花火を見るのは初めてではない。

けれど、ドォン!と腹の底にズシンとくるような重低音に顔をあげると、散り始めた最初の花火の向こうから次々に打ち上げられる大輪の花に、は我知らず歓声をあげた。

「すごい…!」

考えてみれば、こんなに近くで花火を見るのは初めてだ。ドン、という音で初めて空を見あげても、まだ完全に散ってない程近くで見るのは。そしてこんなに、体を揺らすほどの大音響が、するのだということを知ったのも。

 

 

夏の宵、空を望んで(四)

20040820

 

 

「すごいよあっちゃん…!」

有頂天で隣にいるあっちゃんに振り向いたら、あっちゃんは花火から目を離さずに、けれど負けずに大声で言って笑った。
「おう、すげーな!」
その時、ドドドドンと立て続けに花火が打ちあがる音がして、周りの歓声がひときわ高くあがった。は慌てて視線を空へ戻そうとして、けれどそれができない自分にドキリとした。花火を食い入るように見つめている、あっちゃんの顔が花火の光を受けてキラキラ光っていた。はしばらく、瞬きもせずにその横顔をじっと見つめていた。何よりも正直、目が離せないでいた。綺麗だから見ほれた、とかそういうわけではない。確かにあっちゃんはかっこいい。しかしそんなに見ほれるほどかっこいいわけではない、と思う。なのに何故か、あっちゃんの横顔から目を離せない自分がいた。

「今のすっげぇ!」

あっちゃんの感心しきった声に、は初めて我に帰った。慌てて視線を空に戻す。
な、と同意を求められて、は曖昧に笑って相槌を打った。

花火はどんどん豪華に、そして技巧に富んだものへと移り変わって行く。観衆は、さらに、さらに引き込まれていく。

けれどは一人、次々に打ち上げられる赤や青や金色の花火を見あげながら、それでいて心はそこにはなかった。判然としない思いを胸の内に抱えながら、なんとか花火に集中したくてはラムネを口に含んだ。生ぬるくなってしまった爽やかなソーダ味の炭酸水が、喉を流れる。ゴクン、と飲み込んで、そういえば、と思った。

そういえば、あのあっちゃんの友人達も花火を見ているのだろうか?

きっと騒がしいに違いない、想像したら可笑しくなって、花火の音に紛れるように小さく笑った。けれどすぐに、さっきのあっちゃんとのやりとりがそれに連想して思い出されては緩んだ口元をぎゅっと結んだ。

思わなかったわけではない。もし武蔵森に入っていたら、と。そしてあっちゃんがそのことで未だに気に病んでいるということも、知らなかったわけではない。けれど今日まで何も言わなかったのは、その優しさに、あっちゃんの人のよさに甘えていただけなのだ。甘えたままに、綺麗な思い出で終わらせたいと、そう自分勝手なことを思っていた。だからあっちゃんが私に優しくしてくれると、好意を見せてくれると、その優しさの大きさに比例してひどくつらくなるのだ。だから、だから、あっちゃんとの仲が戻ってからもあまり親密になりたくない、とそう思ったのだ。

自分自身を傷つくことから守るために。

これは傲慢。言い訳をする気もない。けれど、確かにそう思っていたのだ。……あっちゃんの花火に照らされた横顔をみるまで、は。

 

「あんまり感情を持続できないみたい。悲しみとか、悔しさとか、怒りとか、…いろいろ。すぐ忘れちゃう」

 

なんていう大嘘つきだ。もし5年前に死んだ飼犬を思い出してまだ涙が出たり、中学受験の第一志望に落ちて悔しかった事を未だに引きずっていたり、一人の人間をずっと思い続けているような人間がそうなのだとしたら、それは正しいのかもしれないけれど。

そう、私は多分、あっちゃんが好きなのだ。

そうでなかったら、ただの幼馴染の男の子と疎遠になったからといってあんなに気に病んだりしないだろう。でも、それはだめだと思うのだ。あっちゃんに、好きだと伝えることは。あっちゃんの好意の上にあぐらをかいていた私が、そんなことを口に出す資格はない。

