#49:もう会えないと月は言った
月が明るい、夜だった。
ひらひらと舞う桃色の花は、多分、何かを物語っていて。
「なあ、春って何色だと思う?」
数日前までは肌寒かった風も、吹いてくる向きが変われば生暖かいのだと、なんとなく納得する。腕まくりした肌に、もどかしい風がまとわりついて、なんとなく居心地が悪いと三上は思った。
「…何色?」
背後から訝しげな声が返ってきて、予想通りだと三上はひとり笑う。そよぐ風に舞う桜の花びらがひとひら、開いた掌に丁度ひらりと舞い落ちて、優しくそれを拳の中ににぎりしめるとクルリと後ろを振り返った。
「そ、色」
そういって頭上に目をむける。視界いっぱいに桃色が広がって、桜が満開の季節だという事実を否応なく三上に突きつける。握った掌の中の花びらが、重量感を増した気がした。
「…さあ、黄色、かな」
渋沢の声に、視線を降ろす。そしてにこりともしないその表情を見返して、にやりと笑った。
「ひねくれてんの、な」
風が吹くたび、桜がひらひらと舞い落ちる。それはひどく幻想的で、この空間を異次元に変える。
視界に広がるは一面桃色で、それをあえて黄色という目の前の人間に思わずふっと柔らかい気分になる。けれどそれをかき消すような嫌悪感に、三上は吐き捨てるように呟いた。
「ばっかじゃねえ…の」
憎しみの全てを込めて吐き出したはずだった言葉の語尾が微かに震えて、それが三上を微かに動揺させる。ぐっと握った拳、包み込むような桜吹雪。不意に砂利を蹴る音がして、黒い影の頭が、三上のつま先にかかった。
「…三上」
やわらかな、声。
聴きたくない、と思った。慣れ親しんだその響きは、ようやく落ち着きかけた心を無駄にひっかきまわして、…現実を喉元に突きつける。おはよう、という声、仕方ないなといいながら宿題のノートを差し出すあのしぐさ、料理をつくる後姿、寝顔、それから、サッカーのこと。
その全ては、もう過去のこと。卒業はすなわち、日常の断絶を意味する。
「…ッざ、けんな」
自分が泣いているのだと気付いたのは、発した声が濡れていたからで。ぎこちなく差し出された腕を、力一杯拒絶した。代わりに、自分の手を伸ばして、触れたシャツの感触をがむしゃらに引き寄せた。飛び散るボタンと、渋沢の抗議の声に、うるせえと睨み返す。ボタンが外れて、シャツ一枚しか身に付けていない渋沢の地肌が現われてごくりと唾を飲み込んだ。わずかな街灯と、月の光に浮かび上がる渋沢の褐色を帯びたその肌は、息を呑むほどに扇情的で。
「…ふざけんな」
低い声で呟いて、渋沢の視線を一蹴した。ああこれは意地だ、一世一代の大意地だ、ここでお前の思い通りになんかさせてやるか。三上は唾を吐きすてた。抱いてなんか、やるものか。
うるさい視線を払いのけて、掴んだYシャツをもっと引き寄せる。肌蹴た胸に、心臓の音を確かめでもするように、耳を寄せた。
「…三上」
乞うような声を、三上はひたすら無視し続けた。
「また、帰ってくる」
嘘だ、と思った。空を仰ぐ。視界に広がるは、満開の桜と、枝の合い間からのぞく、月。
嘘だ、もう一度、月にむかってつぶやいた。
月が微笑んで、静かに頷いた。
そして確かに、もう会えない、と月が言った。
―――気が、した。
Fin.