事の後ろめたさから発しているのだと、自分でもはっきりとわかっている。

友達と付き合っている女と、2人きりであうのは普通でも気がひける。

――――――もしもそれが、少しでも気のある相手だとしたら?

そんなことを思ったところで、俺はきっと行くのだろうけど。

三上は英語の問題集をひったくるようにして腕に抱えると、早足で部屋を後にした。

 

 

 

 

「よう」
寮を出て徒歩2分、のいつものファミレスに三上がついた時には、もうすでにはいつもの窓際の席についてオレンジジュースを飲んでいた。
「あ、きた。三上もドリンクバーでいいよね?勝手に頼んどいた」
「おう」
三上はグラスを持ち上げながら、バサッと乱暴に問題集とシャーペンをテーブルの上に投げた。そしてそのままドリンクバーに向かってグラスにアイスコーヒーを満たしてから席に戻った。
「元気?」
がニコニコしながら三上を見る。
「おかげさまで」
「久しぶりなんだからもっと喜んでよ、なんか味気なーい」
「きゃー!久しぶりさんげーんきい!?…てか?」
「…キモッ」
「なんだよ、ご要望に答えてやっただけだろ。…それより渋沢とはどこまで進んでるの?さーん?」
「…銀河系まで進んでます。はいはい、やろうね、宿題やろうね。関係ない話はまた後で」
「へー、後でしてくれるんだー?」
「しませんよバカ、貴方になんて死んでもしません」
「そりゃー懸命だわ」
ヒャヒャヒャ、笑いながら三上は問題集を広げた。
「…ちょっとまった、ねえ、数学の問題集は…?」
「…あ。忘れた」
「コロス…!」
「お、おちつけおちつけ。教えてやるから、な?な?…ってかおまえ、英語の問題集は…?」
「…あ。忘れた。…てへ」
「……」
「……」
「…あのな、自分のことだけじゃなくて、相手の事も考えられるような人間になって欲しいと俺は思うんだ」
「その言葉そっくりそのままお返しします」
「…サンキュー」
「…ユアウエルカム」

「しゃーねえ、やるぞ。とりあえず」
コーヒーを一口ゴクン、と飲んでから三上は意を決して宣言した。がゆっくりと頷くのを確認してから、三上は英語の問題集を広げた。1、2ページは目次になっている問題集の3ページ目。…要するに、一ページも終わっていない。

…まあ、とりあえず。

1.次の日本文を英文に直しなさい。
(1)私はパリに行ったことがある。

…………。

「はい先生」
「はい、三上くん」
「わかりませーん」
数学の問題集に視線を落としていたが、顔を上げて、ちょっとだけしかめっつらをしてみせた。「もう?」といいながら身を乗り出して三上の手元を覗き込む。
「…てか、1問もやってないじゃんあんた…」
「…わかんねぇんだよ、しょうがないだろ」
「開き直らないでよ、しょうがないなあ。これは現在完了。わかる?」
「おーまえ、俺をバカにすんなよ。そんぐらいわかるっつーの」
「じゃあ、現在完了はどういう形だったか覚えてる?」
「…おう」
「なに?」
「……おう」
「はいはい、変な意地張らないの。わからないならわからないと認めなさい三上くん」
「ぅるせえよ、つーか、お前はどうなんだよ…!」
図星をつかれてバツが悪くなった三上は、それを取り繕うようにの問題集を強引に奪い取った。テーブルの上のグラスが、振動でガタガタと揺れる。
「あっ、ちょまっ…!」
が、必死で奪い返そうとするのを軽くあしらいながら、三上は問題集に目をおとした。
「どれどーれ…。……おい…これお前、3ページやってあるのは褒めてやるけどな」
「わ、わかってる、わかってまする。だから言わないで…!」
「全部まちがえてるぞ」
「ぎゃー!言うなっていったじゃん、世の中には言っていいことと悪いことが…!」
「あほか、そういう風に分類したらこれは明らかに言っていい方だろが」
「うるさい!だってわかなんいだもん、何これ、どこの国の言葉!?」
「最初の2ページの問題は、ただ展開すりゃいいだけの問題だろ」
「ふん、現在完了もわかんない人に言われたくないね!」
「おまっ、それとこれとは関係ないだろっ!?」
「関係あるねっ。おおありだねっ」
勢いのあまりドン、と机を力任せにたたいたせいで、グラスが振動に耐えかねてとうとう倒れてしまった。ガタン、と音をたてて倒れたグラスから、半分くらいまで入っていたコーヒーとオレンジジュースがテーブルの上にぶちまかれた。
「……」
「……」
2人して肩で息をしながら何もできずに呆然とその光景を見ていたら、ウエイトレスがやってきて素早く綺麗にふきとるとまた去って行った。はやっと思い出したように、その後姿にすみません、と呟いた。
ふたりで顔を見合わせて、はあ、と同時にため息をつく。
何気なく見やった窓の外では、スーパーの袋を片手にさげたおばさんが犬をひきながら歩いていた。

