それは幼い頃から夢の中で繰り返されてきた光景と、どこか重なっていた。

 

 

DeJa-vu
#25 貴方の過去を、夢に見た

 

 

 

 

 

透き通るほどの青い空、右手にはエメラルドの湖、左手には深緑の森。そして正面のなだらかな丘のてっぺんには、小さな家が建っている。それはまるでどこか外国の、そうちょうどこの間、暇を持て余していた時にテレビで見たスイスあたりの風景のようだった。ひどく、のどかな光景だった。自分は丘の下、小さな家の前にはためく洗濯物を見上げたまま突っ立っている。柔らかい心地のいい南風が傍らを吹きぬけた。そして次の瞬間、風に持ち上げられた洗濯物の向こう側にいた、女の人―――かあさん、と咄嗟に思った―――が、現われて、丘の下の自分を認めると手をふって、にこりと微笑む。そしてその微笑につられるように丘を駆け上ろうとした しゅ ん か ん……

『だめだ!』

危険を知らせるアラームが、頭の中で響き渡る。この先を、俺はしっている。何度も繰り返された、この話の行き着く先を…。だめだだめだだめだだめだだめだ。みたくない、みたくない、みたくない!必死で叫ぶ声はしかし、体と心が乖離してしまったようでまったく届かない。丘をのぼる、風を切って、全速力で。てっぺんに近づく。消防車のサイレンのような激しい音が、耳のすぐ近くでけたたましく鳴り響く。洗濯物を掻き分け、シーツをばさりとあげたその しゅ ん か ん

バタリ、という音と、洗濯籠が丘を転がり、それを何もできず呆然と見つめる自分、がいた。

次の瞬間身体を突き抜ける絶望感と虚無感が、足元を徐々に崩していくのを遠くなる意識の中で感じた。

 

 

 

目が、覚めた。

無味乾燥のコンクリートの壁が目前にせまっていて、藤代はかすかに身じろぎした。そして我知らず握り締めていた掌をぎこちなく開いたり閉じたりしてみて、何故だかその感覚にひどく安堵して息を吐いた。夢と現実の狭間をフラフラしていた意識がゆっくりと覚醒する。それと比例して敏感になる五感の感覚。頭痛、と身体のダルさと、それからこのどうしようもない熱は、なんだ。鉛のような身体を無理矢理寝返らせて、壁に背を向ける。
「……ダル…」
吐息と共に洩れた声は、自分のものではないようだった。見慣れた度合いで散らかっている部屋をぼんやりと眺める。それにしても熱い、と思った。ガタガタ風に煽られている窓の向こうは、きっと涼しいに違いないと思うと、いてもたってもいられなくなった。身体は冷気を、渇望していた。

だから、なんだ、この身体は。起き上がるのでさえも一苦労で、自分に対してイライラが募る。まるで自分自身ではなくなってしまったようだった。なんで俺が、こんなこと。腹立ち紛れにあのひとの顔を思い浮かべて恨み言を連ねる。そうだ、どうしてここにいないんだ、三上先輩は。どうでもいい時にいて、どうして俺が苦労している、こんな時には。静寂が、ポンと心に穴をあける。藤代は罵倒する心の声とは逆に、泣きそうな表情で顔をゆがめた。

ガチャリ、と静かさになれた耳に大きく響いて窓が開く。途端に風が舞い込んできて、窓枠に寄りかかったまま藤代は反射的に目を閉じた。顔の火照りを、風がさらっていくのが気持ち良い。何か微かなメロディーが風にのって聞こえた気がしたのは、暫らくそうやって風にそよがれていた時だった。それは、すごく微かで、もしも風の向きが違っていたなら耳に届かないほどのメロディーだったに違いない。ピンときたのは、それが聞きなれた声のような気がしたからだった。誰の声か、はわからない。ただ、ひどく懐かしい気持ちにさせる声が、わずかに鼓膜をふるわせるのだった。
情調的になっているのかもしれない。熱と、それから夢のせいで。藤代は動揺する心の奥で暫らく考えて、けれどすぐにやめた。自分は熟考なんていうことはできない、感覚で動くのみだ、と頭を振って雑念を払った。それから無造作に椅子の背にかけられていたベンチコートを掴むと、寝巻きの上から羽織った。
正体がしりたい、と思えば見にいくまでだ。
安静という言葉を知らない体は、慌しく部屋を後にした。

