「…なにやってんの」
伝統のある…、といえば聞こえはいい、創業ウン十年の旅館2階奥非常階段のドアの手前で、私は足音を軋ませて立ち止まった。
私に対してか、それともギシッと軋んだ廊下の耳をつく音に対してか、顔をあげたそいつは眉間に皺を寄せて、
「座ってる」
と、ぶっきらぼうに吐きすてた。
ゆ ら ゆ ら
「…正座で?変わった趣味だね」
そっぽを向いた仏頂面を含み笑いでからかうと、チッという舌打ちが間髪いれずに返って来た。
立ったまま見下ろす自分と座ってわたしを見上げる三上との、その距離にほんの僅かな優越感をかんじて、私はどこか満足感を覚える。
ギシッ
一歩踏み出した右足が、狭い廊下にひときわ大きな音を響かせた。
「うっせえ、どっかいけ」
音につられて視線を上げた三上が、追い払う仕草で手を動かして、迷惑そうにつぶやいた。
「いやだ」
けれど私はそれをさらりと拒否する。滅多に味わう事のできないこの優越感を手放してなるものか、と思って笑った。
それから私はサササッと移動すると、三上の隣に腰を降ろそうとして一瞬ためらって、けれど結局約人ひとり分の間を開けるとそこにしゃがみこんだ。体育座りなのは、正座で座っている三上へのささやかなあてつけだったりも、する。
「…なにやってんだよ」
呆れた声。
振り向いたその向こう、同じ高さの視線が絡まる。
しまった、これじゃあ優越感がかんじられない。
「座ってる」
「…変わった趣味だな」
「うん、誰かさんと同じ」
にやにやしながら皮肉を言うと、三上が観念したように、ひと呼吸おいて「勝手にしろ」と呟いた。
その反応にくくくっと抱えた膝に顔を埋めて笑いながら、
「…それにしても、ばか?」
と、さっきから言いたくてたまらなかった一言を、全身全霊を込めて言ってやった。
3泊4日の修学旅行、京都・奈良の旅。仮にも私立学校のくせに、あまりにも定番すぎる行き先には正直ガッカリだったけれども、始まってしまえば結局どこに行っても同じなのだと実感する。いくら寮生活とはいえ、わざわざどこかに行ってお泊り、というのは少なからず興奮をともなうものなのだ。
特に青少年の男女にとって、は。
旅行1日目。そういう事情で、『異性の部屋には入ってはいけない』のルールはあってないのごとく。トランプをするとかでルンルン男子の部屋に出かけていった(最強の睡魔に襲われていた私は、一眠りしてからいくと行って布団にすべりこんだ)友人が、バタバタと慌しく帰ってきたので何かと思えば。担任が突然抜き打ちで回ってきて、間一髪で逃げてきた!との、こと。寝ぼけながらもっと詳しくきいてみれば、三上だけが逃げ遅れてつかまってしまい、廊下に正座させられてるらしいという、捨て置けない愉快な情報を頂いたわたしは野次馬気分で見にいくことにした。
そして今に、至る。
からかいに、きたのだ。
別に私がいない所で、三上が女の子たちとわいわい仲良く遊んでたというのがなんだか悔しくて、とかそういうわけではないのだ。だからちょっとしたモヤモヤを、優越感を感じることでやりすごそうとか、そういうわけでもないのだ。
ただ単に、ばかにしに、きたのだ。
「…ばか?」
返答がないのでもう一度ボソリと呟いてみたら、前触れなくすごい勢いで横から頭をドツかれて、スコーンとばかりに体勢を崩した私はゴロリと床に転がった。
「ななななにすんだ!」
取り乱しながら倒れた姿勢で三上を見上げたら、睨みつけようとしてるんだけども結局失敗して情けない顔になっている三上と目があった。
「…お前、黙ってろ。…俺もへこんでるんだよ」
だから少し、そっとしておいてくれ。三上が唸るように言った。
私はその三上の言葉に吹き出しそうになって、けれど同時に忘れていたあることを思い出してしまって、笑いが喉の奥に詰まった。
(―――私も、へこんでる。)
制服のポケットに入れていた携帯電話をそっと取り出すと、鈴の音が静かな廊下に小さく響いた。お母さんにもらった和風の携帯ストラップ。それの他にもうひとつ、朝まではついていたはずの緑色の犬のストラップを頭の中に思い描く。
落とした場所は多分、清水寺の舞台の上。
劇的な場所だ。でも、全然嬉しくなんかない。
ものを大切にするほうではない、どちらかというとない。ただ、あのストラップはちょっと特別だったのだ。というか、ストラップが特別だったのではなくて、それをくれた人…、が特別だったというか、なんというか。
ペットボトルのお茶についていたその犬のストラップは、三上から…、巻き上げたものだった。なんの変哲もない、お茶を買えば手に入るそのストラップ。けれどそれ以上の意味と、想いと、期待がかかっていたそれは、多分普通のストラップじゃなくなっていた。
認めたくないけど、多分そうなんだ。
だからこそ、こんなにへこんでる私が今ここにいるんだと思う。
(―――ねむい。)
「なんか話せよ」
「…は?だって今黙ってろって」
「暇だろ、いいからなんか話せよ」
「うわあ〜、なにこの人正座させられてるくせに殿様気取りだよ!」
「…やっぱ黙ってろ」
「……」
「うそ、なんか話して」
「……」
「話してクダサイサマ」
「い、や、だ!」
ツンとそっぽを向いてやったら、「小学生かよ」呆れた声で三上が言った。
どっちが!
