10: 蹴り飛ばしたいのは、 


UNLUCKY!


 冒険には十分な保険を、選ぶ道は妥当な道、人並に悪ふざけをして、適当に手を抜いて、だけど成績は上位をキープ、先生受けもまあ悪くはないし、友達うけもいい。
 要領よく生きる、それが座右の銘だ。

「要領いい?お前が?」
 素っ頓狂な声が大また2歩分向こうから響いてきて、俺は正面を見つめたまま思いっきり眉を寄せた。 デリカシーっていうものがない。もしくはTPO。
「……」
 要約すると、返事をするだけムダ。
「要領いいやつは、こんなところで洗濯物たたんでねーんじゃねえの?」
 まあ、お前の言う「要領いい」は、洗濯物たたんでる奴なのかもしんねえけど。
 茶化すように付加えられた言葉にムッとしながら、俺はまだ手付かずの洗濯物の山から無造作に一抱えを掴み上げた。
「まあ、少なくとも先輩は違いますよね…、こうして洗濯物たたんでるわけですし」
 できるだけいやみったらしく聞こえるように気をつけて言いながら、洗濯物を腕に抱えたまま、大またで2歩分、声の方に近づいた。そうしてそのまま投げつけるようにして三上にその洗濯物を押し付けると、思いっきり睨みつけてやった。
「おい、てめえ…俺はこれだけしかやんねえぞって言ったじゃねえか!」
「言ってました?聞いてませんでした。手伝わないなら出てってください」
 睨んだまま冷たくそう言い放つと、一瞬何かを言おうとして、けれど戸惑うようにして飲み込んだ三上が、諦めたように肩をすくめた。
 時間は、おそらく就寝時間まであと1時間を切ったくらいだろう。窓のないランドリー室は、いつにもまして陰気な空気が立ち込めている。乾燥機の回る音と、古ぼけた換気扇がたてる甲高い音がまざりあって、ひどく耳障りだった。
 ―――イライラする。
 何故だろうと考えようとして、だけどそれは意味のないことだと気づいてやめた。イライラする理由は、馬鹿みたいに明白だ。
「あのさー、お前まだ怒ってんの?」
「怒ってます」
「…あっそ」
 どうでもよさそうに呟かれたその言葉に、せっかく苦労して抑えていた怒りがぐわっと頭に駆け上って、気づいたら声を荒げていた。
「てゆうか!わかってます!?なんで怒ってんのか!?あんたがここに来るからだろ、この状況あいつらに見られたら、俺の立場がないってわかんないの?」
 剣幕に押されたのか、三上は一瞬戸惑うように口を閉じた後、叱られた子供のようにそっぽを向いた。
「だから、俺はただ自分の服洗濯してるだけだ、って最初に言ったじゃねえか」
 そういう問題じゃない!
 怒鳴ろうとして、さっきから繰り返している同じような問答に、てんで進歩がないことに気づいてため息をついた。
 ほんとうに、この人は。わかりにくく馬鹿正直なのだろう。



 そもそもの原因は、俺の要領の悪さが原因だった。
 そう、ちなみにそれは、ずっと自分は要領良く生きている、と思っていたのに、実はそれほど要領がよくないんじゃ、という事に気づいてしまったショックな事態でもあったのだ。というのも、要領よく生きるために欠かせない基本スキルというものがいくつかあって、そのうちの、「聞き流す」という基本にして最も重要なスキルを、悲しいことに、俺はマスターしていなかったのだ。