 

やっぱり、と駆け出しかけた足が止まったのは、本能的な理由からだった。
寮を飛び出すと、あらかじめ見当をつけていた裏庭の方に向かった。鼻歌がだんだんはっきりと耳に入ってきて、自分の感が正しかったことを知り密かに満足感を覚えた。寮の建物の角を曲がって視界が開けたその瞬間、三上先輩が目に飛び込んできてその自信が確信にかわる。

けれど、次の瞬間目前に広がったその光景に。

思考回路が、停止した。それは、見覚えのある光景だった。本当に、嫌なほどに。残酷な、ほどに。忘れていた体のダルさが、寒気が、思い出したように感覚を刺激する。身体がわずかに震える。この震えは、寒気からか、それとも―――――――?

頭に閃光が走る。フラッシュバック。目に痛い程の青空、心地よい風、緑の芝生、それから―――――はためく白い波。―――――そう、白い波。一直線に並ぶ物干し竿に所狭しとはためく真っ白なシーツは、まるで白い波の中で泳いでいるように錯覚させた。鼓動が高鳴る。思考が追いつかなくとも、五感が懸命に主張する。俺は、この光景を知っている…!

透き通るほどの青い空、右手にはエメラルドの湖、左手には深緑の森。そして正面のなだらかな丘のてっぺんには、小さな家が建っている。それはまるでどこか外国の、そうちょうどこの間、暇を持て余していた時にテレビで見たスイスあたりの風景のようだった。ひどく、のどかな光景だった。自分は丘の下、小さな家の前にはためく洗濯物を見上げたまま突っ立っている。柔らかい心地のいい南風が傍らを吹きぬけた。

そう、それは幼い頃から繰り返し見てきたあの夢の光景と、確かに似ていた。違うのはそう、左手の方向に壁が、右手に塀があることくらいだった。しかしそんな微々たる違いは、頭の中のイメージと同化してしまって視界から消え去ってしまう。目を奪われたのは、一直線に物干しにかかってはためく、白いシーツの群れだった。その間で手にした真っ白なシーツを広げて勢いよくバサリと宙に舞わす、
「かあ……さん」
無意識に口をついて出た言葉に、藤代は身震いした。そして、そんなはずはない、と震える心に言い聞かせる。そんなはずはない、そんなはずはない、祈るように繰り返した。

確かに、思い返せばあの夢の不可解な点はいっぱいある。まず、藤代はあんな場所を見たことや、ましてや行ったことなど一度もなかった。行きたいと思ったことだってない。それなのに、いつだってあの場所では、ある種の安心感を覚えるのだ。……そう、自宅のコタツに入ってぼんやりしているときのような、そんな安心感。懐かしさ、という感情とどこか似ている。それから、物心ついた頃からずっと同じ夢―――本当に何から何まで同じ―――を見続けているということ。忘れた頃に、それはやってくる。まるで、忘れさせまいとでもするように。
それから最後に、「母親」の存在。あれは誰なのか、どうして自分はあの人を母親だと思うのか、そして……なんで死んで、しまうのか。自分の実の母親(こいうとなんだか変だけど)とは十分すぎるくらい上手くやっているし、実は自分が誰か赤の他人の子供―――なんていうこともありえない。(前に戸籍謄本とかいうのを見たことがある)。じゃあ、だったらなんだって……
あの夢について考えてみたのは、今日や昨日のことではない。もう何度も、あの夢をみる度思って、それで達した1つの結論がある。あの夢は、

自分の、前世の出来事なのだ、と。

だから、あの女(ひと)は、前世の自分の母親なのだと。

藤代は、つめていた息をわずかに吐き出した。そしてそういえば、と思った。三上先輩を一番最初に見た時、奇妙な既視感を感じたっけ。心臓のドキドキが、いっそう早くなる。あのひとの顔は、「母親」の顔はどんな風だった?思い出そうとして、けれどそうしようとすればするほど、「母親」の顔の輪郭がぼけていく。
イライラしながらわずかに視線をあげ、10メートル向こうで洗濯物を広げている三上を視界におさめた瞬間、藤代は固まった。
あの、耳障りなサイレンの音が耳に蘇る。危険を知らせるアラームの音。