再び、静けさが二人を覆う。
まだ就寝時間前なはずで、少し動けばギーギー音をたてるこのオンボロ旅館がこんなに静まり返ってるのは、なんだか不思議な気がした。みんなどうしちゃったんだろう?
ふと視線を投げた、壁紙がはがれかかっているその場所に蜘蛛がうろうろしているのを見つけてなんとなく目で追う。
剥がれた壁紙の隙間に入り込んだら…、
あのことを言ってみよう。三上はどんな反応をするだろうか。
だってあの子は、多分三上の好みの子なんじゃないかと想うのだ。
蜘蛛は隙間に入ろうとして一瞬戸惑ったように立ち止まると、方向転換した。
壁紙の隙間には、入らなかった。
ほっとしたの半分、落胆したの半分、蜘蛛から視線を外そうとしたその時、気まぐれなその蜘蛛はまたもや方向転換して、今度は迷わずにすっと壁紙の隙間にはいりこんでいってしまった。
私はそっと息をのみこむ。
「ねえ、三上」
「あ?」
体育座りのまま、右手を膝にのっけて顎を掌にのせる。三上の顔は見えない。
もとい、みない。
「ゆうちゃんが、三上のこと好きなんだって」
ギシッ
床板が鳴った。私は思わずビクリと身体を強張らせた。
「…へえ」
次に聞こえてきた感心のなさそうなその声に、私は肩の力をおとした。でも、「へえ」の前の3秒くらいの間が、少しだけ胸にひっかかる。
「なに、なんかもっとないの。コメントとか」
「…返事しようがねえだろ。ゆうちゃんって、山田?」
「うん、そう。…嬉しい〜とか、ゲ、やだなあ、とかあるじゃん」
「あのなあ、…じゃあさ、」
三上がそういって少し躊躇している間、私はぼんやりと床板を目でなぞっていた。
「山根がお前のこと、好きだって。…はい、コメントどうぞ」
「……うそ」
「俺がうそいうかっつーの。な、いえねえだろ、コメントなんて」
「え、ていうか、なに今さらっとすごいこと言わなかった?」
「同じ言葉そっくり返す。…あ〜、つうかこれ秘密な。ウワサ話とかってすきじゃねえのに」
「…え、何?ほんとなの?冗談じゃなくて?」
「だ〜か〜ら、ヤメだっつーの。…つーかなに、お前山根好きなの?」
「…は?なにいってんの…!?」
「や、だってなんか顔が…、歪んでるぜ。キモイ。やめろ」
「ヒド…!山根くんは、かっこいいかなーって思うけど別に好きじゃないし!ほんとに!」
「はいはい、いいから別にフォローしなくても」
「ちょっと、信じてって!」
「じゃ、誰が好きなんだよ」
「そっ、れは……」
いえない。いえるわけがないのだ。
まさか今ここで、この場所で、言えるわけがないのだ。
(―――泣きたい。)
思わず俯いた私の頭上で、三上が「やっぱりそうなんじゃねえか」と怒ったように呟いた。
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