それに、私はあっちゃんとそうなる事を望んでいるわけではないのだ。

恋人という関係が一度崩れてしまったらその仲が続く保証などどこにもない。でも幼馴染だったら、と思うのだ。いつも確かなものだけを選ぼうとする、よく言えば慎重、悪く言えば臆病、私はそういう人間だ。何がそうさせたとうわけではない。けれどあの、小6の冬から、私の思考回路は一番最初に安全性――自分にとっての――を考えるようになった。

ともこは大きく深呼吸すると、ゆっくりと息を吐き出した。

 

ヒュゥゥゥゥ〜………ドドドォン…

 

 

花火の打ちあがるタイミングに合わせて、は花火に見入っているあっちゃんをまた盗み見た。
けれど、不意にあっちゃんの黒い髪が揺れるのを感じて、は慌てて花火を見上げた。

「花火、よくやったよな昔」

花火の打ち上げが途切れた時を見計らうようにあっちゃんがぼそりと言った。

「うん、やったね。あっちゃんはロケット花火が好きだったよね」
「そうそう、んで、お前が怖がって逃げまわってんのな」
あっちゃんが遠い目をして、おかしそうに笑った。
「…だって!それはあっちゃんが私の方に花火向けたからでしょう。こンの苛めっ子め!」
「ばーか、いじめてたんじゃねぇよ、面白がってたんだよ」
「なにそれ!一緒じゃん!うわムカツクー!」
あっちゃんの背中をグーで殴るふりをして、は声を立てて笑った。

「…あっちゃん」
「うん?」
「誘ってくれてありがとう」
「……」
「…どうしたの?」
「お前からお礼言われるのなんて生まれて初めてだなと思って」
「うわっ!そういうこと言う?人がせっかく」
「もっかい言って」
「ていうかあんた、何やってんの!録音しなくていいから!」
「言えって」
「やだ、もう一生いわない」

はフン、と拗ねたふりをして花火を仰ぎ見た。その視線の先ではドドドンと、今ではもうなれてしまったお腹に響く音をたてて、夜空いっぱいに咲いた花火が散ってゆくところだった。その時、耳元で

パシャッ

という電子音が聞こえて、は慌てて視線を戻した。

「…あ!ちょっ、やめてよもー…!」
携帯のカメラのレンズをこちらに向けたあっちゃんは、ニヤリと笑った。は慌てて携帯を奪おうとしたけれど、簡単にヒラリと交わされてしまう。
「ちょっ、あっちゃんのへんたーいへんたーい!盗撮で警察に訴えてやるー!」
「やれるもんならヤッテミロー」
「…。消して、ね、お願い」
「やだ。半目あけて口があいてるの決定的瞬間が消せるかっつの!」
「ぎゃー!何それ!何それ!やめてぇぇぇ!」
ムキになって取り返そうとしたら、あっちゃんが立ち上がった。え、と思って立ち上がったあっちゃんを見上げると、
「いくぞ」
とあっちゃんがぶっきらぼうに言って、手を差し出した。
は素直にその手に自分の手を重ねると、手をひかれて立ち上がった。
「まだ花火終わってないよ?」
「終わってから帰ると道込むだろ」

なるほど、と納得して、繋いだ手を何気なく振り解こうとした。けれど、あっちゃんの手が固く固く私の手を掴んでいて、つないだ手を解くのを、頑なに拒否した。私は仕方なくあきらめて、あっちゃんに引かれるままに川原を後にした。背後ではドドドン、と花火がひっきりなく音をたてて打ちあがっている。フィナーレが近いのだろう。ひときわ高い歓声が聞こえて、振り返りたい衝動に駆られた。けれど、握られた右手が、あっちゃんの手のひらごしに伝わる体温が、私にそれを許さなかった。