その時、一陣の風が傍らを吹きぬけ、洗濯物を持ち上げたその向こう、三上が「かあさん」の姿に完璧に重なった。

 

 

 

熱がでて寝込んだ日のことを考える。思うように動かないダルイ体、ぼんやりとする思考回路。それから、絶対的な孤独感。普段健康そのもののあいつにとっては、耐え切れないんじゃないだろうか。いやそれよりも、あいつの場合じっとしてる行為が耐え切れねえのか。やっとこさ寝かしつけて出かけた昨夜のことを思い出して、ひっそりと笑った。それから部屋でひとり、天蓋を見上げたまま、夢の世界と現実の境もわからずうろうろしているあいつ、を瞼の裏に想像してから、三上はゆっくりと目を開けた。

伸びをするつもりで仰いだ青空がまぶしくて、目を細めた。
それから手にした真っ白なシーツを広げて勢いよくバサリと宙に舞わすと、そよぐ風にはためいて白い波がバタバタと揺れた。―――――そう、白い波。一直線に並ぶ物干し竿に所狭しとはためく真っ白なシーツは、まるで白い波の中で泳いでいるように錯覚させる。

「ったくなんで俺が…」

うっかり呟いた一言は、もちろん本心などではない。証拠に、三上はこの仕事を自分から進んで引き受けたのだ。どこかのバカが一ヶ月間シーツを洗濯するという罰ゲームを受けて、そのくせその一ヶ月の最後の日に、風邪をひいてねこんでしまった、そのバカのかわりに。ついでい鼻歌なんかも歌ってしまうのは、この陽気と、やり始めたら案外清清しくて気持ちいい、この仕事のせい。そしていつのまにやら洗濯籠の中身は残り一枚。
これが終わったらあのバカに文句でもいいに行こう、そう思って最後のシーツを広げた。

バサリ、と音を立てて他のシーツと同じ要領で広げたその、とき。

「……っ!」

まったく唐突に後ろから体当たりを食らって、三上は声にならない叫び声をあげた。それに戸惑っている間に両脇からにゅっと手がのびてきたかと思うと、一瞬のうちに抱きすくめられる。手にしたシーツが、その拍子にパサリと頼りなげに舞った。
間髪入れずに、突然の事態に頭がついていけないその耳元で聞きなれた声がした。
「先輩、驚いた?」
言葉を発すると同時に耳にかすかにかかる息とささやき声が耳の皮膚をなでて、ゾクリとする。背中の下の方からぞわぞわと何かが駆け上がってくる感覚に、三上は瞼をぎゅっと閉じた。その反応を楽しむようなクスクスという笑い声がそれを追ってきて、瞬間、どこか遠いところに行っていた思考力がぱっと引き戻される。
「…てめッ!」
我に帰った頭にカッと頭に血が上る。そしてそのままの勢いで腰に回された手を強引にひきはがすと、声の主を振り返った。白いシーツの波を背景に悪びれずにそこに立っていたそいつは、合った目のむこう、嬉しそうに笑った。
「藤代。」
唸るようにその名を呼ぶと全身全霊をかけて睨みつける。
「なんすか?あ〜、洗濯物やってくれたんすね!ありがとうございます」
「ありがとう、じゃなくて、なんでてめえはフツーの登場の仕方ができねえんだよ」
「え、だってそっちの方が三上先輩嬉しいでしょ?」
「………、はい?」
「はいはい、大丈夫、俺わかってるから」
「え、何を?誰ガ何ヲワカッテルッテ?」
「あ、見てカメムシ」
「…お前それ触るなよ、くさいか……、じゃなくてッ!」
三上はいつもの調子で怒鳴ろうとして掴んだ藤代の手首の温度に、はっとする。いくら暖かいとはいえ3月になったばかりだ、長い間外にいれば手も冷たくなる。その冷たさのまま触れた藤代の体温は、まるで対照的なほどに火照っていて、うっかりそれを忘れていた自分が情けなくなる。そういえば藤代は熱が出て寝込んでいたのだと、今更のように思い出して三上は改めて藤代を見た。

