腹の底にずんと響くような、低い汽笛の音が重く長く耳に響いた気がした。
頭がガラスに当たる鈍い衝撃にはっと目を覚ますと、座っていたはずのレトロな木製の椅子は、見慣れた鉄製の椅子に変わっていた。
車内をたゆたう、気だるい濃密な空気は相変わらずで、三上は自分がつかの間夢を見ていたことを知る。けれど今さっきまで感じていた身体を揺らす蒸気機関車の振動や、車窓から時折流れていく黒い煙、シュッシュッという規則的な音、それから窓の外に広がっていた視界いっぱいの星空が、まるでリアルに感覚の隅っこに残っていた。
あれはきっと、銀河鉄道に違いない。…空、飛んでたもんな。
手を伸ばせば簡単に汲み取れそうだったいっぱいの星々をまぶたの裏に映して、三上はそっと息をついた。惜しいことをした、と少しだけ後悔を募らせる。
車窓の風景はただひたすらに真っ暗だった。今はどの辺りだろう、としばらく何かの目印を外の風景に求めたけれど、何も見つけられなかった。窓に貼り付けた右頬に心地よい冷たさを感じながら、三上は目だけを動かしてゆっくりと車内を見回した。
ときおり暖房に吹かれて揺れる中吊り広告は、中距離電車のそれらしく妙に寂れた雰囲気を漂わせている。視線を転じて下に向ける。しかし2人がけの椅子が向かい合って並んでいるボックス席の車内では、全体を見渡すことは困難だった。ふと思い立って耳を澄ませてみたけれど、電車のたてる音以外には何も聞こえなかった。
この車両には俺とこいつ以外誰も乗っていないのかもしれない。
―――こいつ、と自分の左肩になんのてらいもなく頭を持たせかけている藤代に視線をくべる。藤代は細い寝息をたてて、先刻までの三上と同様夢の中に浸りきっているようだった。
電車は最終電車で、行き先は都会から離れた山間の町だ。藤代に三上の実家に行きたいと駄々をこねられて、結局断りきれなかったのが今のこの状況だった。三上はやれやれとため息をついて、ポケットから取り出した携帯を開く。圏外と表示される画面にチッと舌打ちすると、不意に左肩の重みが移動した。
「あ、ワリ」
「…ん、いまなんじ?」
「あ〜、っと10時すぎたとこ。あと1時間以上はかかるから寝とけば」
うん、とうなずいた藤代は、けれど寄りかけた頭を上げて前の椅子に投げてあったペットボトルへ手を伸ばした。
その仕草をちらりと横目で見てから、三上は視線を電車の窓に移した。そして、まるで今ふと思い出したことのように、ボソリと呟いた。
「今、銀河鉄道の夢を見てた」
「へ〜…スリーナイン?」
「わかんねー。わかんねえけど、銀河鉄道だった」
三上は相変わらず窓の外の流れていく闇に目を配りながら、何気なくそう答えた。車内の蛍光灯が窓に反射して、まるで鏡を眺めているような鮮明さでそこに藤代が映っていた。それを眺めながら、無意識に次にくる藤代のリアクションを想像する。けれど意外なことに、その想像したどれとも実際の反応は違っていた。
窓に映っている藤代は、何故だか不意に驚いたような表情で、口をつけていたペットボトルから顔を上げた。
その時電車がトンネルに入って、線路を踏む音が閉塞したような音に変わる。
「―――俺は、エッチな夢みてました」
そしてなんの溜めもなく発せられた言葉に、三上は思わずぎょっとする。窓から引き剥がした視線で恐る恐る藤代を振り返る。その時合った目と目の向こうで、何か含みのようなものを感じて、三上は突如胸をよぎった予感に慄然とした。
電車がトンネルから滑らかにすべり出す。
実をいうなら、銀河鉄道の夢の名残を抱えていたのは、星がきれいだったとか、空を飛んでいたとか、ただそれだけの事ではなかったのだ。
不意に夢の中の生々しい出来事を思い出して、三上は無意識に顔をゆがめた。記憶と共によみがえった体の感覚が、生まれたわずかな熱を思い出させる。
「…お前もいたよ」
「話し、かみ合ってないっすよね」
あわせた視線の向こうでわざとらしくにっと笑った藤代が、肩を組むようにして三上の右肩に腕を伸ばす。その手の感触にあからさまに全身をびくりとさせると、肩に押し付けられた藤代の口から、くぐもった笑い声が漏れた。
「藤代、…俺はなんか、オチがわかった気がする」
なんだか絶望的な気分になってそういうと、藤代がおもむろに顔をあげた。そしてあいているほうの腕と合わせて三上の両肩を強引に抱き寄せると、妙に生真面目に取り繕ったような態度で、言った。
「奇遇ですね、俺もです」
「……あんまり聞きたくないんだけど、どんなオチ?」
ひどく恐る恐るたずねると、藤代がふっと取り繕っていた顔を緩ませる。
「俺も、銀河鉄道にのってました。多分、だけど」
「…で?」
「で、…って、知ってるくせに。先輩、」
