First


Contact 2

 

 

 あの藤代誠一と、初めて言葉を交わす瞬間はさぞ感動的なものだろうと、入学して、そして今日までそう信じて疑わなかった。

 けれど、夢にまでみた、その瞬間は――――

 想像に、絶した。

「冗談、」
「本気」
 ―――俺が冗談なんか言う人間にみえる?
 じりじりと後ずさる三上を興味深げな視線で観察しながら、誠一が爽やかに笑った。
 その笑顔が、普段試合中に好プレーを決めた時に浮かべるような他意のない笑顔とまったく同質のものにしか見えなくて、三上は余計それに狼狽する。
 こんな狭い部屋で後ずさる意味などほとんどないのに、本能的に恐れをなした体が後退を続ける。ガン、という自分のかかとが机の脚をける音が響いて、その事実に三上は瞬間蒼白になった。
 もう、後はなかった。最初から後などありはしないのだけれど、けれど、体感したそれは足が震えるほどの恐怖だった。
 恐る恐る上げた視線の向こうで、誠一が一度にこりと笑ってみせる。それから、ゆっくりとした動作で彼が扉から離れこちらに近づいてくるのをみて、三上は今度こそ泣きそうになった。

「…そんな泣きそうな顔すんなよ、まるで俺がいじめてるみてえじゃん」
 全くそのとおりじゃないか、覗き込む誠一に、三上は半分泣き顔のまま情けない顔で睨みつけた。
「おいおい、言い出したのは俺じゃねえよ」
 誠一はそれにおどけたように大げさに肩をすくめてみせて、苦笑した。
 そして、間髪入れずにぬっと伸ばされた手に条件反射で身体をビクリと震わせた三上の、その反応を楽しむように、ひどく陽気な声を上げて誠一が笑った。
「…っ!」
「髪、ちょっと長いんじゃねえの?」
伸びてきた手が乱暴に三上の髪の毛を絡めとって、グイと無造作に引っ張った。前触れなく襲った頭皮が根こそぎ剥がされるような苦痛に、不覚にも涙が滲む。
「…ま、人のこといえねえか」
 誠一は自分の髪を、もう片方の手で弄くりながら他人事のように呟くとパッと三上の髪から手を離した。思わずよろめいた三上を無表情に見下ろしながら、誠一は手持ち無沙汰になった腕を胸の前で組みなおした。

「で?」

 ―――で?
 何を尋ねられているかは、明白だった。

 そして、それは一応意志を尊重する、という形をとってはいるものの、許容された答えはひとつしか存在しなかった。
 狡猾に仕組まれたその罠に気付いてしまった己に、どうしようもない絶望を覚える。
 余韻の残る頭皮の鈍い痛みを噛み締めながら、返答に屈した三上は身体を折って大げさに咳をした。
 そんな些細な抵抗も確実に見透かしているであろう視線をうなじにかんじながら、三上は滲んだ涙を素早くぬぐった。
 この場でいっそ、殴られでもした方がどれだけ幸せだったことだろうか。
 けれど、この目の前に立ちはだかる人間は、絶対にそんなことはしないだろう。例えどんなに自分が彼に歯向かったとしても、だ。そんな迂闊な事をするはずのない人間なのだろうということは、直感的に三上も理解していた。自分の憧れた藤代誠一は、そういう男だ。

 リンチひとつも、自分の手を決して汚さない、そういう男だ。
 彼は、フィールドの上だけでなく、その私生活すべてにおいてゲームを支配する、そういう完璧な人間だった。否、で、なければならなかった。
 だからこそ彼は絶対的な憧れを一身にまとう、彼たり得るのだ。

 三上はぎゅっと目を瞑る。
 汗ですべる掌を、同じように力任せに握り締めた。
 葛藤は、己の痴態を憧れの前に晒すか、それとも永遠にその憧れを失うかの、両天秤にかかっていた。

「で?」

 感情の滲まない声でもう一度そう問われ、三上は従順にうつむていた顔をあげた。冷たい、無表情な視線が自分を見下ろすのを認めて、それに身震いする。
 喉がカラカラだった。
「で?」
「―――は、い」
 何に諾と答えたのかはわからない。わからない、けれど、その答えに無表情だった誠一がうっすらと軽蔑の笑みをその表情に浮かべたそのことだけは、はっきりとわかった。
 握り締めた掌が、小刻みに震える
 例えば今地震がきて、崩れてきた壁に下敷きになって死んでしまえたら、どれだけ幸せだろうかと、そう思った。

 そう、思った。


 

Next(3)