1.雪

 

春は,

どこに行った

 

 

ああ、なんで冬はこんなに寒いんだろう!

先月の席替えで、悔しくも廊下側の一番後ろの席になってしまった私は、遠く反対側の窓を通して見える真っ青な空を眺めながら、もう何度目かもわからないため息をついた。
たかが何十畳にも満たない小さな部屋で、こうも天国と地獄に別れるのは納得がいかない。白いため息に、私はさらにうんざりする。そもそもの原因は、暖房器具が石油ストーブひとつ、というところだ。決して私のくじ運のせいではない。これではストーブに近ければ熱いにきまってるし、隙間だらけのこの教室ではストーブから遠ければ遠いほど暖なんてものを望めそうにない。だいたい、高い学費はらってるのにどうしてエアコンがないんだ、とこういう時ばかりは親のふところを案じてみたりもする。

ともかくも、問題は寒いことであって、決して私のせいじゃない。

そう、期末テストが散々だったのは、全て寒いのが原因なのだ。
…うん、そうなのだ。

「あ、やった。一位だ」

「……」

隣の席であがった無感動なその一声に、私は不機嫌な顔を隠そうともせずに振り返った。

「みて、一位」
そう言って差し出された紙切れには、確かに1位という文字が印字されていて、私は思わずううう…とうなって頭を抱えた。

だってこれでは、せっかく寒さのせいにして納得しかけたというのに、それが真っ向から否定されてしまうではないか!
なぜなら彼女の席は私の隣で、寒さに関してはたいして変わらない。それに加えて、全教室エアコンつきだという噂の男子部の男子を追い越して、あろうことか学年1位に輝いてしまったのだ、この女は。

じとりと睨みつけると、彼女はそんなことは意に介せずとばかりに笑って、そして手を差し出した。
「1000円」
…1位になれたら1000円あげるよ、そう言いだしたのは確かに私だった。

私は悔し紛れにチッと舌打ちした。

「…で、何位だったの?」
「…三桁です」
私はもう半分ヤケになって答える。好奇の目のもと、みせて、と言われて私はためらいなく差し出された手に自分の成績表をのせた。

ところが。

その時突然、誰かが教室の窓をガラリと大きな音をたてて勢いよく開いたのだ。

女の子たちのおしゃべりと密閉されていた室内の空気の間に突然、冬の空気が容赦なくはいりこんできて、私は思わず顔をあげた。そのタイミングを待っていたかのように、開け放たれた窓を通って、一筋の強い風がごう、っと音をたてて室内に入り込んできたのだ。その風は教室の中を暴れて、女の子たちの髪の毛やスカートをやりたい放題はためかせると、また窓を通って外へ抜けていった。その風に、白い紙切れが巻き込まれてチラチラと舞って行くのを認めて、私はなんだろう、と首をかしげた。

「…あ」

小さなうめき声に、私は目の前の彼女に目を移した。目があって、気まずそうに目が泳ぐ。私は何、と問いかけようとして、はっとした。

差し出された手は、さっきのまま。ただ一点以外は、変わらずさっきのまま。…そこに成績表がないことをのぞいて、は。

「え、ええええええええ?」
「ごめん!ほんとごめん!」

まだ何も言ってもいないのに真剣にあやまられて、悪い予感が事実以外の何ものでもないことを知って私は思わずくらっとする。

「…まじでか…」

私は呆然とする。

あの名前と学年入りの成績表の紙切れが、他の誰かに見られたとした、ら。いやそれだけならまだしも、あの見るも無残な成績が白日のもとに…

「まじでか!」

一瞬私の頭は真っ白になって、そして次の瞬間、席を蹴って教室を飛び出した。後ろで静止する声が聞こえたけれど、次の授業などかまってられない。事は私の名誉にかかわるのだ。

私は廊下を全速力で駆け抜けて、階段を一段飛ばしに駆け下りて、転がるように冬の屋外に飛び出した。

 

 

*

 

 

「馬鹿ですか私は…」

ええ、馬鹿ですね。

私は自問自答しながら、絶望した気分になってその場にしゃがみ込んだ。

勢いよく飛び出してきたものの、そういえば私は風がどこへふいていったのかも、紙切れがどっちの方向へ飛ばされていったのかも、全くわからないのだ。…これでは、探すにも探しようがない。案の定、もしかしたらその辺にひっかかっているかもしれない、と思ってうろうろしたにも関わらず、何の手がかりも得られないままにあれから1時間がたってしまった。