「…渋沢、今なにやってんの」


ぽつり、と呟かれたその言葉に、三上は犬をひくおばさんを目で追いながら答えた。
「しらね」
「…そう」
が俯くのを、三上は目の端っこでとらえた。けれど視線はそのまま戸外に向けたまま、気付かないふりをしていた。犬とおばさんを見えなくなるまで見送ったあと、そこでようやく「そう」、と言ったきり黙ってしまったをゆっくりと振り向いた。
「…で、なんだよ」
「…え?」
が顔をあげるそのタイミングに合わせて、視線をまた戸外へ戻した。
「なんかあったんだろ、渋沢と」
「……」
「お前がこうやって俺呼び出すのは、大抵なんかあった時だ」
「……」
「いいぜ、別に。言いたくなかったら言わなくて。俺は聞いたってなんも嬉しくねえし」

三上は感情を押し殺して、意識的に意地の悪い笑みを作ってみせた。

そう、何も嬉しくない。というよりも正直、聞きたくないのだ。いくらそれが恋人同士の悩み事だとしても、ひとりものの身にとっては時にそれはノロケにしか聞こえない。親身になってやれるどころか、嫌味ばかりが口をついて出てしまいそうな自分がひどくなさけなくなる。かといってそれを押し殺している自分はすごくやりきれないのだ。

――――――こうやって、グラスを置きなおすその仕草にも釘付けになってしまうようなこの想いを、隠している身としてはもっと。

「ごめん、ありがとう」
が笑って頭をさげた。
三上は、何も入ってないグラスをぎゅっと握り締めた。
聞きたくはない、確かにそう思っていたけれど、それはそれでひどく屈辱的な気分に陥る。
鼻先にえさをちらつかせて、結局とりあげられるような、そんな仕打ちに。
開けるなといわれた扉を、開けれずに明けた夜のように。

「…あ、っそ」
窓の外に目をやったけれど、道路は閑散としていて、目の落ち着けるような場所はなかった。
「ね、多分一回帰って持ってきたほうが早いよ。そうしよ?」
「…帰って、部屋に渋沢がいたら俺は戻ってこれねーぞ」
うそだ。いくらだって嘘はつける。何も正直に、ここでとふたりで宿題をしている、なんて事をいうことはないのだ。
「…そっか」
困らせたいわけではない。ないのだ、決して。
でも、少しくらい嫌味を言ったってバチはあたらない、そうじゃねえか?