人ごみをかきわけかきわけ、2人は流れに逆らうようにして花火会場を後にした。空を見上げる人々の合い間、2人はただ地面を見つめたまま、黙々と歩きつづけた。まるで2人だけ、時計回りに回転する世界とは逆に反時計回りに回っている様な、そんな気がした。

 

気付けば、駅についていた。

まるで当たり前のように券売機に向かおうとするあっちゃんの腕を軽くひいて、は立ち止まった。
「…どうした?」
「いいよ、一人で帰れるから」
は笑って言った。
あっちゃんが、こちらを体ごと振り返った。手の力が抜けて、自然に繋がっていた手がはらりとほころぶ。

「…でも」
あっちゃんが、ひどく不満気に言った。
「いいって、明日試合なんでしょう?ムリをさせるわけにはいかないよ」
「や、でも俺…」
何か言いかけて、けれどあっちゃんははっとしたように口を閉じた。

「サッカー、…どう?」
はあっちゃんのその雰囲気から、予想をつけて思い切って尋ねた。今日出会ってから一度も聞かなかった、いや、聞けなかった、その事を。言葉を選んだつもりが、やけに露骨な台詞になってしまって、は内心落込んだ。

「…あー、まあまあ」
あっちゃんが視線をずらす。私はそれを、案の定あまり調子が良くないのだ、と解釈した。
けれどそれ以上は突っ込めない。あっちゃんが、その先を尋ねることを、体全体で拒否していた。

遠くから、微かに花火の音がする。まだ花火は終わっていないのだ。その証拠に、駅はガランとしている。

これは勝手な言い分かもしれない。

だけど、あっちゃんにはいつも頑張っていてほしい、とそう思うのだ。表ではいい加減な事を言いながら、陰ではすごく努力している、そんなあっちゃんが…正直、好きだった。体育の授業で、みんなができなかった鉄棒の技があっちゃんだけ出来たのは、決して偶然ではないのだ。放課後、公園で、暗くなるまでずっと練習していたあっちゃんを、私は知っている。だから余計、あっちゃんの自暴自棄な行動を手伝うわけにはいかないと、そう思った。このまま私を送って帰ったとしたら、終電に間に合うか間に合わないかのギリギリのラインだ。いつものあっちゃんなら、今日この日に、無理をしてでも私を送ろうとなんてことは思わないはず、なのだ。

「私は大丈夫。駅までお母さんに迎えにきてもらうし」
は喋りながら、券売機で切符を買った。出てきた切符をつかんで振り返ると、ここまできてまだ渋るあっちゃんに、は笑った。
「今日は、ゆっくり休んで。…そういうあっちゃんが、好きだから」
少しだけ驚いた表情で顔をあげたあっちゃんに、は重ねて言った。
「ありがとう、今日はすごく楽しかった」
の言葉に、あっちゃんは大げさにため息をついてみせてから、呆れた顔で笑った。しょうがないな、そう言いた気な表情だった。

「また何かあったら誘ってやるよ。…あんま思いつめるんじゃねーぞ」

今度はが驚く番だった。

「え…?」
(あんま思いつめるな、って…あっちゃん、知って…)
「ばーか、お前わかりやすいんだよ、自覚してないみてえだけど」
あっちゃんがカラカラと笑った。
…そうだ、この人はいつだってこうやって不意をつく。その度に私が気恥ずかしさと嬉しさで泣きそうになるのを、この人は知っているのだろうか。だとしたら確信犯だ。は悔し紛れにあっちゃんを睨んだ。

うるさい、お前もたいがいわかりやすいんだよ。

は照れ隠しに、あっちゃんのお腹にパンチを入れた。

 

それから、くるりと体を翻すと早足で改札を通った。あっちゃんを振り返って、手を振る。

電車は上り方面。ガラガラの車内で、ドアに寄りかかった。

 

流れていく夜の街の向こうで、花火とあっちゃんの幻像がいつまでも見え隠れしていた。

 

 

 

 

(完) 2004.08.20

 

 

 


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夏 の 宵、 空 を 望 ん で