呼びかけておいて言葉を切った藤代に眉を潜めると、肩をつかんでいた右手が止める暇もなくするりと三上の下半身に伸びた。そしてその手が、ファスナーの上から半分硬直したそれの型をたどるように指先でいやらしく撫でつけた。布越しのゆるい刺激と、早々にそこがそんな状態になっているということを暴かれた事実に、三上は思わず絶句した。
「勃ってるよ」
「〜〜〜〜っ!」
慌てて藤代の手を払いのけると、藤代は肩を震わせておかしそうな笑い声をたてた。
「途中で終わらせちゃったから、ごめんね」
「いいっ!いいっ!そんなの全然気にしてない!…っ、から」
「先輩はよくても、俺はムリなんすよ、……我慢できない」
言葉と共にずい、とのしかかるように迫ってきた藤代に、三上は慌てて手足をばたつかせた。
「ちょっ、まっ、もすこし待てって、な?」
「ムリです。大丈夫、次の駅まであと10分はあるし、夢のおかげで準備オーケーですから」
「じゅっ、…っざっけんな!俺はオーケーじゃねえよっ」
「何ゆってるんですか、こここんなにさせて」
からかうようにゆるゆると敏感な場所に触れてくる藤代の手に、言い返す言葉がなくて口をぱくぱくとさせた。それでもやっぱり電車の中でヤられるなんてそんなことは理性が許さなくて、触れてくる藤代の手を手当たりしだいに払いのける。
「先輩、こんなことしてると、次の駅に止まって誰か乗ってきちゃったら大変ですよ。俺は最後までやるまで諦めませんから」
「いっ…!?」
「そうそう、諦めが肝心っすよ」
背を向けることで拒否していた藤代の干渉は、その背をそのまま抱きしめられることで意味をなさなくなる。
「先輩」
背後から耳たぶを甘く噛まれて、囁かれた声音に腰が震えた。向かい合った窓の向こうには、果てしないような闇がつながっていて、その際限のなさにふと底知れぬ恐怖を感じる。
「あの汽車には、俺たち二人しか乗っていなかったんだよ」
藤代がふと思い出したようにそういって、それに
「だってお前……、」
と言いかけた口をはっとつぐんだ。
窓の外に、星屑のようなものが一瞬見えた気がしたからだ。けれど2度瞬きをして凝らした窓の風景は、相変わらず何もなかった。ただ、一面の闇だった。
「先輩、同じ夢をみたなんて、嬉しくない?」
耳元で囁かれる言葉は、ひどく艶かしい響きをもって耳の奥に滑り込む。
後ろから、三上の身体を抱え込むように伸ばされた手がファスナーを開いて、何の躊躇もなく勃起した塊を奥の方からずるりと引きずりだした。中途半端に開いたファスナーの断片がその拍子にガリッと薄い性器の表面を引っかいて、途端襲ってきた感覚に身震いする。
静止のつもりで伸ばした腕は、けれど意思とは逆に何の抑制にもならずに藤代の腕にからみつく。
「……!」
けれどなぜだか不意に、触れた藤代の腕の感触に軽いディジャビュを覚えて息をつめた。そしてすぐに思い当たった嫌な予感に、三上は恐々藤代を振り返る。
「ふじっ、しろっ」
責めるように向けた視線は、けれど寄せてきた頬で柔らかく一蹴される。
「当たり。夢の続きを再現してみました」
―――ああ、もう、最悪だ。
そして頭を抱えてしまいたくなる。
なにから何まで同じ夢を見るなんてそんなこと、ありえるのか。夢の中で散々喘がされた自分を思い出してしまって、性質の悪さに泣きそうになった。AVをなぞるならまだしも、夢の中の自分の行為をなぞるなんて、そんな、こと。
「おまえなっ…ァッ…ン!」
藤代の指が、ぬめりと三上の性器にまとわりつく。研ぎ澄まされた感覚は、藤代の手が性器に触れるそれだけの事で敏感に反応した。できることなら不感症でいたい、とそう思うのに、素直に与えられる刺激に反応する自分の身体が憎らしかった。藤代の両の手のひらの間ですりあわせるようにされて背筋を駆け上がってきたその刺激に、三上は耐え切れず声を漏らす。ガタンガタンという電車が刻む音に、まるでタイミングを合わせるように喘ぐ声が漏れる。
「ハッ、アッ、…ああっんぅ!」
藤代の爪が窪みを引っかいて、そして容赦なくそこへ爪を立てられる。瞬間、頭の中がキーンという音で満たされて、溜まらずのけぞらした背が藤代の胸にやんわりと受け止められる。
その背中の優しい感触に、そういえばいつだって不安を感じていたことを思い出す。
―――藤代、正直なところ、どうして俺はこんなにもお前に翻弄されるかわからないんだよ。確かにセックスは嫌いじゃないし、藤代がたとえば俺の身体で性欲を満たすとか、そういうことをしたいと思ってるわけじゃないってこともわかる、わかるんだ。でも、どうなんだ。もし、男同士のセックスが常識の世の中だったとしたら、お前は俺に興味を持つのだろうか?例えば男女のセックスが非常識の世の中だったとしたら、藤代、お前は男に興味を持つのだろうか?