数学の問題集を抱えるようにしてシャーペンをゆっくりと動かすを見つめて、三上はタメ息をついた。

「あー、もー、こうなったら最終手段だ!」
有無を言わせず問題集をとりあげると、自分の手元の英語の問題集をバサっと乱暴にの前に置いた。
「お前がそっちやれ。俺はこっちやる。…いいな?」
やっとのことで正視できるようになったの顔を、にやりと笑って覗き込んだ。
がしょうがないな、と言って笑ったのを見て、思わずほっとした。

 

 

「うっし…!終わったー!」
三上はパタリ、と握り締めていたシャーペンを置いて思いっきりのびをした。
「わたしもあと少し…、や、た!終わったー!」
「思ったより時間かかったな、あと30分で門限だぜ」
「ま、まじで?げ…!どうしよう、今日中に宿題全部終わるかな…?」
「なんとかなるだろ。去年もなんとかなったし」
「わ、いいかげん」
「つーか、ぜってーうちの学校おかしいって、始業式が宿題提出日なんて」
「うん、おかしい。おかげで私はこんな苦労を…!」
「いや、お前の場合期限がのびたところで苦労はかわんねえだろ」
「おまえもな」
「…あー!ちくしょう、帰って終わらすとするかー」
そう言いいながら立ち上がりかけて、けれどふと気付いて何杯目だかもう忘れてしまったアイスコーヒーを、一気に飲み干した。
「そだね」
が伝票をもって席を立った。外はいつの間にか、真っ暗になっていて街灯が闇をぼうっと照らしていた。

 

「夏も終りだなー」
会計を終えて外に出て、半袖の腕に少し涼しい風をかんじて身震いした。
この間までセミの声ではち切れそうだったこの道も、今は寂しげな秋の虫の声で充満している。
「うん、いつのまにか。明日から学校だね」
寮までの片道2分、出来うる限りのゆっくりの速度で歩く三上の隣を、が並んで歩調をあわせる。
「…だな」

相槌を打ちながら、三上は複雑な想いで空を仰いだ。空には少しだけ欠けた月が、煌々と輝いている。

そして全然別の事を考える。に会えなかった夏休みは短かったか?長かったか?

新学期は楽しみだったか?楽しみじゃなかったか?

――――もしもこれが、同室で同じクラスの渋沢でなかったのなら。

だめだ、三上は首を振った。
そんな事を思っても余計切なくなるだけだ。
もう少しの辛抱だ、と思う。これよりも強い想いが自分に訪れる、あと少しの辛抱だと。
今回はただ合わなかった、パズルのピースのように、ただ合わなかった、それだけのことなのだ。

自分に言い聞かせるように、ゆっくりと歩く足の歩調に合わせるように何度も心の中で繰り返した。
(それだけのことなのだ、それだけのことなのだ)

「あ、ね、三上、読書感想文やった?」
空を見上げながら歩いていた三上は、の言葉に思わず足を止めた。

「…………は?どくしょかんそうぶん?」

「やだ、何きょとんとした顔して…え、もしかして忘れて…?」
「は?え、ちょまっ…、そんなんあったっけ!?」
「あったよ、国語の宿題…」
「え、漢字だけじゃねえの…!?」
「違うよ、感想文もだよ、言ってたじゃん担任があんなにしつこく」
「うそォ!?本?本読むなんてムリだろ今から!ちょッ、お前、あらすじの説明して?な?」
「えー、やだよ、めんどくさい」
「頼む!頼むからこのとーり!」
逃げようとするを必死で掴んで、拝み倒してやっと後であらすじをメールする、という約束をとりつけた。

気付けばもう時刻は門限3分前。

「あ、いそがなきゃ!うるさいんだから、あの寮母さん」
「おう、じゃあ明日な。…健闘を祈る」
手を頭にかざして敬礼のポーズをしたら、も笑ってマネをした。そしてくるりと体の向きを変えると、そのまま一目散に駆けていった。その後姿を見えなくなるまで見送ってから、三上も駆け出した。

宿題終了まで、あともう少し。

もっと他の恋が見つかるまで、きっともう少し。

長い夜になりそうな、夏休み最後の日。

 

道は長いようでいて、それでいて短かったりもする。
………といいのだけれど、という期待を込めて、地面を蹴る。明日に繋がる道を、駆ける。

 

T h e  e n d  o f  s u m m e r  D A Y S
明 日 に は き っ と、 笑 う だ ろ う。

 

 

お わ り