First


Contact 3

 

 

 ――俺さ、別にあの人のプライベートなんて興味ないんだ

 わかるだろ?あの人がどんなに放蕩な私生活を送っていようと、逆に生真面目な私生活を送っていようと、俺が憧れたのはプレ―ヤーとしての彼なのだから。たとえゴシップ記事に騒がれようとも、憧れてやまないサッカー選手の評価を下げたりはしない。勿論それがプレーに影響していたとしたら、また別の話だけれど。

 そんな事を真剣に語りあったのは、いつだったか。連日の雨とそれにともなう湿気にうんざりとしていた、梅雨のある日だったように思う。ひどく陰鬱とした教室が脳裏にぼんやりと蘇る。さっきまで話していたダチは何時の間にかどこかに消えていた。誰もいなくなった教室はやけにがらんとしていて、不意に響いた耳鳴りが同じようにがらんとした心にキン、と甲高い音を立てて共鳴する。不意に窓越しに聞こえる、雨の降る音が耳の内側に入り込んでくるような錯覚を覚えて、身震いした。まるで空間が歪んでいるようだった。音が乱反射する。
 救いを求めるように窓に顔をこすりつけて見下ろした中庭は、水の粒が邪魔してかすんで見えた。けれど瞬きを2度して目をこらしたその時、中庭の真ん中に無造作に植えられている木の下、ある人影を認めて思わず息をのんだ。
「…藤代せんぱ、い、」
 発した言葉の語尾がかすかに震えたのは、その目にうつった彼の姿が、これまで遠くから眺めてきたそのどれとも違っていて、思わず目を疑ったからだった。
 遠目からでもわかる、どこか一点をみすえた射るような瞳。けれどその力強さとは対照的に、全体的な印象はひどく頼りなかった。例えば今、風がふいたら、すぐに掻き消されてしまうような、そんな―――。嫌だ。否定するように首を振った。俺の知っている先輩はそんなんじゃない、それは違う。…あれは、違う。そうだ、雨のせいで輪郭がぼやけて見えるただそれだけの理由か、それとも、
「…ぁ、」
 納得しかけたその時、不意に吹き抜けた一陣の風に、ふらりとよろめいた体を木の幹にもたれかける彼の姿に目を奪われた。ゆるゆると再び顔をあげたその人の横顔に、雨で濡れた髪の毛を額に張り付かせて空を仰いだその表情に、瞬間、胸の奥がざわりとした。その小さなざわめきは何か奇妙な波紋のように、徐序に体中に広がって行く。乗り出した体を支えた腕が、小刻みに震えた。

 ――俺さ、別にあの人のプライベートなんて興味ないんだ。

 だとしたら、目蓋にはりついて離れない、あの人の酷く儚げな横顔は一体なんだというのだ。

 あの時窓に触れた手のひらの冷たさと同類の、ひどく無機質な温度を手のひらに感じて、三上はわずかに体を震わせた。タイル張りの床に落とした腰は、ジャージの生地一枚を隔てて素肌にその冷たさを伝播させる。ジャージの中にすべりこませた右手は、一向に反応を見せる気配のないソレに、幾分途方にくれていた。
「…おい」
 不意にかけられた温度のない冷ややかな声音に、三上は条件反射で肩を震わせた。その声は給湯室の狭い部屋に響き渡ってあとにひく残響を残す。そうして身に染み込んだ常の習いで、思わずあげてしまった視線を三上はひどく後悔した。
 誠一は給湯室の扉を背に、引っ張り出してきた椅子に悠然と足を組んで座っていた。手元のカップラーメンを覗き込みながら、口に咥えた割り箸をパチンと音を立てて割る。声をかけておきながら三上の方に目もくれもせずに、すくい上げたラーメンを口に運んだ。「まずい」不機嫌そうに一言呟いて、そのくせラーメンを口に運ぶ手は緩まない。攻められると覚悟して強張らせた体が、けれど一向に言葉を継がない誠一に苛立たしげに震えた。切羽詰った右手が握り込んでいた性器の力を少しだけ弱めると、ゆるゆると上下させた。けれどピクリともしない性器に、一層泣きそうになる。それに相乗するように、しょうゆの嘘っぽい香ばしい匂いが次第にあたりに充満していく。
「食べ終わるまでに何とかしろよ」
 不意をついて上がった誠一の視線が三上のそれと交わって、思わずそらしてしまいたい目を強張った表情で懸命に見返した。けれどその努力を一蹴するかのごとく、
「だってオカズになんねえじゃん」
 くくく、という低い声を立てて、心底おかしそうに誠一が咽喉を震わせた。
「ていうか、脱げば?みえないし」
 ついで、とばかりにかけられたその言葉の無情さに、三上は唇をかんだ。決して強要しているわけではなく、けれどそうしてくれた方がいっそ楽だった。悔しさに瞑った目蓋の裏に浮かんだのは例のあの、先輩の横顔、で。途端、流れ込んできた感情を三上は心の中で反芻する。

 …違う、俺は、生身の先輩になんて興味がないんだ。…じゃあ、何故今ここでこんなことをしている?生身の藤代誠一に興味がないのだとしたら、いいじゃないか、嫌われてもいいじゃないか。…なあ、

強引に掻き消すように性器を擦り上げた手のひらは、気が滅入るような鈍い苦痛を伝えるだけだった。


 

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