 それは今日の昼時にさかのぼる。同学年とはいえあまり仲のよくない連中が、溜まって話しているのを聞いてしまったのだ。
『三上先輩、監督の息子がウチに来たらレギュラー外されるかもー、って、息子のとこまで言って泣きついたらしいぜ』
 ギャハハ、という連中の馬鹿にしたような笑い声が、ひどく癇にさわった。
 一緒にいた藤代が、気にするな、とでも言いたげに俺の肩を叩いた。わかってる。言いたいやつには言わせておけばいい。そう思って早くその場を後にしようと足を踏み出したそのとき、けれど耳に届いた言葉がその足を止めた。
『必死だな』
『かっこわりー』
 ギャハハ!
 カッと、した。ほとんど、何を考える間もなく、衝動的に踵を返した。追ってきた藤代の手を、乱暴に振り払う。頭に血がのぼって、さっき「言いたいやつには言わせておけばいい」そう思っていたはずの思考は、一瞬のうちにかき消されていた。
 確かに、奴の言ったことは事実だった。もっとも、俺も本人から聞いたわけではないし、歪曲されてもいるけれど。
 だけど、かっこわるいのは事実じゃない。
「おい、今、なんつった?」
 先に手を出したのは、俺だった気がする。それからは、もう、喧嘩だ。一言で言えば。
 そしてほんとうに、心の底から間の悪いことに、そこに三上先輩がやってきたわけだ。
「…喧嘩はすんなって、寮の規則あんの知ってるよな?喧嘩すんなら地味にやれ。…で、原因は?」
 本人を前にして、喧嘩の原因なんて言えるわけがない。黙りこくったままの俺たちを見て、三上先輩は面倒くさそうにため息をついた。
「じゃあ、喧嘩両成敗ってことで、お前らは風呂掃除、笠井は洗濯でもやれ。当番の奴らはラッキーつうことで。寮長には俺から言っとくから」



 そんなこんなで、俺は今洗濯物を延々とたたみ続けている。
 三上先輩がここにいるのは、多分おそらく、いや絶対に、藤代のせいだ。俺がなんで喧嘩をしたかとか、そういうことを、いともあっさりと白状したに違いない。それを聞いた先輩が罪悪感じゃあないけどなんだ、なんかそういう気持ちになって、今ここでこうやって一緒に洗濯物をたたんでいるに違いないのだ。

 まったく、苛立たしい。
「だーーーーっ!!!!!!」
 今日の出来ごとを思い出しながら洗濯物の山を見ていたらむっしょーーーーうに腹立たしくなって、その怒りに趣くままに洗濯物を両手一杯に抱え上げて、おもいっきり宙に放ってやった。
「ばっ!?おまえ、何やってんの!?」
 紙ふぶきさながらランドリー室に舞い散る洗濯物の向こうで、三上が慌てた声を上げた。だが紙に比べて何倍も重い衣服やらなにやらは、空気の抵抗なんてものともせずにものの2,3秒で落下してタイルの床を一杯に埋めた。開けた視界の向こうで、三上がひどい形相で睨んでいる。
「笠井」
 大また1歩分向こうの距離で、三上は嗜めるように名前を呼んだ。俺は思いっきり空気を吸い込む。
「俺、先輩のこと嫌いなの、余裕ぶってるのに、実は必死なところとか、馬鹿みたに律儀なところとか、そういうとこがすっごい嫌いなのに、ほんっと嫌いなのに、なんか庇ったみたいな喧嘩しちゃって、それが腹立たしいっていうか、俺なにやってんの!?…ていうか!なに笑ってんですか!?」
「…いや、ごめ、だって、告白にしか聞こえないんですけど…」
「………はあっ!?」
 全身全霊で否定したのに、先輩は含み笑いで大また1歩分の距離を半歩詰めた。俺は反射的に半歩退く。
「お前が何で怒ってんのかわかんなかったけど、わかった。今」
 先輩がまた半歩詰める。俺は、半歩しりぞ、
「うっ、わっ!」
 自業自得だ。床に散らばった洗濯物を踏んで、バランスを崩したそのせいで勢い良く体が宙に投げ出された。
「…先輩のこと、心の底から大嫌いです」
「覚えといてやるよ」
 洗濯物の中に倒れこんだまま見上げると、先輩が面白そうに覗き込みながら、笑った。まあ、正直なところ蛍光灯の逆光になって、あまり表情は見えなかったのだけれど。

 さて、それで、話を戻そう。要領よく生きる、だって?はて?どこがだ?
 ―――最悪だ。


(Fin. 2007.11.19)