例えば興味本位のお前の要求に、俺はこうやって怯えてるとしたら、お前は多分笑うのだろう。バカバカしいと、自分でも思う。本当にばかばかしい。そんなありえないたとえ話なんて、そんなもの。
そしてお前は笑うに違いない、二人を乗せたあの汽車が銀河の間を縫って、見果てぬ地に二人を運んでくれれば良かったのに、と俺があの夢から覚めた時に思ったことを。
……ていうか、少なくとも俺が笑うし。
震える肩を藤代の胸に擦り付けるようにしてせつなさを訴えると、心得たとばかりに性器を弄くっていた片方の手が三上の後ろへ伸びる。常の習いでこわばらせた体を揉み解すように、柔らかく動かされた指の先にぞわぞわとした感覚が神経をなであげた。やがて体内にするりと入り込んだ指が性器のそれとは違う性感をつくと、再び意識は一点に集中した。全身がまるで何か一本の糸に操られたように、きゅうっと引きつる。最早抑えられない喘ぎ声は、ガラガラの車内に淫靡な響きをもって静寂と絡み合っていた。
「藤代っ…!」
「いいの?」
ガクガクと定まらない顎を縦に振って限界を訴えると、藤代の指が一瞬遠ざかる。
「先輩、ちょっと腰上げて」
そう言うが早いか、言葉に従って腰をあげようとしたその前にその腰を強引につかみ上げられる。そして次の瞬間、緩まったその場所にあてがわれた熱い感触に思わず息を呑んだ。次に襲うはずの衝撃に身を凍らせるよりも数秒早く、掴まれた腰を落とされて突き上げられる。本能的に逃げようとした腰は、けれど藤代の手に阻まれた。
「ああッ…!ハッ、あぅっ…!」
「せんっ、ぱい、っ…!」
圧倒的な質量に、余計なことを考えていた思考回路が完全にふさがれて、袋小路においつめられる。不意に恐ろしいほどの不安を覚えて、よりどころなく震えていた指先で藤代の腕を手繰った。そして触れた藤代の筋肉に、無我夢中で絡みついて爪をたてる。
「…っ!」
「ふじしろっ、まっ、待てっ」
突如、置いていかれることへの、見捨てられることへの恐怖が、降ってわいたように三上を襲う。藤代がいつか三上を置いていくというその恐怖は、三上にとって恒久的な恐怖だった。根拠はない、けれど、トラウマのような、恐怖。そしてそれが嗚咽となってこみ上げて、堪えられない声が泣き声のようになって喉をふるわせた。
藤代は一瞬驚いたように手を止めて、けれどすぐにふっと笑いを漏らす。
「…大丈夫、何があったって三上先輩を手放してやったりしないよ。嫌がったら、この首に首輪をしてでも取り戻してあげる」
それに先輩、覚えてないの?
あの夢は、鳥かごから逃げ出した先輩を、俺が汽車に乗って追いかけて、そして捕まえた末の話しだってこと。窓の外を走る星屑にだって、俺は先輩のこういう姿を見せる気はしないよ。だからこうやってカーテンを閉めたのだ、なのに先輩は腕の中からするりと逃げてしまった。
俺をおいて、ひとりで夢から覚めてしまったんだ。
そういって淡々とした笑みを浮かべた藤代が、ゆっくりとカーテンを閉める。一瞬見えた窓の向こうには、まばゆいほどの星が煌いていた。いつのまにか身体を預けていた椅子は木製の、赤い革張りに変わっていた。
藤代が背後から突き上げると同時に、前に添えていた手が先端を強く擦りあげた。その途端頭がまっさらになって、幾千の星が散った。次の瞬間、体の内側にたまって淀んでいた何かが一斉に開放されるような感覚を覚えた。
現実と夢の境界線が、ひどく曖昧になっていた。
不意にふわりと身体が浮く感覚がして、ずんと腹の底に反響するような低音で、長い汽笛の音が車体を揺るがせて響いた。
「先輩、テイクオフだよ。どこに行きたい?」
意識が狭まるその瞬間に藤代が囁いて、誰も知らない場所へ行きたい、と言ったような記憶を最後に意識が途絶えた。
そして、夢を見ないほど、深い、深い眠りに落ちる。
例えば君がそれを夢だというのなら、それはおそらく夢だったのだろう。転じて現実というのなら、それは現実に違いない。
二人を乗せた銀河鉄道は、天の川を渡って、そして三上が目を覚ます頃には何事もなかったように、山間の町に滑り込む。
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