季 節 を こ え る




 今日と同じような明日がずっと続くなんて、小学生の頃みたいに無邪気に信じてるわけではないけれど。だけど、高校を卒業したその先のことなんて、どうしたって現実味がわかないのだ。今ここでぼんやりしている俺が大人になる日なんて、永遠に来ないような気がする。

 いや、頭ではわかってるんだけど。

 口から溢れ出たため息が、手にしていたプリントに落ちる。紙を揺らす僅かな音は、斜め向かいから聞こえた紙の束をトントンと整える音にかき消された。
「なーに深刻そうな顔してんの?」
 同じ方向から聞こえてきた声に、そっと視線をむける。
 毎日部活や寮でいやというほど見慣れた顔に、心を満たすのは安堵というよりもうんざりした気持ち。まさか、委員会でも一緒になるとは思わなかった。保健の先生も出払ってる今は、保健室に2人きりだ。たぶん苦手意識がどこかにあるから、当番で一緒になるとどうしても気をはってしまう。
「いえ、別に。…中西先輩は、そっち終わりそうですか?」
 手持ち無沙汰を言い訳にして、意識的に線を引いた。アンケート集計に没頭しているように見えた中西が、ちらりとこちらを見る。
「…進路?」
 俺がこの人を苦手な理由は、多分これだ。何でも見透かされている気がして、落ち着かないのだ。これ以上踏み込んでくるなと警告しているのに、それを理解しながら簡単に乗り越えてくる。性質が悪い。
「そうです。…何も考えられなくて」
 あきらめ半分、肩を落として降参する。ここでごまかしても逆効果だと、付き合いも3年を超えれば学んでしまう。
「まあ、とりあえず考えてみるのが一歩じゃない。今まで考えてなかったなら、なおさら」
 当たり障りのないアドバイスに、そうかなあ、と首をかしげた。例えばこれが火にあぶったら答えがでてきて、その通りに進んだら成功する、っていうのだったら楽なのになあ。そう思って、何も書かれていない進路調査の紙をじっと見てみる。
「先輩は大学行くんですか?」
「もちろん。俺、医者になるから」
「へえ…、ええっ!?先輩そんな頭よかったんですか!?」
「しっつれーな。まあ、高校生の間は部活に専念するって決めたから?引退長引けば無理かもだけど、それは本望っちゃ本望だけど…、どっちにしろ浪人すればなんとかなるだろ。ほらうち金持ちだし」
「そうなんですか…」
「あれ?知らなかった?」
「あ、いや、金持ちってことは知ってたけど」
 ちょっとびっくりした。物凄く失礼だとは思うけれど、すごいチャラチャラした大学生活を送ることを夢みてそうな気がしたから。あれ、もしかしてこれ俺先輩のこと見くびってる?
 もう一度プリントに目を落とす。
 高校卒業後どうするか?その問いはシンプルだけれど、一言で片付けられない色んなものがつまってる。心の中でぐるぐるしている正体は、何も明確なビジョンが浮かばないことと、もうひとつ他に。
「あの…、サッカーは…?」
 やめるんですか?とは聞けなかった。聞きたくなかったのかもしれない。俺の問いに答えた中西先輩の言葉に、心臓がぎゅっと鷲掴みされたようになったから。
「高校で、終わり」
「そう、っすか…」
 やめる気持ちはわかる。だけど、やめたくない気持ちもわかる。皆、どうやってこの気持ちに折り合いをつけるんだろう。
「ま、でもその辺はまだいいんじゃない?サッカーをメインにやっていくとかでなければ、続ける方法はいくらでもあるし」
 まっさきに誠二のことが頭に浮かぶ。あいつは単純明快だ。きっと、いや絶対にサッカー選手になるんだろう。さっきのでいえば、火で炙ったら答えがでてくる系だ。もうこんなこと思い過ぎて疲れてしまったけれど。うらやましい。