そういえば、と思って、さらにそれに気付かなかった自分にうんざりする。突然口をつぐんだ三上を不思議そうに見返している藤代はどこか普段に比べ精彩さが欠けていて、たよりなくて…そう、まるで今にも消えてなくなってしまいそうなほど、その輪郭は儚げだった。自分の余裕のなさにうんざりする。どこか哀愁を帯びているその瞳から目をそらして、三上は掴んだままだった藤代の腕から静かに手を放した。
「てかお前、熱出てるんだからウロウロするな」
「先輩、楽しそうだったから」
だから、外まででてきたっていうのか?三上は怪訝な顔をしながら、けれどあえて聞き直さずに、そっけなく応答する。
「たのしくねえよ、部屋もどれ」
藤代が首を振る。そしていやだ、と今にも泣きそうな表情と、掠れる声で呟いた。
その反応に、三上は一瞬ドキリとする。こんな切羽詰った藤代を見るのは初めてだ、三上はゴクリと唾を飲み込むと注意深く藤代を覗き込んだ。
「おまえ…、熱でてんだから。だから、な、部屋もどろうぜ。ついてってやるから」
今度は優しく子供に諭すようにそう言ってみても、藤代は頑なに首をふるだけだった。
三上は片手にもったままだった洗濯籠を横におくと、藤代の肩に手を置いた。ぴくりとささやかな反応をよこす。
「…どうした?」
そこでようやく、三上は風邪のせいだけじゃない何かに、藤代がひどく怯えていることに気付いてそっと尋ねた。
藤代が無言で腕の中に滑り込んできて、そして三上の腰に手をまわすと、ギュっと力を込めた。その力の強さに三上は一瞬呼吸ができなくなって、それを訴えようと口を開きかけたら、藤代が先に空気を振るわせた。

「先輩、死なないで……」

その異様な一言に、一瞬ぎょっとして、けれど言葉にこもる切迫さに、三上は返す言葉をもたずにただ、藤代の頭を撫でた。ただ無言で、撫でた。

 

 

飛行機が一機、はるか頭上をエンジン音を響かせて通り過ぎた。

 

 

 

「洗濯干してる先輩みたらさ、死んだかーちゃんを思い出した」
「おまえのお袋、死んでないだろ」
「…そうだけど、でも、それじゃない方の」
「…はあ?」
「…夢の中で、いつもでてくるんだ、その人。こうやって、シーツを干してた。前世かなんかのかーちゃんなのかな、って思ってた」
「だったら、お前もしんでんじゃねえか」
見当はずれな事を言ったのは、藤代の真剣さとその話の内容が頭の中で結晶化されなかったからだ。正直、なんで藤代が何かにこんなにも動揺してるのかがわからない以上、三上にはなす術がないのは確かだった。藤代が、三上の言葉にふっと小さく笑った。
「…俺、あの人大好きだったんだあ。でも、死んじゃって…」
「藤代…?おまえ、ない」
「泣いてない」
藤代が、ゴロン、と三上のあぐらをかいた膝の上に転がった。三上はその藤代の額の上に掌をのっけて、熱い、と一言呟く。
「先輩、いい匂いがする」
「…洗剤の匂いだろ、多分」
「そっか、洗剤の匂いか」
まるで子供のように反復して無邪気に笑う藤代に、三上は少しだけ戸惑う。今日の藤代は、おかしい。確かにおかしい。それは熱のせいだけではなく。でも、その理由をどこか頭の隅っこで自分は知っているような気がしてならなかった。変な違和感が、さっきからずっとつきまとっている。

「…先輩、笑わない…?」

今から話すこと聞いても。藤代が、意を決したような表情で三上を見上げた。

「…笑わねえ、よ」
藤代の真摯な瞳に、そう答えるしかなかった。

 

 

 

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え、すみませ…。この先どうしていいかわからなくなった…!ゴメチン!マザコンな藤代っていいよね〜。洗濯物干す三上っていいよね〜。と思って書きはじめたんです、けど、終わんね……。終わんね…先が見えね…。
ていうかほんとは、シーツがはためくなかで熱にうかされてヤっている間に、渋沢がやってきて頑張って隠れ(ながらヤる…)みたいになるはずだったんだぜ、心と行動の乖離とはこういうことをいうんだ……(新大陸発見!)