いい加減、体も冷えてきた。

教室にいるままに薄着で飛び出してきた自分に後悔しつつ、冷え切ってしまった両手にはぁはぁ、と息をふきかえて擦り合わせた。

「馬鹿ですが、ここで帰るわけもいきません」

私はすう、と深呼吸すると空を仰いだ。底が抜けるほどに、気持ちのいい青空。薄く細いすじのように広がる雲。飛行機。木。木の枝。

「あ」

目に入るものを一つづつ心の中で反復していた私は、木の枝の間にはさまった白い物体に気付いて、思わず間抜けな声をあげた。

「…あった!」

そう、見上げる木の枝の間、時折吹く風にはためいているのは、紛れもなくあの忌まわしい紙切れだった。私は安堵ではあ、と息をはいた。

さて、どうやって取るかが問題だ。

私は木を見上げて、腕を組んだ。自力ではもちろん届かないし、あそこまでとどくような長い棒もない。

…これしかないか。

私は念のため辺りを見回して誰もいないことを確認すると、木のすぐ横に繋がっているフェンスをよじ昇りはじめた。足を踏み返るたび、ギシギシとフェンスが軋む。フェンスのてっぺんに片足が乗っかると、私は木の幹に手をついて、もう片方の足を木の枝別れした太い枝のうえにのせた。そのままぐい、と全身を木の上に乗せる。ここまでくればあと一歩。いまや目の前まで迫った問題の枝に、身を乗り出して触れようとしたその、時。

何のイタズラか、一陣の風がさあっと駆け抜けて、白い紙切れはいとも簡単に私の手をすりぬけて、するりと宙にまった。

はらりはらり、舞い落ちる白い紙。

私は木の枝にしがみついたまま、しばらくその舞い落ちる軌跡を呆然と目で追っていた。

はらり、はらり。

今年のクリスマスは雪が降るだろうか。一緒に過ごす人などいないのに、そんなことを思ってながめていたら、不意に視界が白い紙以外のものに遮られて私はぎょっとした。

「げ」

思わず心のうちそのままに声が口をついてでて、私は慌てて口をふさいだ。

さっきまでは確かにそこに誰もいなかったはずなのに、見下ろした足元に男の子がひとり、立っていたのだ。

私のあげた声に、その男の子がさっと顔をあげた。目が合う。気まずい沈黙。

「…こ、こんにちわ」

私は何か喋らなくては、という緊張感にかられ、とりあえず無難な挨拶をしてみる。けれども男の子は、変な顔をして、合っていた視線を微妙にずらした。私がはて、と首をかしげた時、男の子がボソリと呟いた。

「…パンツ、見えてんだけど」

「ぎゃっ!」

失念していた。私は慌てふためいて、咄嗟に木から飛び降りようとして、けれどそこが結構な高さだったということを思い出して愕然とした。

「あの、ちょっと、そっち向いてて…くれます?」

男の子を恐々うかがってから、腰を低くして申し出た私に、その男の子は、
「頼まれても見ねえよ」
と、聞き捨てならないことを言ってさらにそっぽを向いた。そんなことを言われた私はカチンときたけれど、この状況で喧嘩を買うわけにもいかず、とりあえず聞こえなかったことにして木から降りることに専念した。

ぴょん、とフェンスから飛び降りて、足が触れる地面の感触にほっとする。そして恐る恐るフェンスの向こうを振り返って、まだそっぽを向いたままの男の子をそこに認めると、私はにやりと微笑んだ。フェンスという防護壁があれば、怖いものはない。このまま帰ってしまおうかと思ったけれど、さっきの「頼まれてもみねえよ」を密かに根に持っていた私は、ちょっとからかってやろうと思い直し声をかけた。

