騙されていると


判っていても

 

 

 「大丈夫?手、貸そうか?」

 そう足元の塊に声をかけておきながら、俄かに逡巡した。
 というよりも、当惑していたのだ。自分がこんな入り組んだ性格をしているとは思わなくて。生まれてからこの方、「単純」という言葉で全てが締めくくれたはずの俺だった。他人からそういわれながら、自分でもそれは最もだと思っていたのに、だ。
けれど心配そうに手を差し出しながら、そのくせいい気味だ、と心の中で笑っているこの状況は、「単純」でくくるには少し乱暴すぎる気がする。いや、きっと根本的に間違っている。
 足元の塊―――もとい藤代誠二は、その困惑を敏感に嗅ぎ取ったのか地面の上に寝そべったまま、馬鹿にしたような短い笑いを返した。
「真田、のど、乾いた」
 どんな状況でも、鷹揚な男なのだ。まるで単語を暗誦するように途切れ途切れに発せられた声を聞きながら、真田は藤代を見下ろした。
「水ならいっぱいあるよ、そこに」
 数メートル先の川の流れに目線を移して、なんとなく苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

 藤代から妙な電話があったのは、つい20分前くらいのことだ。ちょうど玄関先で、近所の盆踊り大会に行く、行かない、と妹と押し問答をしていた時だった。無理やり連れ出されそうになったところで「真田、来て」という至ってシンプルな助け舟が出されれば、それにすがりついてしまうのが人というものだろう。
 その相手が、決して好ましからざる人物だとしても、だ。
 そうして妹をまんまと振り切って律儀にチャリをこぎ付けてみれば、川沿いの土手から転がり落ちたままのびている藤代にご対面して、混乱を隠し切れないまま今に至る。

 だから苦手なのだ。一体何を考えているのかさっぱりわからない。
 真田は差し出した手を宙に浮かせたまま、所在無げにため息をついた。こんなことが前にもあった。東京選抜の合宿で紅白戦をしたとき、接触して倒してしまった藤代に義務的に手を差し出したのだ。あの時は思いっきりシカトされたけれど。そしてそれが、こいつに対する怨念の第一歩だ。
「おい、いい加減にしろよ。俺、帰るぞ」
「…さっきあそこで花火があがって、それ見てたら落ちちゃったんだよね」
 会話が半テンポずれている。何でこんなとこに寝てるのか、という問いは、二言前の問いのはずだった。もういい加減、呆れるのにも疲れてしまった。けれど「あれ」と指差されたその先を素直に目で追うと、遠目にも形の歪んだ自転車が転がっていて、小さく息を呑んだ。
「お前、怪我」
「残念ながら」
 おどけるように肩を竦める藤代に、皮肉のひとつも返してやりたい気持は少しあったが、いかんせんそんな才覚は持ち合わせていない。そしてどこか探るように見あげてくる藤代の瞳には、『残念ながら』に込めた意味に真田がどう反応するだろうか、という好奇心が露骨にじみ出ていた。
 その手にのるか。
「なら、早く起きろよ」
 そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに言葉を投げた。
 夜になっても蝉が鳴きやまない、蒸し暑い夜だった。群れる蚊を追い払いながら、妹と盆踊り大会に行っていたほうが良かったかもしれない、と後悔し始めていた時だ。
「俺、夏苦手なんだ。ていうか嫌い」
 突然むくりと起き上がった藤代が、その動作と同じように唐突に言った。真田は面食らいながら、けれどおそるおそる相槌を打った。
 厄介な事に、律儀にできているのだ。無視すればいいところも、ついクソ真面目に相手をしてしまう。だから付けいれられるんだ、って結人は言うけど。俺に言わせれば、結人だって藤代に比べれば十分クソ真面目な部類に入ると思う。
「ふうん。暑いのが苦手なわけ?」
「うん。蒸し暑さは俺の敵」
「俺は好きだけど、夏。どっちかと言ったら味方かな」
 危うく感動しそうになった。今宵初めてまともに会話が成立したこの状況に。なんて低レベルな感動だろう。
「じゃあ、真田とは敵同士なわけだ」
「じゃあ?…まあ、どっちかと言ったら味方同士ではないようだね」
「良かった」
「…何が?」
 訝しげに眉を寄せる。はずみで藤代に戻してしまった視線が、月明かりに照らし出された藤代の双眸に吸い寄せられた。相手が意外に近くにいた事に気づいて戸惑っていると、
「敵同士っていう方が、燃えるじゃん」
 藤代が挑発するような笑みで真田の視線をたどった。
「…何に?」
 目をあわせてしまった事を今更後悔しながら、胸がざわつくのを抑えて慎重に返した。
「いろいろ、だよ」
「はあ、いろいろ、」
 間抜けな調子で反復すると、藤代の手が差し出したままずっと宙に浮いていた真田の右手を掴んだ。思わずぎょっとしたのは、これまでずっと手を差し出したまま引っ込めていなかったのか、という事にこの時初めて気づいたからだ。素肌に触られるのには、例えそれがどこであれ、それだけの事前準備が必要だ。手を差し出す時は、相手がつかんでくるのを予期しているし、試合でゴールを決めた時は、もしかしたら誰かが抱きついてくるかもしれないということを予期している。だから、この時は本当に何の「予期」もなしに無防備だった手に触れられて、そのせいで過剰な反応をしてしまった。
 思いっきり、力の限り、手を振り解いてしまったのだ。
「…そうこなくっちゃ」
 一瞬唖然としたような間を置いて、藤代は気を取り直すようにいつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。
 俺が嫌いな、藤代誠二だ。
 真田は謝罪の言葉を出しかけた口をぐっと真一文字に閉じて、藤代から目をそらした。
 さっきのように地べたに転がって、どこか空っぽでぼんやりしていた藤代はどこかに消えてしまった。藤代が何かに悩んでいて、それを知らず知らずのうちに立ち直らせてしまっていたなら、俺はとんだ馬鹿だ。最大の敵に、塩を贈ってしまった。
 気が滅入りながらよろよろと土手を登って、倒してあったチャリンコを持ち上げた。ひどく重かった。またがる前に背後を一瞥して、うっかり視界の端にペチャンコの自転車を入れてしまった真田は、大きなため息をついた。
「おい、……乗れば?」

 

Fin.