誰かがこいつを殺してくれたら、俺はそいつを神と崇めるだろう。

#26:協奏曲の絶望

 

 

ただ、この世で一番ヘドがでるほどに嫌いな人間が、自分を抜かしたほとんど全ての人間にこの世で一番信頼されてるという、それだけの話だ。

一見温厚そうなその外見の奥にちらりと覗く、高みから見下ろすような傲慢さが嫌いだった。巧妙に隠された本音。笑顔の裏の悪意。いい人だと褒められるその度に、嘲るような色がその瞳に一瞬うつるのを、何故人は気付かないのだ。薄っぺらな仮面に爪をたてれば、もうそれだけで露呈してしまうほど危ういものだというのに。けれど磨き上げた信用という名の仮面は、周囲の幻想でより強固なものに塗り固められていく。分かってはいた。もう手遅れだとは。あいつが嫌いだというそれだけのことで信用が失われるような、この世界では。

あぁ、虫唾が走る。

対峙するその度に頭からつま先、細胞のひとつひとつにまで嫌悪感が駆け巡って、精神が瓦解寸前に陥る。近寄るな、と、常に態度に示しているはずだった。なのになぜ、こいつは俺の目の前にこうも頻繁に現われるのか。
「三上」
意図的に同情が込められた言葉が頭上から響いて、三上は顔を歪めたまま、押し寄せる波に身震いした。ベッドにひかれたシーツの冷たい、無感情の感触を体重をあずけた掌にかんじる。その心もとなさにありったけの力をこめてシーツを握り締めた。もう一度促すように頭上から自分を呼ぶ声がして、
「……うせろ」
嫌悪感の全てをこめて発したはずの言葉は、カラカラの喉に張り付いてしまったように掠れていた。どうして今日に限っていつも部屋にいるはずの中西がいないんだ。気持ち悪い、うせろ、俺の視界に入ってくんな、死ね、悪態が頭をかけめぐる中でほんの少し残った理性が、無実の同室者を攻めた。
「うせろ」
返事がないどころか一歩も動かない目の前の足に、押し殺せなくなった苛立ちをぶつける。十分な威圧を込めた言葉はけれど、決定打にもならなかった。まるでそれを嘲笑でもするかのように、この世で一番嫌いな人間の手の平が三上の髪を掠るようになでた。そして皮肉なことに、それはフィールドでは、唯一にして無二の不可欠な手の平だった。三上は唇をかみ締める。

先に理性を失った方が負けだ。これは、そういうゲームだった。

挑発にのってはいけないと自分に言い聞かせながら、誰かこいつを殺してくれ、誰かこいつを殺してくれ、と念仏のように心の中で反復する。例えばこいつがこの世から消えうせたら、俺はどんなに幸せなのだろうかと。例えば一生こいつに出会わなかったなら、俺はどんなに幸福だったのだろうかと。けれど、出会ってしまったし、知ってしまった。絶望するほどの、吐き気を催すほどの、嫌悪感。

胃の中のドロドロしたものが食道を駆け上がってくるような幻覚に襲われ、三上は咳き込んだ。

限界が近いと、三上は遠く自覚する。

プチリと小さく、何かが切れた音がした。

「……聞こえねえのか、うせろっつってんだよ」
頭を撫で続けていた手の平を力まかせになぎ払って、同時に目の前の足をあてずっぽうに蹴り飛ばした。不意をつかれて体勢を崩した身体を座ったままで受け止めて、さらに自分はベッドから少しだけ腰を浮かして、くるりと身体を半回転させた。そうして組み敷いた渋沢の両手を体重をかけて押さえ込んで、そこで今日初めて渋沢の顔を直視する。その先に無表情の裏の少し戸惑った表情を認めて、三上はそこに少しだけ救いを感じる。けれどそれも一瞬だけで、すぐにその表情も嘲笑にかわった。

「堪え性がないんだな」
クックック、とおかしそうに喉の奥で笑う、その頬を力まかせに殴りつけた。鈍い音が、夕日が陰を落とす、薄暗い部屋の中にくぐもって反響する。
「それはお前だろう、どっちが誘ったんだ」
顔が歪む。口角があがる。これは自分ではない、と砂の粒ほどに残った理性が叫ぶ。

これは罠だ。腕の下でうめく野獣の深淵に、足を踏み入れたが最後、ずるずる引きずり込まれていく。

そうして、幻惑につかまってしまった自分は一生そこから抜け出せずに、永遠に灰になる。

 

あの嘘の仮面に気付いた時から、世界に相反するように嫌悪を感じたあの瞬間から、罠は始まっていたのだ、と。気付かないふりをしている。多分、永遠に。弱すぎる理性は、手の平の上の命を握りつぶす事でさえできなくて。

だから、ただ乞うのだ。

神様、どうか、こいつを殺してください。

 

 

 

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おおう…、だめだ反省しよう……… orz{ぷぅ〜}  (…)