ふざけんな、と思った。
13.六花
ありがとうと呟く
ドンと押し付けられた背中に壁の冷たさをかんじる。自分の胸倉をつかんで精一杯に睨んでよこす、敵意剥き出しの視線を無表情で見返した。無言でいるその態度が、相手への十分な挑発になることは自覚していた。テメェ、生意気なんだよ。押し殺せない感情のまま、馬鹿そうな面が吐き捨てた。それに嘲笑で答えたその途端、胸倉を掴む手にぐっと一瞬力が入った。来る、と思って咄嗟に身体を翻そうとしたが、寸での所で間に合わなかった。しかも最悪なことに、中途半端に身をよじったために……自分から相手の拳に突っ込んでいく羽目に陥る。右ストレート、クリーンヒット。一瞬、目の前に星が散った。バランスを崩した身体が、まるでスローモーションのようにゆっくりと地面に倒れる。眼前にせまる土。左頬から広がった熱が、脳みそまで伝わってガンガンする。吸い込んだ空気は、鉄の味がした。
(神経ってつながってるんだな、)
右頬に土の感触。どうでもいいことに思考回路をめぐらしながら、妙に冷静沈着な自分に可笑しくなる。一種の同情からかもしれない、こいつらの気持ちは理解できる気がする。藤代とかなんかの気持ちより、全然わかるよなあ。背中を蹴られて、それに逆らわずにゴロン、と仰向けになった。
(…でも、どうなんだ、それって)
下衆なら下衆のやり方ってもんがあるんじゃねえのか。せめて暴力に訴えるなら、タイマンでやれよ。そしたら俺だって、多少は尊敬の態度で接するのに。
再び胸倉をつかまれる。頭上からは、笑い声。冷静を保ってきた思考が、徐々に熱情に支配される。血が一点に集結する。感情に従って反撃に身をよじらせたその時だった。
「わッ!」
――――という、誰かの大声が不意に遠くからして、空気をふるわせた。それと同時に自分を囲んでいた人数が、ふと我に帰ったように立ち上がる。そして何かを口々に言い合うと、地面に寝転んだままの自分を置いてそそくさと立ち去って行った。立つ鳥後を濁さず、ってか。思わず感嘆してしまうばかりのその引き際のよさに、三上は倒れたまま苦笑した。反撃しそこねた勢いが、心の内に燻っている。
ちっ、気の小せえやつらだ。
小さく舌打ちして、口内に溜まった血をペッと吐き出した。陰気臭いカビの匂いが鼻をつく。
(つーか、なんなんだあいつら……まじ死ね)
今更ながら湧き上がってくる嫌悪感を振り払うように、三上はなすすべもなくのろのろと起き上がった。
そしてよろよろと校舎の影から開けたその場所に出たとき、ぎょっ……、とした。そこにあり得べきではないものを、見てしまったのだ。―――正確にはものではなくて、人であるのだけれど―――。最初に目に入ったのは、渋沢だった。それだけでも十分驚くに値する。だってそんなところにまさか誰か人がいようとは、思ってなどいなかったのだ。それだけでも驚くのに、それがその横に
なんて見つけてしまえば、なおさらのこと。
一瞬、時が止まった気がした。
( …?)
思考回路が、停止する。頭の中が真っ白になった。
一瞬、さーっと潮が引くように心の中がからっぽになって、そして次の瞬間、それを埋め尽くすほどの激情が心を支配した。それはまるで津波のような破壊力で、理性を覆い隠す。
ふざけんな、と思った。
冷静沈着だった頭に、一気に血液が逆流する。を押さえられない感情のままに睨んで、それから無言で背を向けた。
確かにそういう事――呼び出されてインネンをつけられること、――には、どちらかというと慣れていた。
けれど、誰かにそれを見られる、ということには慣れていなかった。
―――同情の目で見られるのは、ひどく居たたまれなかった。自分を否定された、気さえして。
渋沢が後ろから追いついてきて、腕をつかんだ。振り払う。
何もかもが、うざい、と思った。中途半端なおせっかいも、詮索も、同情も、……それから、
なんであいつら、ふたりでいるんだ?
それでも、くだらないプライドだとはわかっていた。どちらも悪くないのだとは分かっていた。だからこそ、1週間の葛藤の後、意を決して会いに行ったのだ。雨の降るあの日、図書館へ。
図書館の外から見上げて目があったの事を思い出す。目が合って数秒、拒絶するように窓枠から姿を消した。拒絶された、と思った瞬間絶望的な気分になった。あの日本当は会って、何か話をしようと思っていたのだ、そういう決心であの日図書館に行ったはずだった。けれどあの瞬間、そんな小さな勇気なんてものすべて吹き飛んでしまった。あんな明白な拒絶、意に介せず会うなんて強引なことをできるほど、自分は独善的でも、強くもない。あの時一瞬の、同情を含んだ、けれど同時に拒絶をも含んだ、あいつの表情がまぶたの裏に残って離れない。
俺が、悪いってのか?
ふざけんな、と思った。