「…ねえ。私のパンツ、何の柄だった?」
にやにやしたままに、男の子を覗き込むように尋ねた。
「……はあ?」

男の子がぎょっとした顔で振り向いた。その顔がつぼにはまって、私は思わず声を立てて笑ってしまった。

「ははは、冗談だよ」
「テメッ…!…いい年して苺柄なんてはいてんじゃねえよ」
「…え!今日違うよ、ギンガムチェックだよ?」
「はあ?あれはどう見ても苺だろ、じゃなかったらリンゴだ」
「…よく見てますね、えっち」

一瞬、しまった!という表情になった男の子の表情がさらにおかしくて、私はいよいよ大声で笑った。

「ば、ばかかッ!どっちがネタ振ってきたんだよ、信じらんねえ!」
「あははは!…あ」
そういえば。私は成績表を探していたんだっけ。
という事を、踵を返して立ち去ろうとした男の子の足元に例の紙切れを見つけて、思い出して、私は思わず声をあげた。

「…あ?」
男の子が突然笑うのをやめた私を不審気にみつめた。そして自然と視線は、私の視線の先にある例の紙切れにうつる。しまった、と思ったのは、不思議そうにその男の子が紙切れを拾い上げたその時だった。
眉間に皺を寄せたまま、紙切れを覗き込む男の子の顔がみるみる意地の悪い笑いに変化するのを認めて、私はさらに頭を抱えたくなった。

?」
確認するように問われて、私はまだ諦めきれずに曖昧に首を振った。
「タメじゃん。俺三上亮。よろしく」
「…聞いてない聞いてない」
「しっかし…滅多に拝めない数字のオンパレードだな」
私のものだ、ってまだ言ってないんですけど。私は深くため息をついた。
「そうでしょう。拝んどけば」
「…国語だけはいいんだな、でも」
真面目な顔でそう言われて、私は多少面食らう。
「いえいえ、いいですから、そんなじっくり見なくて。返してください。っていうか返せ!」
「はいはい、そんな怒んなくたって返すっつーの」
そう言いながらフェンスの網目をぬって差し出された紙切れを、私は強引に奪い取った。何時間ぶりかに手元に舞い戻ったその紙は、心なしか湿っていて、嫌な感触がした。今この場で破り捨ててしまいたい衝動をどうにか押さえつけて、私は大きく深呼吸をする。

はあ、と思いっきり吐き出した息が真っ白で、その真っ白さに思わず身震いする。それに追い討ちをかけるように大きなくしゃみが出て、そこでやっと私は急に外気の寒さに気付いたような、そんな気分になって歯をガチガチと言わせた。

「…お前薄着なんだよ、もっと着ろよ」
追い討ちをかけるように背後で言われて、私は思わず不機嫌な顔で振り返った。
「しょうがないでしょう、突然飛び出してきたんだから」
へっ、と三上が鼻で笑った。
「そりゃそうだ。お察しするぜ」
指で、私がぎゅっと握ったままの成績表をさされて、私は例にもれずむっとする。

「ちがう、これはついで。…雪が、そう、雪がふりそうだったから、それを見ようと思って外に飛び出してきただけ」
思っても見なかったことが売り言葉に買い言葉で口をついてでて、自分に対して少しぎょっとした。
「へえ、それは風流なことで」
「…ばかにしてるでしょ?絶対今日、雪ふるから」
子供みたいに意地になる自分にばかばかしさをかんじながらも、そんな自分を止められないで勢いのままに口走る。
「まじかよ。降らなかったらなんかくれんの?」
にやにや笑われて、私は後にひけなくなった。
「いいですとも。1000円あげましょう」
「まじ?」
「ただし!降ったら2000円ちょうだいね」
「なんでだよ、なんで増えてるんだよ、意味わかんねえよ」

「わかったよ、1000円ね。じゃーねー」

きっともう会う事もないだろう、私はひらひらと手を振ると、くるりと鮮やかにその場を後にした。くしゅん、大きなくしゃみを一つ置き土産に。

 

その日、雪が降らなかったのは―――まあなんというか、当然の帰結で。

これで一層あの三上とかいう男の子とは会えなくなったと、最後の千円札を友達のに渡して空っぽになったお財布を見下ろして思った。寒々しい。

くしゅん!

ああ、冬ってなんて寒いんだろう!

ああせめて、あの男の子が白馬の王子様のようにかっこよくて優しい少年だったとしたら!

 

私の は る は、 ど こ に い っ た 

 

 

 

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