「…三上先輩は?」

 ぎょっとした。それを口に出した自分自身に。口をついて出た言葉は、決して言おうとは思っていなかった言葉だ。
「あいつは、大学。大学行ってプロ目指すらしいよ」
 中西は電卓を指ではじきながら、何でもないことのように言った。
 将来サッカーで食べていけるようになるなんて、全国のサッカー少年の中のほんの一握りだ。小さい頃から才能を見込まれてクラブチームの下部組織で育ってきた奴らだって、それは同じ。地域選抜に1度や2度呼ばれたことがあるというだけで、他に目立った功績のない三上先輩が、なんでプロを目指すなんて言えるのだろうか?
「…本気で?」
 中西が、手を止める。規則正しく聞こえていた電卓の音が、ぴたりと止まった。
「なあ、あいつ頭おかしいよな」
 どこか興味深そうな視線をよこしながら、中西が意味ありげに笑った。
「や、そういうことじゃなくて、」
 どこか面白がっているようなその笑みに、少しだけ慌てた。なんだろう、全然うまくいえない。あの人は、誠二やキャプテンみたいに絶対的な才能があるわけじゃない。もちろん、才能がないわけじゃない。だって、強豪といわれるこの武蔵森で、10番をつけている人なんだから。だけど、そういう才能とかとは別の次元で、サッカーと生きていくために生まれてきた人のような気がする。
 俺は正直、それが気持ち悪いと思う。だって俺、あの人嫌いだし。
 自分でも何が言いたかったのかよくわからなくなって、思ったままのことを口にする。
「本当にプロになれるとかなれないとか、そういうのは置いといて、サッカーを続けていくっていうことについては迷いがなさそうですよね」
「はははっ!」
 不意に中西が、笑いをこらえていたけど耐え切れない、という調子で笑いだした。思わずむっとして睨みつけると、ごめんごめん、と中西が涙目で謝った。まったく謝られている気がしない。
「三上も買いかぶられたもんだな、と思って。あいつ、そんなに笠井にかっこよく見られてんだ」
「はあ?何いってんすか?」
 イラッとする。俺があの人をかっこいいと思ってるだって?ふざけるのにも限度がある。
「ごめんって、いや、ちがうよ、お前だけじゃなくてさ。皆あいつのこと買いかぶりすぎ。そんなすごい奴じゃねえよ」
「何がいいたんですか…?」
「あいつが迷いなさそうに見えるって、お前言ったじゃん」
「…はい、確かに」
 ふてくされた顔でうなずく。
「そこが間違い。言っとくけど、あいつ迷いありまくりだからな。でも見栄っ張りだから、俺の前でしか弱音はかねえの。ずるいよな。事あるごとにやっぱりサッカーやめようかなとか、大学に行って本当にプロになれるのかとか、色々。本当うるさいの。最近は、サッカー抜きで将来のことを考えると行きたい学部があるんだけど、そこはサッカー部強くないから、どうしようってのが一番のお悩み。あいつもう推薦で大学決まってんだけどね。バカだからね」
 そこまで言って、中西はガタリ、と席をたった。冷蔵庫から麦茶を取り出して、紙コップに注ぐ。冷蔵庫を勝手につかえることと、保健室で涼んでいられることが、保健委員の2大特権だ。紙コップの中身を一気に飲み干してから、中西がすっきりした顔で言った。
「迷いがないように見えるやつも、色々悩んでるってこと。あんまり焦らなくても平気だよ」
 だから、嫌なんだ。
 この人の、何でも見透かしているようなところが。
「…別に、焦ってません」
「あっそう。まあいいけど、アンケート集計してよ。お前のせいでなんかやる気なくなっちゃった」
 はあ、とついたのは大きなため息。

 季節はまだ春と夏の間。
 この苦手な人や嫌いな人たちと、過ごすはずの季節はあとたっぷり3つ分ある。
 


(Fin. 2011.09.28)